白蛇病恋譚~拾った妖怪に惚れて人間やめた話

@dualhorn

白蛇と彼の一日(短編版)

 前書き

 ヤンデレ妖怪ヒロインが書きたいと思って書きました。

 次章から主人公とヒロインの出会いのお話になりますが、そちらを書いている内に大分設定が変わってしまったので、次話にこの短編の大幅リメイクを載せています。

 2021/7/29 リメイクを3章の頭に移動しました。


---------


 昔々、あるところにとてもとても強い蛇がおりました。


 蛇はいつもいつも退屈していて、暇つぶしに畑を洪水で押し流したり、村に大雪を降らせたりしました。


 村人たちは狩った獲物を貢物に差し出しますが、蛇は全然大人しくなりませんでした。


 困った村の人々は、偶然訪れた旅のお坊様に蛇を退治してくれと頼みました。


 お坊様は村人のお願いを聞き入れ、持っていた特別なお酒を蛇に贈るように言いました。


 村人から酒をもらった蛇は嬉しそうにがぶがぶと飲み干して、酔っぱらって寝てしまいました。


 お坊様が寝ている蛇になにやら経文を書き込むと、蛇はどこかに消えてしまいました。


 驚いた村人はお坊様に聞きました。




「蛇はどこに行ったのでしょうか?」




 お坊様は答えました。




「あちら側に帰ったのだ」




 こうして蛇はいなくなり、村の人々は幸せに暮らしましたとさ。


 めでたしめでたし。










―――そんな昔話から長い長い時が流れ・・・




「珍しいな・・・白い蛇?」




 霧雨の降るある日のこと、幼い男の子は白い蛇を拾った。






―――








「・・・・・朝か」




 突然だが、主人公というモノを描写するテンプレートというものをご存じだろうか。


 本屋に行くでもネット小説の投稿サイトを見るでもいいが、その多くにはやれ「俺は普通の~」だの、やれ「どこにでもいる~」だのといった紹介が溢れていることだろう。いわゆるテンプレというやつだ。テンプレートというものは、手垢がつくほど使われ続けることで定型となるに至ったもので、それそのものは使われ続けられるほどに良いモノだということだ。


 だが、問題なのはその後で、散々普通だのなんだの言っておいたくせに常人では人生を10回繰り返しても遭遇しないような珍事に巻き込まれ、やはり一般人なら20回は死んでるような状況から生還するなんて物語もたくさんある。他にも今時幼馴染が朝に不法侵入して起こしに来てくれたり、突如異世界に召喚されていきなり殺人行為に及んだりと、「いや、ソレ全然普通じゃねーから」と突っ込みたくてたまらなくなる昨今である。




「・・・・・」




 窓から差し込んできた朝日を浴びて目を覚ましつつ、どうして僕がこんなことを考えているのかといえば、それは早速僕が普通ではない事態に陥っているからだ。




「うわ、やっぱり今日もいるよ・・・」




 布団を捲りながら僕は思わず声を漏らす。


 朝日が差し込む少し前にまどろんでいた時から違和感はあったのだが、気のせいだろうと思い込んでいた。


 昨日の僕は確かに一人でベッドに潜り込み、しばらく暗闇の中で何も考えずにぼうっとしたままでいて、いつしか眠りに落ちていた。その間、間違いなく僕の部屋には僕しかいなかったはずなのだ。


 そのはずなのに・・・




「んんぅ~? もう朝ぁ?」




 僕の隣に女の子が一人眠っていた。


 布団をはがされたことで目が覚めたのか、その女は起き上がりながら伸びをして、日本人にはありえないような美しい銀髪がサラリと流れる。どこかの漫画の中から出てきたのかと思わせるような整った顔立ちの彼女ならば、「ふぁぁ~」とあくびする姿でさえ絵になっているが、自室のベッドという不可侵のテリトリーを侵されている僕にとっては侵略者の示威行動と何ら変わりない。


 伸びをした時に白い着物越しにはっきりと浮かび上がる小高い丘を努めて見ないようにしながら、僕はとげのある口調で口を開いた。




「あのさ、僕、昨日は誰もこの部屋入れた覚えはないんだけど?不法侵入とかモラルって言葉知ってる?」


「知ってるけど? 私がここにいることと関係あるの?」




 僕のじっとりとした視線を意にも介さず、僕のセリフの前半をバッサリ無視して腹立たしいほど可愛らしく小首をかしげてみせる。


 思わず顔面に拳を打ち込みたくなったが、やったところで何の意味もないのはこれまでの経験からよくわかっている。




「何にも言わずに人が寝てるベッドに入ってくるってどうよ?夫婦でも驚くっていうか、あんまやらないと思うんだよね」


「えっ!? じゃあ私と久路人くろとは夫婦よりも固いきずなで結ばれた親密度MAXの関係ってこと!?今日から私は月宮雫つきみやしずく!? もぅ~朝から照れるよぉ~!!」




 赤くなった頬に両手を当ててブンブン首を振る姿には殺意しかわかないが、やはりどうしようもないので行き場のない思いをため息に乗せて吐き出す。


 この脳みそが桃色に染まった生き物に構うのは貴重な朝のひと時をどぶに捨てるに等しい。


 僕はベッドの壁際の方に寝ていたので、目の前にいる彼女、雫を押しのけてベッドから降りようとしたが、その手が彼女に触れようとした瞬間、ガシッと手首をつかまれた。




「・・・何かな? 早く朝飯食べて大学行きたいんだけど」


「久路人の朝ごはんなら昨日作って冷蔵庫にしまっといたからレンチンするだけですぐできるよ・・・・先に私の「朝ごはん」、済ませてもいい?」




 疑問形で聞いてはいるが、爛々と輝く紅い瞳を見るに僕を逃がす気はないようだ。一応手を振りほどこうとわずかばかりの抵抗を試みるがピクリとも動かない。リンゴなど片腕どころか指でつまむだけで粉々にできるだろう。これはさっさと抵抗せずに済ませた方が早そうだ。




「わかったよ。あんまり時間に余裕ないから手短にね」


「はーい!!じゃ、いただきます!!」




 僕が首の付け根に付けていたガーゼを剥がすと、雫が僕に抱き着いてガーゼの下の傷口に口を寄せ・・




「れろっ・・」


「・・!!」




 鼻孔に広がる雫のほのかに甘い匂いと傷口に這わされた生暖かい舌の感触があまりにも刺激的すぎて、僕はたまらずビクリと震え、僕に抱き着く雫にしがみつく。一体どういう舌をしているのか、数日前に付いた傷からたった今切り付けられたかのように血が流れていくのを感じる。それでいて、まったく痛みがないのが不思議である。




「えへへっ」


「・・・っ」




 僕が雫を抱き返したようになったのが嬉しいのか、さらにギュっと力を込めて僕を抱きながら甘露を舐めるように僕の血を舌で掬い取っていく。




「れろっ・・・おいしい」


「そりゃよかったよ」




 生返事を返しながらため息をつく。


 先ほどまで雫に抱いていた苛立ちがいつの間にか消えて、どこか落ち着いたような気分になってることに少しイライラする。僕も随分と毒されたもんだ。




「もういいでしょ。あんま時間ないし、これぐらいにしてくれ」


「えぇ~!!もう終わり!? お願い!!もうちょっとだけ!!減るもんじゃないし」


「思いっきり減るわ!!っていうかこれ以上吸われたら貧血になるわ!!ホント早く離してってば」


「ちぇ~」




 不満そうな顔をしながらも、僕が本気で言っているのを敏感に感じ取ったのか、名残惜しそうに雫の腕が僕から離れる。




「じゃ、朝ごはんご馳走になったし、今度は久路人の朝ごはん用意してくるね!!」


「・・・よろしく」




 血を吸われたことで生じたわずかな倦怠感に身を任せつつ応えると、雫は勝手知ったる我が家とでもいうかのように部屋を出ててパタパタと駆けていった。




「はぁ・・・」




 口から今朝何度目のものとも知れないため息が出る。




「朝起きたら隣に美少女が寝てて、朝飯代わりに血を吸われるって・・・」




 文字に起こしてみると異常しかない。けれど、そんな異常が続いて、今では僕の日常になりつつある。




「僕はどこにでもいる普通の大学生・・・・・なんてとても言えないよね、コレ」




 改めて自分の日常の異常さを自覚しつつも、僕はベッドから抜け出して廊下に出る。


 廊下には食欲を刺激するいい匂いが漂っていた。












「ねー久路人。学校なんて行かなくても生きてけるよ?だから家に戻って一緒にゴロゴロしよ?」


「うるさいダメ妖怪。せっかく通わせてもらってるんだし、大学はきちんと卒業したいんだよ」


「大学卒業してどうするの?久路人って社会不適応者になりそうだし、意味ないと思うけどな~。まあ、私が養うからいいんだけど」


「余計なお世話だよ・・・」




 大学への道を自転車で走りながら僕は口を開く。その隣を雫が宙に浮きながら並走しているが、道行く人は誰も振り返らない。やはりコイツは僕にしか見えていないらしい。




「はぁ・・」


「ため息つくと幸せが逃げるよ。あ!!もしかして私に幸せにして欲しいってこと?それなら・・・」


「誰のせいで僕がため息ついたと思ってんだよ・・・」




 僕はどこにでもいない普通じゃない大学生だ。


 自分で言うのはどうかと思うが、客観的に見てもそうだろう。


 まず第一に・・・




「えーと、久路人のおじさん?」


「・・・・」




 コイツが見えることだ。いわゆる霊能者というやつなんだろう。


 物心がついたころから、雫に限らずいろんなよくわからないモノを見てきた。




「ホント、おじさんがいてくれたら・・・」


「最後に私が見たの、2年前だったかな~」




 二つ目は家族構成だ。僕は自分の両親と会ったことがない。そんな僕を育ててくれたのがおじさんである。おじさんも僕と同じような霊能者で、自分たち「見える人」の常識と世間一般の常識を教えてくれなかったら、小学校に通うことすらできなかったろう。そんなおじさんはいつもどこかを飛び回っており、滅多に家に帰ってこない。生活費は振り込まれ続けてるから生きてはいるのだろうが。


 そして、三つ目。




「・・・実に旨そうだ」




 頭上から声が聞こえた。




「その肉、血、髪の毛の1本に至るまで食らい尽く・・・!?」




 次の瞬間、カラスのような翼と顔をして八つ手のような扇子を持った人型の何かが氷漬けになって落ちてきた。あの氷は現実に存在しているものなので、当たったら危ない。幸い目撃者はいないようだし、早く溶けることを祈ろう。なんか中のカラスっぽい生き物ごと派手に砕けたみたいだし、すぐ溶けるだろう。




「どこの雑魚か知らないけど、久路人に手ぇ出そうとしてただで済むと思うなよ・・・」




 僕のすぐ隣から、ドスのきいた低い声が聞こえた。




「守ってくれたのは感謝するけど、一応人語が通じる相手はもうちょっと交渉してみても・・・」


「ダメ!!久路人の体は全部私のものなんだから!!私以外の他のヤツにあげるなんて我慢できない!!」


「お前にも体全部をあげた覚えはねぇよ!!」




 僕が普通でないところの最たる要素にして、最も僕を悩ませていること。




 僕はとっても「美味しそう」らしい。












 僕は普通ではない大学生ではあるが、もちろん世間一般の人々と変わらない部分もある。


 雫と違って、僕の容姿は平々凡々。10人すれ違ったところで10人とも気にはするまい。


 さらに、これまで歩んできた人生コースも単なる学生の域を出ない。普通の小学校に通い、平凡な中学を卒業してこれまたありふれた高校に受かった。今おじさんに通わせてもらってる大学も地方の中堅大学だ。


 決して日夜妖怪的な何かとしのぎを削ったりしてないし、政府の特別機関だとかそんなのにも出会ったことはない。


 今日もこれまでと同じように、誰も僕に話しかけてくることはなく、僕も一切口を開かずに板書をとるだけで一日が過ぎていった。




「あ、久路人!!今日もたくさん倒したよ~!!」




 僕が校舎を出ると、雫が屋根の上からスッと降りてきた。秋だというのに少し肌寒いのは群がってきた妖怪やら霊やらが朝のカラス的なナマモノのように氷漬けになっているからだろう。さすがに授業中に僕の周りで氷が降ってきたら困るので、雫には学校にいる間は外から警戒してもらっている。どうやら今日も大漁だったようだ。




「えへへ~」




 雫がしがみついて顔を埋めてくるが、これもいつものことだ。


 抵抗しようが無駄なのでされるがままである。




「うん!今日も女の臭いはついてないね!!ついでに男の臭いも!!久路人ってホント煙たがられてるんだね!!」


「嬉しそうに言うなよ。別に気にしやしないけどさ」




 僕の日常は平和だ。


 妖怪は寄ってくるが、おじさんからの教えで僕だけでもある程度の自衛はできる。僕の手に負えないやつは雫に瞬殺されて終わる。だが、よほど僕が美味しそうなのか、寄ってくるやつらが後を絶たないせいで僕の周りで不可解な怪現象が頻発するともっぱらの噂になっており、僕に好んで近づく人間は昔からいなかった。




「まあ、そうだよね!! 久路人には私がいるもんね!!」


「あ~はいはいそうですね」




 ”世の中何が役に立つかわからねぇから学校はしっかり出とけ”とは僕のおじさんの言葉である。


 僕の立場は養子であって、せっかくお金を出してくれてるおじさんの好意を無為にするのはためらわれるので学校にはきちんと通っているが、他人と積極的に交流を持ちたいと思ったことはない。それを変わっているというかどうかはわからないが、これが僕の性分なのだろう。他人に迷惑をかけたいとも思わないので僕の方から距離をとっているくらいだ。おかげでこれまでの人生において友達ができたことはない。ましてや恋人など・・・




「・・・・・」


「雫、痛い痛い」




 僕の体を掴む腕の力が跳ね上がる。




「久路人、変なこと考えてない?」




 雫は無駄に勘が鋭い時がある。サトリのように心を読む力はないはずなのだが。




「考えてない考えてない。今日の晩飯何かなってことくらいだよ」


「ふ~ん・・・・まあいっか。うん、今日はチキンカレーだよっ!」


「チキンか・・・」




 朝のカラス的な何かを思い出したが、僕は頭を振ってその記憶をかき消すと、家路についたのだった。










 いつも通りの帰り道。


 僕の家は郊外にあるので、家に近いところは自然が多く、あまり人気がない。




「なんと芳醇な香り!!その血、ぜひとも゛っ!?」




 黒いマントを着た金髪で八重歯のとがった人が激流とともに川に叩き込まれた。




「小僧!! 頭から喰っ!?」




 全身が赤くて角が生えたトラ柄パンツの大男の胸から杭のようなツララが生えると、ズシンと倒れた。




「うふふ、坊や、その精を゛!?」




 なにやら扇情的な恰好をしてコウモリのような羽を生やした女がいたような気がしたが、雫に手で目隠しをされたのでよくわからなかった。




「消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ・・・・」




 目を開けてみると粉々になった氷塊を雫が無表情で踏み砕いていたので、先に自転車を走らせる。




「待ってよ~!!置いてかなくてもいいじゃん!!」


「いや、なんか熱中してるみたいだったから」




 いつも通りのやり取りだ。人気の少ないところは人ならざるモノがよくいるので大抵こんな感じになる。


 女性っぽい姿をした妖怪に対しては雫は異常に攻撃的になるから置いてくのもよくあることだ。




「それにもう家に着いたし」


「ああっ!!久路人と一緒の下校っていう甘酸っぱいシチュエーションがっ!?」


「血なまぐさいだけだろ」




 家の周りにはおじさんが結界を張ってあるらしいので妖怪は入ってこれない。




「はぁぁ~テンション下がるな~。まあしょうがないし、ご飯の支度しよっと」




 はずなのだが、雫は何もないかのように家の扉を開けて中に入っていった。


 やはりいつものことなので気にせずに僕も雫に続いた。








「そういえば、最近カレーとかシチューとか多くない?」




 夕食の時間、雫の作ったカレーを口に運びながら僕はふと疑問に思った。


 いつのころからか、多分数年前から雫は僕の食事を作りたがるようになり、実際に作り続けているためか、雫は料理上手といってもいい腕前だ。


 ただ、雫の好みなのか、カレーとかシチューのような料理をよく作る。特に最近は3日に一回は作ってるような気がする。ちなみに夕飯の時には雫も一緒に料理を食べる。僕の血を吸うのは朝の一回だけで、飲みすぎると悪酔いするらしいからだそうだ。僕の血は酒か何か。




「・・・久路人はカレーとか嫌い?」


「いや、そんなことないけど。ただよく見るなって思っただけで」




 雫の努力のたまものなのか、似たようなメニューであっても飽きたとは思わない。


 今日はチキンカレーだが、前に見たカレーはシーフードだったし、シチューも普通のホワイト以外にもデミグラスソースのやつだって作っていた。




「私が作りやすいから作ってるだけだよ。飽きたなら他のやつにも挑戦してみるけど・・」


「別にそんなことないって。まあ、普通に美味しいし、ご飯作ってもらえるのはありがたいし」


「そう?それならいいんだけど」




 テーブルを挟んで言葉を交わしながらも、スプーンを持った手は休む気配がない。


 僕も一応最低限の料理はできるが、それはあくまで最低限であり、自分ひとりのために作るのならまあいいかな?といったレベルだ。それを思えば気が付けば勝手に手が動くほどの雫の料理はかなりのぜいたく品と言えるだろう。家賃と食費代わりと思っても充分だ。




「なんか隠し味とか入れてるの?カレーってそういうのよく入れるって言うし」


「・・・・・うーん、入れてると言えば入れてるけど、言っちゃったら面白くないから教えないよっ」




 やっぱりなんか入れてるのか。レトルトなんかと比べるのはさすがにあれだが、どうにも雫の作る料理は味に深みがあるというか、舌にいつまでも残るような感覚がするのだ。そうしてその感覚がしばらく続いた後、少しづつ薄くなっていく。決して不快ではなく、料理の元になった食材が僕の体の一部になっていくのが肌で感じられるような気がするというか・・・・何を入れればこんな風になるのだろうか?




「その隠し味のレシピ、本にしたら売れるんじゃない?っていうか、この料理だって・・・」


「私、久路人以外にご飯作る気なんてないからね!!一億歩譲って作ることになったとしても、隠し味だけは絶っっっっ対に入れないから!!!」




 突如、すごい剣幕でまくし立ててきた。まあ、普通の人に姿の見えない雫が店で料理を作るというのも土台無理な話か。というか、隠し味とやらはそんなに大事なものなのか。




「そこまで言われると気になるんだけど・・・変なものじゃないよね?」


「ひどっ!!久路人に食べてもらうものによくわからないモノなんていれないよ!!ちゃんと出所のわかってるものを使ってるってば!!」




 一応、ここ数年雫の作った料理を食べて体調を崩したことはない。髪の毛とかも入っているのを見たことないし、そもそも味の深みが増すようなものなんだからちゃんとした食品ではあるのだろう。少なくとも毒ではない・・・ってこれはさすがに失礼すぎだな。




「じゃあ、また機会があったら教えてよ。美味しく作れるっていうなら、自分で作るかもしれないし」


「久路人のご飯は一生私が作るつもりだけど・・・・そこまで言うなら」




 そこで、雫はスプーンでカレーを掬うと、僕の方に突き出してきた。




「半分は、私から久路人へのたっっっぷりの愛情!!もう半分は近いうちに教えてあげる。はい、あーん」


「いや、これはちょっと恥ずかしいんだけど」


「はい、あーん!!」


「いや、だから・・・」


「あーん!!!」




 だんだんと、雫の眼が朝の時のように爛々と輝き始めた。これは下手に粘らない方がいいだろう。




「・・・・むぐっ」


「えへへへ、美味しい?」




 いろいろと煩わしく思うことも多いが、僕のために料理を作ってくれるのはありがたいし、美味しいのは間違いないのだ。だから、僕は正直に答える。




「・・・美味い」


「ふふ、ならよかった!!じゃあ、もう一口ね。あーん!!」


「・・・・・」




 それから雫の皿に残っていた分が半分になるまで、カレーと一緒に、親鳥にえさを与えられる雛の気分を味わうことになるのだった。










「人間の世界っていつも同じようなことしか起こらないんだね」




 夕食を食べ終えて、夜も更けてきた。


 居間のソファでゴロリと寝転がって読書をしていると、さっきまで僕の横でスマホをいじくっていた雫が僕の顔を覗き込んでくる。まとめサイトかニュースサイトでも見ていたのだろうか。


 雫は妖怪なのか精霊なのか、少なくとも人ならざるモノなのは確実だが、テレビやらスマホやら文明の利器にすっかり馴染んでいる。




「今日もいつも通りって感じだったし」


「普通の人から見たら僕らの日常は異常そのものだと思うけどね。そうじゃなくても毎日毎日突拍子のないことが起こってたら身が持たないよ」




 ただでさえ毎日毎日よくわからん怪異に巻き込まれてる身だ。この上でさらに何か起こったらノイローゼになるかもしれないと薄々思っている。その気になれば多分この町を真冬に変えられる雫からすれば今日襲い掛かってきたモノたちなど羽虫みたいなものなのだろうけど。




「でも、たまには何か変わったことがあって欲しいとか思わない?」


「別に・・・・僕としては今の平穏な・・・まあ、平穏と言えるかわからないけど、今日みたいな日がずっと続いてほしいとしか思わないね」




 僕がそう言うと、雫の瞳がパッと輝いた。わずかにほほを染めてモジモジしながら、




「そ、それって、私とずっと一緒にいたいっていう遠回しなプロポーズ?いや、もちろんOKだけども突然言われると・・・」


「お前のそのポジティブシンキングなところは素直に羨ましいよ」




 これだけ世の中を自分に好都合なものの見方で見てたら人生楽しいだろう。だが、まあ・・・




「でも、雫がいてくれてよかったとは思ってるよ」


「え?」




 雫がピタリと固まった。




「僕がまあまあ平和に過ごせてるのは雫が近くにいるからだしさ。料理も作ってくれてるし、話し相手にもなってくれるし、本当に感謝してる」




 たまに考えるが、もしも僕が一人だったらどうなっていただろうか?


 身を護るくらいはできるから死にはしないだろうが、毎日人じゃないナニカに怯えながら家に引きこもっていたんじゃないかと思う。おじさんはあまり家にいないし、他の人とコミュニケーションをとれるポテンシャルもない。一人しかいない家の中で怯えたままでいたら、とっくに心がダメになってたんじゃないだろうか。


 だからこそ、うざいと思うときはよくあれど、心から雫には感謝しているのだが・・・




「そ、そうなんだ・・・えっと、ど、どういたしまして」




 その雫は珍しくおどおどとした様子で、耳まで赤くなっていた。




「言った僕も結構恥ずかしかったんだけど・・・照れてるの?」


「あ、当たり前だよ!!とんだ不意打ちだよ!!」




 けど!! と赤くなりながらも語気を荒くして、雫は僕をまっすぐに見つめた。




「それじゃあ、私はこれからもずっと、久路人の傍にいてもいいんだね?」




 嫌って言っても居座るだろとか、ずっとかどうかはわからないぞみたいなセリフがのどの先まで出かかったが、少し不安げな雫の眼を見てその言葉を飲み込んだ。代わりに、僕の心の底からの言葉をくみ出す。




「ああ、うん・・・これからも頼むよ」


「っ!!!」




 その瞬間、雫の顔がまさに花が咲いたような笑顔になった。




「言質とったよ!!言質とったからね!!今の言葉、私、ずーっと覚えてるからね!!」


「・・・・言っておくけど、告白とかそういうのじゃないからな」


「ふふ、ふふふ!!!あは、あははははは!!!勝った!!勝った!!私大勝利~!!」




 僕の言葉が届いているのか届いていないのか。


 雫は満面の笑みのまま立ち上がると、そのまま浮き上がり、何かの儀式としか思えない踊りを舞い始め・・・突然停止した。




「よし!!久路人、一緒にお風呂入ろ!!」


「何がよしだよ」


「私たち二人がこの先も末永く暮らしてくって決まった記念!!今日こそ、いやさ、今日だからこそ!!」


「記念で一緒に風呂に入る意味がわかんないよ。大体、もうすぐ・・・」




 雫が僕の腕を掴んで揺さぶってくるが、僕は動くつもりはない。


 僕も日本人であるからして当然風呂に入る習慣はあるが、僕が入浴するのは大体夜の9時を回ってからだ。


 というのも・・




「痛っ!!くぅぅぅ~、時間切れかぁぁぁぁあ!!」




 突然、雫の周りに白い靄が出ると、少しづつ雫の体が透けていった。




「いやぁ、僕も残念だよ*」


「少しも残念そうに見えないんだけど!!」




 この家にはおじさんが結界を張っているが、その結界は人ならざるモノが活発になる夜に最も強くなるようなのだ。これにはさすがの雫も逆らえないようで、強制的に「あちら側」に帰されてしまうらしい。




「ちっくしょ~!!あともう少しだったのに~!!くぅ・・ここは引くしかないか。でも!!私は絶対にこれで終わらないんだからね!!じゃあ久路人、また明日!!」


「どこの悪役だよ、お前は・・・・まあ、それじゃあまた明日」




 手を振りながら、小悪党のような捨て台詞を残して雫は消えていった。僕も小さく手を振りつつ見送る。




「それじゃ、風呂入るか」




 雫は言動はあんなだが、見てくれはかなりの美少女だ。混浴などしたらさすがの僕もどうなってしまうかわからないから、入浴はこうして雫が「あちら側」に戻ってからにしている。あれで雫も無理やり僕になんかしようということはしないので風呂についても普段は冗談めかしてしか誘ってこないのだが、今日はかなり積極的だった。




「ひょっとしたら、危なかったのかもな・・」




 もしも雫が「あちら側」に戻るのがもう少し遅かったら・・・・


 ずっと一緒に、なんて早まったようなことを言ってしまったけど・・・




”人間とそうじゃないモノってのはほどほどの距離感ってやつを保たないといけねぇ”


”あんまり近寄りすぎるとな、連れてかれちまうぞ”




「「あちら側」か・・」




 おじさんは人ならざるモノがいる世界を「あちら側」と呼んでいる。


 神隠し、チェンジリンク、ヨモツヘグリとそういう世界に関わって帰ってこれなくなるという話は昔からゴロゴロしている。だから、僕が雫に出会った頃はよく気をつけろと言っていたのだが、人の世界に馴染めているとは言い難い僕だ。




「それも、悪くないのかもな」




 こんなことを考えて独り言を言っている時点で、僕も今日の雫のようにどこか舞い上がっているのかもしれない。けどやっぱり・・・




「返事がないってのは、寂しいな」




 静かなのは好きなほうだが、あの騒がしいのがいないのも、それはそれで張り合いがない。


 そんな風に思ってしまうのだった。










 こうして、いつものように夜は更けていく。そして・・・・




「久路人、おはよっ!!」


「ああ、おはよう。じゃあ、早速だけどベッドから下りてもらおうか」


「なんで!?」




 僕らの日常は続いていくのだ。




















――――




 月宮久路人はすでに「人間」の枠から外れつつある。






「ふんふんふ~ん♪」




 時刻は朝の4時半。もうすぐ日の出というところ。人ならざらるモノの時間が終わり、人間の時間に変わりつつある時だった。夜の星、特に月とかかわりの深い月宮家にかけられた結界はその力を弱める。そうして弱った結界を素通りし、月宮家の台所に立つのは白髪の少女だ。現在の家の主たる久路人は朝に弱く、目覚めるのはまだまだかかるであろうことを雫はよく知っていた。




「今日の味噌汁のダシは煮干しにしよっかな。具はわかめと豆腐と・・・・」




 数年前から、月宮家の食事は雫が作っている。まだ小学生低学年の久路人に拾われて、人間の姿になれるまでに5年。そこから料理の勉強を半年して他人に食べてもらえる程度の腕になってからは、月宮家の台所は雫のテリトリーだ。久路人もある程度料理を覚えたが、雫ほどの熱意はなく、早々に台所の領有権を明け渡している。




「あとは夕飯のシチューの下ごしらえもしなきゃ。材料はカレーの時に余ったのが・・・」




 なぜ雫が料理にやる気を出しているのか。それはまず、「好きな人に自分の作った手料理を食べてほしい」という純粋な乙女心がある。




 そう、雫は久路人に恋をしている。




「~♪」




 鼻歌を歌いながら豆腐を包丁で切っている姿からは想像もできないが、雫はかなり格の高い妖怪であった。それが退屈を紛らわすために人里にちょっかいをかけていた結果、長きにわたる封印を施された。


 封印が解けてただの蛇と変わらぬほどに力を失った雫にとって世界はそれまでとはすべてが裏返った敵だらけの場所で、そんな中気まぐれであっても拾って保護してくれた久路人に多少の恩を抱くのはさもありなんというところだが、久路人はそれだけではなかった。


 雫にとって、久路人はこれまでに出会ったことのない特異点であったのだ。




「豆腐は準備したし、わかめも戻したし・・・出汁もとれてるね」




 失われた力をほんの数年で取り戻すくらいの潤沢なエネルギーに満ちた血を持ち、人間の中にありながら雫が人ならざるモノと知っても忌避感を持たない「ズレ」を魂に抱えた少年。


 ただの人間の群れを屑石とするなら、久路人は妖しい輝きを放つ宝石のようだった。


 最初は少しの感謝と多大な打算、そして興味。そこから自分に付きまとっていた退屈を少しずつ溶かされ、自分ですら気づかなかった孤独が取り払われていると自覚した頃には、単なる「妖怪の雌」ではなく「女」の心を持つまでに力を高めていた雫はどっぷりと魅了されていた。




「うん、味噌汁はこれでよし、と。次はシチュー・・・」




 ともかく、恋というにはいささか粘ついた独占欲が多すぎるかもしれないが、雫は久路人のことを心から愛していた。愛する人のために料理をふるまいたいというのは、妖怪であっても人であっても変わらないものであり、それが雫が料理に熱意を燃やす第一の理由だ。そして・・・




「材料は昨日切りすぎたのがあったから鍋に入れて、後は・・・」




 雫はそこでいったん手を止めると、先ほどまで使っていた包丁を丹念に洗い始めた。


 やがて満足いくまで磨いて布きんで水をぬぐい、台所の明かりを受けて鏡のように輝く包丁に笑みを浮かべる。そして、シチューの具材が入った鍋の上に腕をかざした。




「たっぷり隠し味を入れないとね!!」




 雫が包丁を振ると、白い腕に赤い線が走り、深紅の血が鍋に降り注いでいった。








――――




 月宮久路人はすでに「人間」の枠から外れつつある。




 八尾比丘尼、太歳、ヨモツヘグイ。


 人間が人ならざるモノをその身に取り込んだ結果、自身もまたソレらに近づくというのはしばしば伝承として残っている。




「ふふ、あとどれくらいで、久路人は私のモノになってくれるかな?」




 自室でぐっすりと眠っている久路人の寝顔を見ながら、雫はつぶやく。


 雫から見て、月宮久路人は元よりただの人間とは住む世界が違う。彼の身に宿る力を別にしても、人間の住む世界に適応できていない。彼にとって周りは自分と姿かたちは同じなれど分かり合うことはできない存在であり、干渉すべき存在でもない。そういう致命的な「ズレ」を抱えている。だが、悲しいかな、その体は人間のモノであり、100年もすれば他の人間のように死を迎えるだろう。




「久路人のいない世界なんて、耐えられないよ」




 そんなつまらない別れなど、雫には到底認められなかった。だから考えて、決めた。






 久路人を私と同じモノにしてしまえばいい。






 正確には、雫の「眷属」というべきモノになるだろう。そうなってしまえば、誰にももう干渉されない。人間の体という枷から解放されれば、時の流れさえも例外ではない。


 一滴でも汚水の混じったワインがワインでなくなるように、自分の血が混ざることで久路人が汚染され、血を味わうことも力を取り込むこともできなくなるだろうが、そんなことは些細な問題だ。むしろ、他の連中からも狙われなくなるだろう。




「他の雌にも、誰にも渡さない・・・邪魔するヤツは皆殺しにすればいい」




 自分以外の他の誰かの隣に久路人がいる、雌の妖魔が襲い掛かってくる度にそんな妄想が頭をよぎって内臓が石に変わったかのような不快感を覚えたが、そんなこともなくなる。


 それまで人間社会で生きてきた久路人にはすぐには慣れないかもしれないが、今よりもはるかに安寧を享受することができるだろう。元々ズレている久路人ならば、必ず受け入れることができるという確信が雫にはあった。この家を残していった久路人の叔父には雫としても多少恩があるし、抵抗するかもしれないが、雫にとっては久路人以外がどうなろうが大して興味はない。




「あと、もう少し・・・」




 毎朝の「味見」で味が落ちてきていることから、段々と染まってきているのは分っている。


 このまま続ければ、あと数年の内に月宮久路人は人間を辞めるだろう。




「言質はとったんだからね? 久路人、ずっと、ずっと、ず~っと、一緒だよ」


「・・・う~ん?」


「ふふっ!」




 昨晩の久路人の言葉を思い出しながら、雫は想い人の頬に口づけをして、同じベッドに潜り込んだ。












 こうして、いつものように夜は明けていく。そして・・・・




「久路人、おはよっ!!」


「ああ、おはよう。じゃあ、早速だけどベッドから下りてもらおうか」


「なんで!?」




 彼らの日常は続いていくのだ。


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