8 その出会いは偶然か


 出雲家当主、雲居なにがし。實樹と巳稀。巴と薫。三笠美穂と東雲穂摘。

 現れたのはこの八人だった。いずれもタマテバコに関わる人物らしい。意外に多くの人が関わっているようだ。とはいえ、もう食べ終えてしまったのでこれ以上誰かが現れることはないだろう。

 もとのめくらましに戻れるはずだ。来留芽は自分一人しかいないような店内で特別酒をもう一杯飲む。


『おや、そなたは……あぁ、ちょうど良かった。古戸の娘よ、ありがとう。おかげでこの身はまた、彼と逢うことができた。直接会って感謝を言えぬままだったのだが、何の因果かここに現れてくれたのだな』


 やや低めの、芯のある声が聞こえたと思ったら、天女のように美しい何者かが来留芽の手を両手で包んできた。宝石のしずくのような涙を頬に流して感謝を示され、思い当たることのない来留芽は混乱する。今いる場所に対しても同様に。


「何が、何だか……」


 そこは妖食街のめくらましとはまったく違う場所だった。なぜか呼吸ができているが、水中なのだ。前に海坊主の宮に行ったことがあるが、そこよりも煌びやかな雰囲気だった。それは目の前にいる美女のせいかもしれないが。


『おや、それでは時が混線しているのかもしれぬな。ならば、古戸の娘よ、これだけは覚えておくと良い。我が名は蓬莱ほうらい。我が伴侶の真名は珠禾しゅか、依り品は――』


 美女の言葉の途中で来留芽は背後へ引き戻されるかのような力を感じた。いや、実際に引き戻されている。だから最後の言葉は聞こえなくなってしまったが、唇を読んで何を言っているのか推察する。彼女の口はこう動いていた“た・ま・て・ば・こ”と。


『お客様、大丈夫ですかー?』


 声をかけられ、ハッと我に返る。目の前には舞首が、周囲のテーブルには人やあやかしが思い思いに飲食を楽しんでいた。そのざわめきがこの場所の正常さを伝えてくるようだ。誰かがいる空間がこんなにも安心できるとは知らなかった。

 来留芽はホッと息を吐く。どうやら無事に普通のめくらましに戻ってこられたようだと安心して。


「大丈夫」

『すごいですね! 完食です!』

『おぉ、よくその細っこい体に収めたなぁ』


 空になった器を見て褒められたその途端に満腹感が襲ってきた。タマテバコ探しの参加者の声という収穫はあったが、二、三人前の料理はさすがに胃の容量不足だ。


『そういやぁ、鶴蝶よ。完食したらどうのってやつぁ何なんだ?』

『あ、それはですねー。ここめくらましの優待券です!』


 鶴蝶が取り出したのは一枚のカードだった。


『何と何と、これを提示していただけると三名様まで割引します! しかも、何度でも使えるのです』

『そりゃ良いなぁ』

『嬢ちゃん、頑張ったかいがあったなぁ』


 まるで大食いチャレンジの景品だ。とはいえ、現世の店では決して用意しない内容だろう。間違いなく店にとって損となるからだ。


「良いの? 本当にそんなもの……」

『ええ、ええ。店長の企画ですから。実はですね、これの一番の売りは割引ですけど、他にも新メニューや新情報の通知もさせていただきますのでご活用くださいね。どうぞこれからもこのめくらましをご贔屓に!』


 来留芽は手渡されたカードを見た。誰かに取られてしまうのは困るので来留芽の名前が刻まれている。サインを写したのだ。鶴蝶が言った“他の情報”は裏側に乗っていた。不思議な力で更新されていくのだという。


「……ところで、一つ聞きたいことがあるんだけど」

『ん? おっちゃんが知っていれば答えるぞぉ』

『酒のことか?』

『肴のことか?』


 この舞首、食べ物・飲み物のことしか考えていない。この調子で求める答えが返ってくるだろうか。

 不安はあったが、とりあえず聞いてみることにする。


「煌びやかな宮殿に住み、その外見は天女のように美しい。光の加減によるのか薄青や青、薄緑や青緑に見える衣をまとい、瞳が珊瑚色の水妖……って知ってる?」


 調子良くひょいひょい呑んでいた舞首はゴキュリ、と今までとは少し違う音を立てて飲み込み、勢いよくむせた。


『『『うげぇっほ、げほ!』』』

「水あるけど」


 首だけしかないのにむせるときはむせるのだな、と新しい発見をした気分で彼に水を勧める。気道がないのにどうやってむせているのだろう。というか、そもそも呑んだものはどこに入っていっているのか。


『会ったのか!? 嬢ちゃん、奴に会ったのか!?』

「会ったというか……遭遇した? 身に覚えのない感謝をされたのだけど」


 彼女が何者なのか。それを知りたかった。しかし、来留芽は事実しか話していないというのに舞首はまるで頓狂なことを言われたという風に顔を歪める。


『感謝ぁ? もしや、間違ったやつを思い浮かべたかぁ?』

『いや、水妖で、煌びやかな宮殿に住んでいて、緑の衣に珊瑚の瞳を持った天女のようっつう特徴を揃えられるのは奴しかいねぇ!』

『嬢ちゃん、悪いことは言わない。どれだけ美しかろうと、見惚れようとあれに近寄らねぇ方が良い』


 何者なのかを尋ねただけでこの反応とは……余程恐ろしいあやかしなのだろうか。


「別に、特に関係を深めようとかは考えていない。ほんの少し遭遇しただけだから」

『おぉ、それなら大丈夫か?』

「私自身じゃそれの判断はできないから何とも。それより、彼女について情報をもらえる?」


 あの女性に会うことで何が起こるのかは知らないので自分がその影響下にある、ないの判断はできない。

 しかし、何も情報がないのも不安だ。そう思って尋ねたのだが、舞首は微妙な顔を浮かべている。三つともそれぞれ少しずつ異なっているのが興味深い。


『うぅん……まぁ、大丈夫だろぉ』

『嬢ちゃん、まずは訂正だなぁ。おそらく、その水妖は雌雄で言えば“雄”になる』

「は?」

『竜宮には乙姫族ってのがいてなぁ。嬢ちゃんが逢ったのは種として認められるきっかけになった最初の雄、フヨウだろうなぁ』


 来留芽は何も言葉を紡げず、頭を抱える。妖界にいるあやかしについてそのすべてを知っているとは思っていなかったが、これは予想もできない話だった。

 しかも、他にもよく分からない情報が混じっている。


「種として認められるというのは?」

『あぁ、嬢ちゃんが知っているかは分からねぇが……分からなかったら今から言うこたぁただの戯れ言と思っておけよぉ』

『実は、妖界って場所があってなぁ……』


 舞首が首ごとにそれぞれ話しながら教えてくれたことによると、どうやら妖界はもともと現世から別れたものであるため自然法則も基本的には現世に従うようにできているのだという。生殖も多くの場合は、男と女、パートナーがいて初めて子どもができるというのが普通だ。ちなみにカップルは種族が違っていても成立する。

 そのような妖界で種として認められるというのは、同種のあやかしに男と女が現れることを言う。その両性が確認できると○○族と名乗れるそうだ。それまでは、つまり同性の場合はその愛の巣で妖力が凝ることで新たにあやかしが生まれるらしい。


『有名どころはなぁ、人魚だな』

『あいつらは女しかいねぇ。だから人魚族とは言えねぇんだ』

『海坊主も男しかいなかったが、確か最近姫が生まれたとか聞いたなぁ』


 人魚に雄はまだいないという。海坊主には女の子がいるらしい。どちらも夏より交流が続いているが、舞首がしてくれたような話は聞いたことがなかった。実はそれなりに秘密にされているものなのではないだろうか。

 ……そろそろ情報過多で頭が痛くなりそうだ。


『で、話を戻すぞぉ。乙姫族は何だかんだあって雄が生まれた。それがフヨウという奴なんだなぁ』


 種族的に男らしさとは無縁の容貌になるらしい。フヨウは乙姫族のなかでも特に凄みのある美人で堕ちるあやかしの数が知れないという。本妖はそれを煩わしく思っている……ことはなく、むしろ面白半分に信奉者を増やしてきたそうだ。その性格から、理性的なあやかしからは危険視されており、彼のいる竜宮城はいまだ妖界深層に封じられていることに安堵する者も多いという。


「竜宮城……話だけは聞いたことがあるけど」


 幼い頃、日本の童話に出てくるたいていのものは細部が違うことはあれども妖界に存在すると教えてくれたのは一体誰だったか。竜宮城が存在しているという知識は当然のように来留芽の中にあった。


『まぁ、場所自体はきれいなもんだぜぇ。フヨウがいるうちは行くのはおすすめしねぇけどなぁ』

『万が一奴に気に入られちまったら堕ちるまで迫られるからなぁ』

『しかも、性別に頓着しないときた。あれは乙姫の姐さん達の教育が失敗した例だろうなぁ』


 竜宮城は近寄らない方が良い模様。あの美人とは良く分からない形での遭遇だったが、竜宮の者と知った以上、そこを避けていれば出会うこともないだろう。

 それでも関わることがあるとすれば、おそらくは彼の伴侶だという珠禾という何者かを通じてだろう。もし珠禾という者が窮地に陥っているのであれば助けてみようか、と来留芽は思った。


「会わなければそれに越したことがない、ということ。情報ありがとう」

『まぁ、なんだ。おっちゃんとしてもこれ以上奴の毒牙にかかるやつを見たくないってだけだからなぁ』

『気を付けるんだぞぉ』


 舞首は思ったよりも話しやすい相手だった。そして、自分が言ったことを忘れるような性格でもなかったらしい。結局、来留芽はめくらましでの食事を奢ってもらったのだ。もちろん、来留芽の不遇物語は事実と違うことをしっかり伝えた上で、だ。幸い、来留芽がもらった優待券を使えたので少しは財布への負担も軽くなったはず。


「ありがとう」

『礼はいらねぇよぉ。おっちゃんのお節介だからなぁ』

『おっと、その耳飾りはもう少ししたら使えるようになるぜぇ』

『守屋にまた呑もうって伝えてくれよぉ』


 じゃあな! と首三つとも揃って言うと妖食街の暗がりに消えてしまった。最後に言葉の爆弾を剛速球で投げつけて。

 守屋……どこのじい様だろうか。

 もちろん、来留芽の父方の祖父のことなのだろう。


「まったく。どこでどんなつながりがあるのか分かったものじゃない」


 来留芽は額に手を当てて前髪をくしゃりと乱す。とりあえず、祖父守屋の交友関係を一度調べた方が良さそうだ。急に友人の孫を見る態度を出されると戸惑ってしまう。しかし、ひょっとしたら祖父と旧知の間柄だったからあの舞首は来留芽に好意的だったのかもしれない。感謝すべきなのだろうか。

 とはいえ、祖父も一体どこにいるのかさっぱり分からないのだが。たまにオールドアの男衆を鍛えるという名目で連れ去っていくのだが(基本は樹が同行する)、それ以外の時に会うことはあまりなかった。


〈聞こえるか!? 聞こえているなら返事をしてくれっ〉


 焦った様子の声が聞こえ、来留芽は耳飾りの向こうの相手を思い出した。


「あ……そういえば。(ごめんなさい。今、聞こえた)」

〈はぁーっ。良かった。何かに巻き込まれたのかと。今はどこに?〉


 深い安堵の気持ちが伝わってくるようだ。どうやら今の今までどれだけ呼び掛けても返事がなくて慌てていたらしい。


「あわいの妖食街。でも、どうやら意図的に巻き込まれたみたい」

〈意図的に? それはまた、大変だったな。あやかしは巻き込むだけ巻き込んでいざこちらが窮地に陥ると横で眺めてニヤニヤしているような性格の奴が多い〉


 さすがは妖界を放浪したことがある夕凪だ。おそらくは彼とともに旅をしていたのだろう、茜や暁にも言えるだろうが、あやかしについてそのような分析ができるくらい交流があったのだろう。そのうちに守屋くらい手広く人脈を広げていけそうだ。


「とはいえ、わりと話しやすい酔っぱらいだったから。危害も加えられていないし」

〈それは幸いだったな。ただ、本当に何もされていないかは他の人にも確認してもらうと良いだろう〉

「分かった」


 そのあと、夕凪は妖食街へ来ることができなさそうだと言ったので現世の方で合流することにした。このあわいは意外に人を選ぶらしい。


「おっ、来たな」

「心配かけた。ごめんなさい」

「いや、別に良いさ。こういうこともあるある」


 妖食街の道を行くあやかしに尋ねながら何とかもといた繁華街にたどり着いた来留芽。夕凪が待ち合わせ場所として提案した広場にやって来たとき、時計は午前二時を指していた。つまり、来留芽は一時間以上行方を眩ましていたということになる。きっと、焦ったことだろう。


「それより、どうやら今夜は当たりらしいな」

「見つけたの?」

「ああ、補足できた。とりあえず、この繁華街にいるのは間違いなさそうだ」


 夕凪は夜の闇の下、まだ明かりの灯る街を見回して笑った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る