17 月下の儀式
***
ボウ……と四隅に火が焚かれている。ここは白鬼の里にある白皇の屋敷、その奥にひっそりと続いている儀式場だ。月の力を迎えるために屋根はなく、池にせりだしているかのように作られている。
ここに、今宵の舞台は整った。
『……では、始めようかのぅ。朧、吾子を頼んだぞ』
『もちろんですとも、湖月様。坊っちゃま、いえ、お嬢様かもしれませんが、しかと御守り致します』
湖月から朧へうっすらと光る玉が渡される。二人のやり取りからも分かるように、それはまだ生まれぬ子どもの魂だった。
『――必ずや……』
受け取った朧は強く決意した瞳をみせる。だが、手の中へ大事に包み込んだ主人の御子を見ると眦を下げてしまうようだ。それでもすぐにハッとすると表情を引き締めていた。
朧は子守り狐だ。主人の御子を任されるのは二回目になる。言わずもがな、一回目は月白のことを指している。目を離していた隙に拐かされ、朧は責任を感じていたのだ。一度任を解かれたが、再び任されることになった。
そして、朧が下がるのを見届けると儀式場には湖月一人となる。もちろん、見えるところに護衛はいるが、場の中に入ってはいない。
『……これより、月詠みの儀式を行う』
この儀式の宣言は神様への合図のようなものだ。少なくとも湖月と夜神様の間では双方ともそのような認識だった。
そして、湖月は中央へ進み、設置されている宝玉の周囲を舞い始める。しゃん、しゃん、と鈴の音が響き渡っていた。その音は屋敷を越えても聞こえる不思議なものだ。その範囲が今宵、月の力が届く範囲となる。
『……いつもより、固いな』
白皇は柱に背中を預けながら湖月の舞を見ていた。これまで何度か彼女の夜の舞を見てきたからこそ分かる。間違いなく普段よりも緊張した様子だった。
『今日が山場だからかもしれないな。このような時こそ側で支えたいが……』
「白皇、それは難しいことなのだと分かっているだろう」
『まぁな。儀式に余計な力が介入してしまうと制御できないうねりとなる可能性がある。それくらいは分かっているさ』
儀式場の護衛に加わっているのは白皇と守だった。肝心な場となるのでこの儀式場を中心に実力順に配置されるようにしている。そのため、少し離れたところに置かれた薫は通達した社長に逆らいはしなかったが、納得していない顔だった。だが、何も言わないので納得したのだとみなした。
儀式の護衛についてだが、儀式場には白皇と守、子守り狐の朧に三日月ほか数匹の白狐がいる。いずれも実力者で、なおかつ、月の神様の力に耐えられる存在だ。
『……もろもろのまがごとつみけがれをあらむをばはらいたまひきよめたまへとかしこみかしこみもうす』
湖月が舞と祝詞を終えるのが見えた。ここまで襲撃はないが、それが却って不気味さを覚える。嵐の前の静けさと言えば良いだろうか。とても安心はできず、守は緊張を高めていた。
月を見てみれば、現世では決して見ることはできないほど大きく輝いている。溢れ出ている力はゾッとするほど濃く、強いものだった。
『やれやれ、鬼よりも鬼らしいのぅ、渡世の倅よ。そのうち角が生えてきたとしても驚かぬな』
「っ!?」
真後ろから突然そのように声をかけられて、守は心底驚き、振り返りながら思わず拳を振るっていた。鬼だなんだと言われてうっかり力が入ったなどということはない。ない、はずだ。
『……』
だが、驚いたことにその拳は相手に届きもしなかった。止めたのは月の色の瞳をした青年だ。中性的で細身。それなのに守の力の乗った拳を難なく受け止めている。その姿に似合わぬ力を持っているらしい。その後ろには黒く長い髪を一つにまとめ、手には笏を持ち、月の色の衣をまとう壮年の男がいた。瞳は夜空の色をしている。そして思わず跪いてしまいそうなほど圧倒的な神威を感じられた。
「失礼した。貴方は、月神様で相違ないでしょうか」
『いかにも。月の神、夜の神ともされるな。……渡世の倅、丁寧語は似合わぬな。思わず笑ってしまうわ。普通にしておれ』
失礼な。
守の眉間がぴくりと動いたが、特に反論せず粛々と頷く。
「では、言葉に甘えさせてもらう。……ところで、この者は?」
壮年の男が月神様であるというなら、青年の方はどのような存在なのだろうか。守はそう思って彼を見る。だが、何の反応もない。無表情に、無感動に、無感情に佇んでいた。いっそ、神様よりも神様らしく人を超越した存在に思えてくる。
『月の徒よ。正体は今に分かるであろう』
どうやら、質問に答えてはもらえないようだ。月神様は薄く笑うと守の横を通り、儀式場の中央に跪く湖月のもとへと歩いていった。青年はその供をするように一歩下がった位置に控える。
『まずは、宝玉か』
月神様はさっそく宝玉の力を満たしにかかる。とはいえ彼にとってそれは大した手間ではなく、軽く手を振っただけで終わる。ここまでの積み重ねで十分に満ちていたからだろう。
『さて、ここからが本番だな、湖月よ』
『はい』
月影の宝玉を狙う輩がいるせいですっかり忘れていたのだが、この儀式の真の目的は別の所にあったりする。それは、浄霊だ。それこそが数ヶ月前から時を待った理由だった。湖月の性質は秋に最も強まる。だから、守は彼女と相談しつつ準備を進めてきた。だが、と眉間に皺を寄せる。現実は上手くはいかないものだ。まさか寸前になって横から狙おうとする輩が現れるとは、まさに青天の霹靂だった。
――困ったことに、こちらも後がないのだ。誰にも邪魔はさせない
『守、俺とそう変わらない表情になっているぞ』
「失礼な。誰が鬼だと?」
『お前だ、お前。月神様にも言われていたな』
気合いを入れ直したら近くに来ていた白皇が守の眉間の皺に気付き、突いていた。
「白皇、お前こそ大丈夫なのか?」
『……さぁな。実際にその状況になってみないと分からない。だが、湖月が決めたことだ。どんな結末が待っていようとも受け入れるさ。――もちろん、どうしようもなくなるまでは全力で抵抗させてもらうが』
まだ姿を現さない獲物を思ってか、白皇はニィッと獰猛に笑った。鬼らしい良い表情だ。今回は特に妻である湖月が関わっているので、彼自身の気持ちも入っている。ひょっとしたらこれに向かっていく相手は可哀想なことになるかもしれない。
『渡世の倅、出番だ』
「――ああ。今行く」
ここからは以前にオールドアへ依頼されていたものを達成する時間になる。
「湖月、今一度確認するが、貴女からの依頼は取り込んでしまった今は亡き人間の娘の記憶を幽霊化させ、浄霊することだったな」
『いかにも』
「幽霊化させるためには貴女の身体を一時的にその幽霊に貸し与える必要がある。……ただ、問題は身体にどれだけの負担がかかるか未知数であることだ」
湖月が抱えているのは厳密に言えば幽霊
今、湖月の身の内では自我の主導権争いがされている。万が一にも成り代わられてしまうことのないように彼女自身の性質が強まる秋のこの時を待ち、耐えてきた。だが、問題はその胎の中にいる子どもだった。
『――承知している』
湖月は想いを飲み込むようにして口を引き結ぶとゆっくりと目を閉じ、深く深呼吸する。そうしなければ不安に押し潰され、決意が揺らいでしまいそうだったからだ。
「覚悟があるなら良い。さっそく始めるとしよう。月神様、補助をお願いできるだろうか」
『構わぬ。お手並み拝見といこうかの』
月神様は飄々とした態度のまま手に持つ笏を跪く湖月の頭上に添える。それを確認して、守は片手を月影の宝玉に掲げそこに満ちた力を使い、もう一方の手は湖月に触れておく。そして神力を妖力へ、妖力を霊力へ力の種類を変換する術を使った。
『くっ……』
湖月は目を瞑ったまま呻いた。力は湖月の身の中へ流れ込む。普段とは違う力なので違和感か苦痛を覚えているのかもしれない。だが、止めるわけにはいかなかった。
「あーあ、ちょっと遅かったみたいだよ、ミホ」
「……だから言ったじゃない。狭間開くのは私の方が上手いってさぁ」
「ごめんって。お詫びにさっさとあれを奪ってくるからさ」
場に変化があったのは、儀式も中盤になり十分な霊力へ湖月の抱える記憶を定着させる途中のことだった。儀式場の中に突然狭間の穴が開き、人間が二人現れたのだ。一人はミホと呼ばれる少女。おそらく、来留芽と薫が遭遇した少女と同じだろう。もう一人は髪に白のメッシュを入れている少年だ。身体にぴったりとした服を着ており、それなりに戦えそうな雰囲気だった。
「おっと、神様もいるんだ。ちょっとビックリ」
少年は儀式の中心部を見て少し目を見開いた。おどけた仕草だが、油断のない瞳をしている。
『ふむ。東雲の小倅か』
「神様には流石にバレちゃうか。まぁ、今回は月神様が目的ではないので。……失礼するよっ」
素性をあっさりとばらされてしまった少年は不機嫌そうに唇を上げ、目を細くしていた。だが、それもすぐに消して挑戦的に笑う。次の瞬間にはどこからか取り出したものを中央部へと投げつけてきた。手のひらほどの白い石のようなものだ。
『……斬ります』
『まぁ、良かろ』
ここまで声もなかった青年が警戒を露わにし、そう宣言する。投げられたものに良くないものを感じたのかもしれない。月神様の方は気乗りしない様子ながらも許可を出していた。そのまま、着物の袖で口元を覆う。
『……っ!?』
青年が斬った途端、ぶわっと粉のようなものが広がり視界が真っ白になった。これが分かっていたから月神様は口元を覆ったのだろう。
「いま」
誰かが駆けていく気配がした。それを追ってみれば、どうやら向かう先は守達のいる宝玉のようだ。今、儀式を中断すると湖月に悪影響が出てしまう可能性が高い。
『ふむ、どうする? 渡世の倅よ』
面白がるように口の端をつり上げてそう尋ねてくる月神様だが、対応は決まっている。
守は儀式を続けつつ、祝詞も簡易動作もなしに結界を張るという離れ業をしてのけた。
「ちぇっ。面倒なことを」
口で軽くそう言いながらも、ミホは油断のない目付きで結界を見ていた。少しでも揺らぎや穴があったらそこへつけこむつもりだろう。どう考えても本気で破りに来ているようだ。
『お主、ずいぶんと面倒なものに取り憑かれておるな?』
「……さてねぇ」
『名は分からぬが……なり損ないか、それとも、堕神か』
「そんなこと、そっちには関係ないよねぇ?」
『いや、あるぞ。もし、お主が抱えているのが堕神であれば――こちらの領分だ』
月神様が笏を引き上げ、結界越しにミホへと向き直った。正面から相対してその力を感じてしまったのか、少女から結界へとかけられる力が弱まる。
「神様の領分だからって何だと言うわけぇ? だいたい、あなた達はとっくに人間を見捨てているじゃない」
『さて、それはどうだろうな? ほれ、言ってみよ。――助けてくれ、とな』
それは、月神様から伸ばされた慈悲の手だった。神と呼ばれる存在だからこそ、彼は少女の現状に気付けたのだ。
「ふざけるな。誰が――誰が神に救いを求めるものかっ!!」
だが、伸ばされた手は振り払われてしまう。月神様は悲しげな色を顔に浮かべたが、瞬く間に消し去り、ミホから伸ばされた呪に対応し始めた。
月神様の神力がその場を圧倒する。それによって、儀式場での異変が里の方にも伝わることになった。
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