6 時をすり合わせて


 時は有限であり、来留芽達の相談もあまり長引かせることは出来ない。巴は譲羽と松山の二人が出て来た、トンネルのような形をした濃い闇を睨み付けた。心なしか時間が経つにつれてその大きさを増しているような気がする。


「頭を抱えたくなる気持ちは分かるけど、出来る限り急いで決断しないと手遅れになるかもしれないよ」

『それは困る。……しかし、どうすれば良いのかさっぱりだ』


 巴の警告に松山は一度頭を上げて苛立ちのような、険のある表情を浮かべた。しかしそれも一瞬のことで、すぐさま情けなく顔を崩して頭を抱え直している。


「時が異なっているなら、同じ“時”まで巻き戻せば良いのでは?」

『どういうことだ?』

「出来るかどうかは分からないけど、松山さんが十八歳の時の姿を取れば柊文珠の“時”とつり合う。見た目だけかもしれないけど……それでも、話を聞いてくれるんじゃないの」

『そうか……』


 目を軽く開いて驚いたような、納得したかのような顔になった松山。次の瞬間、その姿が闇に滲んだような様子になる。来留芽達は彼に何が起こっているのかと少し焦った。


「松山さんっ!?」

『こりゃあ、変化か?』

「変化? それなら、大丈夫か」


 茄子の言葉を聞いて、松山はきっと来留芽自身が言ったことを実行しているのだろうと判断し、見守る姿勢となった。


『お嬢、あの幽霊のはちっと力が足りていないようだぞ』


 尻尾の先で突かれて来留芽達は松山の方に目を向けた。集中すれば彼の妖力が複雑な広がりを見せているのが分かる。それが足りているかいないかは正直に言うと分からないのだが、茄子の感覚を信じるならば足りていないのだろう。


「霊力を渡せば良い?」

『いや、霊力じゃあの幽霊には厳しかろう。この場合は妖力の方が変換しやすいし効率的だ』


 そう言われて、不思議に思いながら来留芽は松山に近付こうとした足を止めた。妖力が必要だというならば来留芽が出来ることはないのだ。茄子ならば可能だが……どうもこの猫又は動くつもりがないようだった。


「放っておけと?」

『いや、この場には適任の者がいるだろう』


 そう言って茄子が目を向けたのは譲羽だった。視線が集中し、彼女はびっくりして体を揺らす。


「いや、確かに同じ幽霊だけど力の受け渡しはそう簡単には出来ないはず」

『やってみなけりゃ分からないものだろ』

「でも、力を渡したことで譲羽さんの未練が消えるわけじゃない」

『それはどうだろうな? 松山とかいうのの変化が上手くいけば柊とかいうのも大人しくしてくれる可能性があるだろう。皆成仏、大成功ってなるんじゃねぇの』

「そう上手くいくものか。だけど、譲羽さん自身の未練については聞いていない気がするね。話せるかい?」


 来留芽と茄子のだらだらとした会話に割り込んだ巴は時間がないこともあって急いたように話題を変えた。


『私の未練……たぶん、としか言えないですが柊文殊さんと一緒にいけなかったことだと思います。連れていってあげると言われて、あの人も一緒に行くものと思っていたのに私達を見送るばかりで……』

?」


 来留芽はその複数系の言葉を復唱した。


『はい。柊文殊さんに誘われたのは何も私だけじゃなかったんです。入来いりらい未知みちさんとか、他にも何人かいます。彼女達はそう長くこの世にいることは出来ませんでしたが、想いを私に託していきました』


 柊文殊が死後にやってきたことは悪行と言うべきものだった。彼女は物語で言う悪役でしかなかった。しかし、ある面では彼女は救いをもたらしていたのだ。


『生きたいという思いがまだ残っていた子達は恨む気持ちが確かにあったそうです。でも、苦しみを終わらせる選択肢をくれたことは感謝しているとも言っていました』


 恨みはある。でも感謝もしている。そんな中で思ったのは救われようとしない柊文殊への心配だったという。


『送り出すだけ送り出して、寂しげな顔をしているくせに一緒に行こうとしない。まるで何かを待っているようだと思いました。……いえ、待っていたのでしょうね、きっと』


 譲羽はそう言うと形が定まらない松山の方へ近付いた。


『私達の思いはきっとあなたと同じです。私も想いは託すので、どうか柊文殊さんの心を救ってください』


 譲羽がそう言うと、ふっとその姿が光の粒になり、変化中の松山に吸い込まれた。そして、それが変化を完成させる最後の一欠片だったようで松山の姿が安定する。譲羽を含め、柊文殊への想いで構成されたその姿は来留芽の見慣れている用務員さんを頭の先からつま先まで遥かに若くしたものだった。年の頃は来留芽と同年代……つまり、十代後半あたりだろう。


『……十八くらいか。見た目だけなら文殊と同じくらいだな』

「松山さん、で間違いねぇか?」


 念のためか来留芽と巴を守るように前に出ていた薫がそう尋ねた。それまで自分の体を確かめていた松山は顔を上げると頷く。


「それじゃあ、もう本当に時間がないし、柊文珠を説得しに行こうか」

『ああ。譲羽さんのおかげで自分のすべき事が分かったし……覚悟も、決めた』

『良い顔になったんじゃねぇの。せっかくだから先導しよう。ほれ、来留芽に巴は掴まれ』


 にんまりと笑った茄子は尻尾で来留芽と巴の腕を撫でる。反射的に掴んでから来留芽は問いかけた。


「柊文珠の場所が分かるの? この闇の中で」

『あやかしには分かることもあるってことだ。任せとけ』


 茄子の先導で来留芽達は闇を進む。譲羽が現れて少しだけ軽くなった闇は再び暗く、重くなってしまっていた。視覚はまったく頼りにならない。


『近いぜ……っと、何か変な揺らぎがあるな』


 その揺らぎについては来留芽達も気付くことが出来た。感覚的なものなのだが、時々空間自体が崩れてしまいそうな不安定な感じになるのだ。それは茄子とともに進むにつれて頻度が多くなっていた。


「力のぶつかり合いみたいな感じがするね……ひょっとしたら樹がいるのかもしれないよ」

「柊文珠と遭遇してしまったかもしれないということ?」


 比較的感覚の鋭い巴が指摘し、来留芽がその意味を推し量る。力のぶつかり合いということは何らかの戦いが行われているということ。それは二者以上の存在がいなくては成立しない。つまり、力の片方が樹だと仮定するともう一方は柊文珠である可能性が高いのだ。


「急がねぇと樹が柊文珠を消霊してしまうかもしれねぇな。俺等としちゃそれでも良いんだが……」

『俺からするとそれは最悪だ。それは本当に最後の最後に使わない手段として残していてもらいたい』


 そして、来留芽達もついに辿り着いた。


『アアァアアアアアア!』

「くそぅ~っ! もういい加減大人しくなりなよ!」


 そこには髪を振り乱した柊文珠と、彼女の攻撃をひたすら防いでいる樹の姿があった。


「もう限界~! 霊力が底をつく前に決着を付けるしかないね」


 樹がそう言った途端にゾクリ、と鳥肌が立つほどの霊力が練り上げられたことを感じ取る。宣言通り、短期決戦で終わらせようとあるだけの力を動かして攻撃しようというのだろう。それなりに消耗している幽霊などひとたまりもないはずだ。


「やっべぇな。本気だぞ、樹……」

「ぼさっとしていないでさっさと樹兄を止めてきて!」


 戦いたように呟いた薫の言葉にハッと我に返った来留芽は巴とほとんど同時に薫を蹴り出していた。二人分の勢いを乗せた薫はよろめきつつも樹と柊の間という危険地帯へと躍り出てしまう。


『容赦ねぇ……』


 来留芽と巴の二人に対して戦いている茄子は無視し、今の最優先事項はとりあえずどちらも止めることだと判断した来留芽は柊文珠を見据えてその前に出る。そして、薫とは背中合わせになって攻撃を捌き、何とか収拾をつけようとした。

 来留芽は結界の呪符を用いて荒れた幽霊の力を防ぎ、薫は樹の渾身の術を受け止めて弾いた。


「薫!? ってことは……来留芽に巴も来たんだ~! 助かった!」


 一応、松山を信じて柊を任せた手前、彼女を無理矢理消滅させることは気が引けて決断できずにずるずると戦っていたのだという。

 樹は相当消耗してしまったのか、力が抜けたように座り込んでいた。それでも、すぐに動けるように片膝を立てている。


「樹兄は休んでて。ここからはまた松山さんに頑張ってもらうから」

『ああ。文殊を消さずにいてくれてありがとう。今度こそ、俺は……』

「うん、何か決意したのは分かるから~。早く行ってあげるといいよ~。たぶん、彼女は君を待っていたのだろうし」


 樹は軽い調子でひらひらと手を振ると柊の方を示した。


『そう……だな。ちゃんと向き合わないと』


 松山は一歩踏み出す。譲羽の持っていた分の妖力もあって、今の彼は柊の力に揺らぐことはない。


『文殊。俺のことは、分かるか?』


 樹と戦っていたときとは打って変わって静かになった柊に向けて恐る恐る尋ねた。

 まずは、認知を。柊に相対しているのが松山普賢であるということを分かっているのかどうか確認する。


『普賢……』

『そうだ、俺だ。良かった、ちゃんと分かってくれたのか』


 松山はパッと顔を明るくした。そして、安堵の息を吐く。


『普賢ノコトハ、間違エナイツモリ。私ガ知ッテイル姿ダカラ……』


 おそらく、柊の知らない姿だったら分からないのだろう。用務員姿では松山普賢だと意識してはもらえていなかったに違いない。そもそも、幽霊という存在は記憶がひどく曖昧になる。それに時間が経てば経つほど残るものが減ってしまう。仮に柊が生前の松山の最後まで見ていたとしても、その記憶は崩れやすいものだった。幽霊である柊の根幹となっている記憶は自分の死後の松山の姿……つまりは用務員姿ではなく、生きていた頃に交流のあった松山の姿だったからだろう。


『デモ、何ヲシニキタノ。今サラ何ヲ……』


 柊は戸惑ったように呟いた。先程まで樹と戦っていた姿とはまるで別人だ。松山を前にすると大人しくなるというか、何らかの変化が見られるのは確定かもしれない。

 まだ少しだけピリッとした緊張を持って二人の様子を見ていた来留芽はそんな考察をする。その視線の前で、松山は一歩ずつ柊に近寄っていた。


『謝りに。それと、誘いに来た』


 終わりの先の終わり方。その答えはもう松山の中にあった。

 柊は無言で立ち尽くしている。話が通じないわけではないのだ。……松山に限っては。だから、ここが正念場だと信じてもう一度深呼吸して気合いを入れ直し、口を開く。


『まずは……ごめん。俺は文珠のこと良く分かっていたのに何の助けにも向かわなかった。むしろ同調して文珠を追い詰めた。文珠が死んでしまってから本当に後悔したんだ。最後の会話が「みっともないから目に付くところにいないでくれ」だぞ? みっともないのは俺の方だ。集団で同じ意見を掲げることに酔って何も見えていない俺の方がよほど見苦しかった』

『ソンナコトハ……』


 柊は途中まで口を引き結んで固い表情を浮かべていたが、つい堪えられずに否定の言葉が零れ落ちる。しかし、松山は手のひらを見せて止めた。慰めを求めて言ったのではないからだ。


『ああ、否定しなくて良いから。あれは、あの俺の罪はこの先もずっと抱えていくつもりだから……文珠は何も悪くない。ただ、俺は“ごめん”ってずっと言いたかったんだ』


 昔の姿を取っているからだろうか。あの時に感じた後悔が、自分への怒りが腹の底から沸き上がってくる。恥ずかしさに身が焼けてしまいそうだ。幽霊に身があると言えるかどうかはさておいて。


『謝罪ハ、分カッタ。許ストハ、言エナイケド。……誘イニ来タトイウノハ?』

『一緒に行かないか、と言いたくて。つまり、うん、現世にしがみつくのは今日までにして俺と一緒にあの世へ行かないか、文珠』


 松山は右手を差し出した。この誘いを受けるか受けないかは柊次第だ。しかし、松山自身としては受けてもらいたかった。どうせ死出の旅路へと行くのなら心残りであった柊と一緒に行きたいと思ってしまったからだ。それに、きっと、向こうでも待っている人がいる。


『キット、天国ニハナラナイト思ウケド。私ト行ッタッテ良イコト何テナイ』

『別に俺は天国に行けるとか考えていないし。文珠はそう言うけど、たぶん俺にとっては文珠と行けること自体が良いことになるから』

『ナゼ?』


 不思議そうに首を傾げる柊に、松山は自嘲の笑いを漏らした。ちくりと小さな棘が心を刺す。

 ――ああ、痛い。痛いが、これは言わなくては


『完全に俺の理由になるぞ? ……文珠と行ければ俺の未練が晴れるんだ。俺は文珠が心配でこの学園にずっといたんだから』


 そこにあった想いはきっと恋だとかいう浮かれたものではなかった。しかし、死んでもなお気になってしまう程度には強い想いを抱いていたのだろう。

 果たして、柊文殊の答えは――


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