16 泡沫の約束


 ***



 STINAは四人の高校生で結成された音楽グループだ。最近になってじわじわとその人気を伸ばしている。この夏は大きい音楽イベントにも歌手として参加できるまでになった。


「いよいよだな……」


 穂坂は気合いを入れるようにグッと拳を握る。誰にともなく呟かれたその言葉はメンバーがしっかり聞き取っていた。ノブ、ユーリ、シュウ……既にSTINAとしての顔になっていた三人は拳を突き合わせてにやりと笑う。


「怖じ気ついたの? 我らがボーカル」

「んなわけねー。ワクワクしてるだけ!」


 三人の意図することが分かったルイは自分の拳を空いていた一方に合わせた。


「夏らしいその気持ち、思いきり歌に乗せてくれ、ルイ」

「もちろんだ! ……で、ユーリは何かあるか?」

「全部言われちゃったんだけど!」


 緊張など吹き飛ぶほど、四人は笑い合っていた。彼等は互いに拳を軽くぶつけ、空へと伸ばす。


「よし! 行くぞ!」

「「「おうっ!」」」


 ライブ会場では予告していた新曲への期待も熱気となっているようだった。新曲、ライブ、プライベートの素顔……有名になればなるほど今まで開示したことのない情報を求められるように感じる。しかしそれこそが、自分達が目指す頂点に一歩近づいたのだという実感となる。

 一歩ステージに上がるだけで気持ちの波に飲み込まれてしまいそうだった。大きな歓声、聞こえる呼び声コール、否応なしに高まる歌手の心。STINAはその熱にさらに燃料を投下していく。


「これがボク達の新曲……『泡沫の約束』!」


 新曲にはこの季節に合ったものを求め、また求められていた。しかし、この曲は夏にしては少しばかり穏やかでどこか幻想的なイメージが湧くかもしれない。今回はシュウが作詞を担当したのだが、彼の中にあった夏はまさにそうだったのだ。


 ――いつのことだろう

   あの夏を過ごしたのは

   大切な時間だった

   それなのに

   波間に消えゆくような

   Memory


   記憶は泡沫に

   遠く遠く薄れゆく

   けれどここにあるんだ

   この胸にきっとあったんだ

   君との約束が

   あの夏の約束が――


 シュウは思い出していた。あれはまだシュウがシュウになるずっと前のことだ。まだ幼く、両親の付属としての生き方しか知らなかった和泉秀のときに夢幻のような約束をした。あれがきっと今“シュウ”がここにいる一番の理由だ。

 世の中の道理というものを知り始めてからあの記憶は薄れてしまっていた。けれど、ずっと心の奥底にはあったのだろう。いつしか歌手が自分の夢となって、ルイ達と共に立ち上がったときに不意に浮かんだ“STINA”にはちゃんと理由があったのだ。

 世の中、解明などできない不思議はたくさんあるのではないか。その一端を知っているシュウはもう自分の遠い記憶を空想の産物として片付けることはしなかった。


 ――もがき続けながら

   ずっと見ていたのは

   飛び立つ夢

   叶わぬことだと目を逸らして


   いつのことだろう

   ひとつの歌がつなげたんだ

   君と僕の二人を

   青い海

   溶け込みそうな涙

   溢れて


   記憶は泡沫に

   遠く遠く薄れゆく

   けれど腕を伸ばして

   忘れられぬ夢追いかけて

   求めるのは

   いつかの約束――


 だからだろうか。シュウは見つけた。彼の心を掴む女性を。

 かつて、再会の約束をした人物がいた。遠い記憶に残るままの顔をした女性が二月ほど前の事件で知り合った少女と連れ立って会場に来ていることに気が付く。

 彼が視線を向けたのは極僅かな時間だった。けれど、確かに二人の視線は交わっていた。懐かしさ、喜び、期待……そして少しの違和感に不安。それは歌い終えてステージ裏へ戻ってもまだ心の中で渦巻いていた感情だ。

 秀は自分の心の上に手を置いてグッと拳を作った。


「どうした? 秀」

「ルイ。STINAという名前はさ、かなり広まっているよね?」


 歌い終えて裏へ戻り、つい立ち止まってしまった秀に気が付いて傍にやって来たルイにそう尋ねる。


「あー、まぁ、広まっていると思う。でなきゃあんなに応援してもらうことなんて無かったろうし」

「だよね……まだ上を目指せるけど、とりあえずは約束を果たしたことにしてもいいのかな……」


 秀は口の中でもごもごと呟くとふらりと歩き出す。そのよく分からない行動にルイはパチパチと瞬きして見送り……慌てて追いかけた。


「お、おい、本当にどうしたんだよ、秀……」

「うーん……とうとう約束の時が来たのかなぁってところ。今夜が少し楽しみで……少し怖い」

「今夜って……古戸さんに会うことが?」


 その問いには曖昧な笑みが返ってきただけだった。どうも言う気がないようだと判断してルイはそれ以上聞き出すことを諦めた。秀が何を怖がっているのか、それは今夜分かるだろうと思ったからだ。


 その夜。オールドアが夏休暇の後半を過ごすために借りていたコテージに四人の人影が立ち寄った。彼等を出迎えたのは来留芽と細だ。


「こんばんは。来てくれてありがとう、穂坂くん」

「ばんわー。いや、急だったもんでちょっとびっくりしたけど、普通に時間は取れたし。っていうか何で京極先生がいるの? ドッキリ?」

「まさか」


 来留芽は文明の利器で彼に連絡していたのだ。突然すぎたかもしれないと思ったが、夜にコテージへ来ることを快諾してくれた。ただ、彼等にどこまで話すかはまだ迷っている。彼等は以前にこちら側に関わったことがあるが、そのときは踏み込んだことは聞かれなかったし、話してもいなかった。しかし、今回はある程度説明が必要になってしまうだろう。


「京極先生はオールドアの社員だから」

「マジか。古戸さん、気が休まらないんじゃ……」


 夏休みまで教師が傍にいるとか、ゾッとするなどと言って自分の肩を抱き、穂坂は大袈裟に震えて見せる。細の眉間に筋が刻まれるのを見て、来留芽は思わず気が緩んでしまう。


「まぁとりあえず、どうぞ、入って」

「「お邪魔します」」

「「お邪魔しまーす」」


 来留芽は雑談を切って彼等を招き入れた。そして他の面々が待つリビングルームへ案内する。


「なぁ、古戸さん。先生来てないけど」

「邪魔が入らないように準備してるだけ。すぐ来るから」


 細は少し玄関に残って念入りに人払いなどの術をかけていた。今夜はもう彼等以外を招く予定はない。人だろうが、あやかしだろうが、邪魔を入れられては困るからだ。


「やぁ、君達がSTINAというグループ? ふぅん……なるほどね~」


 樹が階段からちらっと顔を出して穂坂達に声をかけると、何かに納得したように頷いて引っ込んでしまった。来留芽は肩をすくめると彼がオールドアの同僚であると言って彼の謎の行動を詫びた。謎とは言っても、来留芽はその理由を知っている。

 そして、リビングに来てその場にいたメンバーを紹介していった。社長の強面にはやはり四人とも固まっていた。最初に我に返った穂坂はお茶を運んできた少女の方に顔を向け、また驚いた様子を見せる。


「日高さんもここで働いているんだ」

「うん……最近になってからだけど……」


 恵美里がオールドアに入ったのは穂坂が来留芽達のことを知る前だったが、仕事中に二人が顔を合わせたことはなかった。学校ではあまりこの手の話はしないので、知らなくて当然ではある。


「そこに座って。わざわざここまで来てもらった理由を話すから」


 四人には適当に座ってもらって、来留芽も椅子を持ってきて座る。そして、今度はどこから話したものかと悩んだ。話す内容はまだまとまっていなかったのだが、気まずい沈黙を避けるために口を開く。


「とりあえず……ライブ、楽しませてもらった」

「おっ。来ていてくれてたんだ」

「ボクは気付いていたよ。車椅子の女性と一緒だったよね?」


 STINAの面々はそれぞれ驚いた様子を見せたりお礼を言ってくる。その中で“気付いていた”という秀の言葉に来留芽はゆっくりと頷いた。そして秀をじっと見る。


「そのことなんだけど、彼女について聞きたいことがあるの」

「ボクが答えられるものなら答えるけど」


 秀は戸惑いがちにそう言った。それに対して来留芽はそれで構わないと言うように頷く。

 さぁ、ここからだ。

 ここからつながりを明らかにしていく。


「まず……スティーナという名前に聞き覚えは?」

「あるよ」

「……それっておれ達のバンド名じゃん」


 秀が即答した後に、どこか拍子抜けしたような、なぜそのようなことを聞くのか分からず困惑した顔で穂坂は呟いた。


「ルイ。確かにそうなんだけどね、たぶん彼女が聞きたいことってそれじゃないんだよ」


 秀は首を振って見せる。それには穂坂だけでなく、ノブや悠里も困惑を隠しきれていなかった。


「じゃあ何だって言うんだよ」

「これは悠里達には通じない話だからちょっと黙ってて。……ねぇ、君が聞き出したいのはスティーナという名前ののことでしょ?」


 彼は来留芽をじっと見てそう尋ねた。“人”と言わず、“存在”と言う。彼は既に来留芽が問いたいことに気付いていると分かる。きっと思い浮かべている姿は同じだろう。


「そうなる」

「でもどうして人の姿だったの?」


 そこが疑問だった。長い間思い出せずにいた記憶だ。曖昧な部分もあるだろう。それでも彼女が人ではないことについては一番に思い出していた。

 何とファンタスティックな記憶だろうか。

 少し前までなら自分を疑っただろう。けれど、そういう世界があることはもう知っているし、自分はそんなユニークな記憶の改善が出来るほど愉快な性格をしていない。

 彼の記憶の中の彼女は間違いなく人魚だった。それがどうして人の姿で現れたのか。


「力を使ったの。短時間なら人の姿になることは可能だった」


 約束相手が和泉秀かもしれないと告げたら一度遠目にでも見たいと言われたのだ。丁度良く今日はSTINAがステージに立つ日だった。だから無理をさせることになってしまうが、ライブ会場へ連れていったのだ。

 来留芽はその動機を語る。


「実は、彼女は昔にした約束を果たしたいということで、その約束の相手探しを私達に依頼してきた。それで断片的な情報からあなたこそが約束相手ではないかと考えて今日はここに来てもらったの」

「そっか……うん、確かにずっと昔、スティーナという人魚と約束したよ。ボクはスティーナという名前を広めること、彼女はまた再会したときに歌を歌ってくれることをね」


 この言い方だと出会ったときの歌を要求しているとは考えづらい。しかし、一応聞いておいた方がいいのだろうか。そう思った来留芽は尋ねた。


「歌ってもらう歌は決まっているの?」

「いや……彼女の歌なら何でもいい。ボクは彼女の声に落ちたんだから」

「そう。それは良かった」


 来留芽はホッと息を吐く。これで、最悪の可能性は潰えた。あとは、彼女と彼が無事に再会できれば良いだけだ。


「……実は今、そこを出た先にスティーナが待ってる。彼女と会ってもらえる?」


 秀は虚を突かれたような顔をしていたが、すぐに笑みを浮かべて頷く。


「もちろん」

「じゃあ、恵美里、案内よろしく」

「うん、分かった……」


 テラスの向こうに消えていく二人を見送ると来留芽は口を出せずに黙っているだけたった残りの三人に向き直った。


「さて……いろいろ分からなかったことがあるだろうし、説明しようか?」

「ぜひ! 本当にもう……何が何だかさっぱりだからさ」


 今回のことは彼等も他人事ではなかったりする。スティーナの約束については和泉秀が重要人物だったが、問題は海坊主のレンから向けられていた呪いに近い憎悪だった。

 レンは大妖と言われるような強いあやかしだ。そういった存在が抱いた強い負の気持ちは時に呪いのような効果を持つことがある。もちろん、当人……当妖? の意図することではなかっただろう。


「たぶん、憎悪の対象となっていたのはスティーナという名前を預けられた存在という曖昧なものだった。だから、穂坂くん達に影響してしまった」

「ちょっと待って。影響したって……身に覚えはないけど」

「呪いがどんな形で現れていたのかは私も分からない。でも、大体はその人の不運という形になる」


 その言葉に三人はハッとして顔を見合わせていた。思い当たることがあったようだ。


「もうこれ以上悪くなることはないけど、きちんと祓っておかないと」

「それは秀も同じだったりする?」

「うん。ただ、彼についてはスティーナが何とかするらしい」


 そこで「俺らは?」と言っているような顔を浮かべた穂坂。そこへ巴が後ろから近付いてポンとその肩に手を置いた。


「こっちはあたしに任されているから、心配はいらないよ」


 そういうことである。来留芽も対処できないことはないが、今回は巴と社長が呪の浄化を引き受けていた。

 樹が準備した場へと三人は向かう。

 これで、レンが原因だった不運が彼等の身に降りかかることはないだろう。


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