7 夢をとらえて離さない鏡


 劇のリハーサルを観終えて、来留芽と八重は何とも言えない表情のまま拍手した。確かに白雪姫とアリスの物語が融合しており、なかなか面白かったと言える。しかし、ところどころ無理矢理な繋ぎがあり、そこが残念要素になっていた気がしていた。


「ふふっ……二人とも妙な顔になっているわよ」


 この微妙な気持ちを素直に言うのもどうかと思っていたのだが、すべて顔に出てしまっていたようだ。


「あっ……すみません」


 様子を見ていた白鳥先輩が声を上げて笑う。


「ふふ。例年の通り文芸部の脚本を使っているんだけど、今年は奇をてらおうとしてちょっと変な風になっちゃった感じね」

「そうなんですか」

「ええ。だからこそ、演技の腕が問われるのよ。私も舞台に立ちたかったわ。こんなに良い機会、この先にあるか分からないもの。本当に悔しいわ」


 軽く唇を噛んだ先輩の視線が向かうのはアリス役をしていた生徒だ。


「しかも……アレ、男だし」

「ええっ!?」


 視線は間違いなくアリスに向いている。つまり、アリス役をしている少女は少女ではなかったということだ。


「本当にもう……確かに高校生男子にしては小柄だし、まだ声変わりもしていないという貴重な人材よ? でも、私の代わりに選ばれたのが彼って……悪く言うつもりはないのだけど、いろいろと泣きたくなったわ。まぁ、確かに演技力はあるし、実は男子でしたというのもありきたりだけどインパクトあるから今は納得しているけど」


 来留芽と八重はもう一度アリスの方へ視線を向ける。彼女は彼だということだが、目は長い睫毛のぱっちり二重、ふっくらとした頬には淡く桃色をさし、薄い唇は緩く弧を描いている。どの角度から見てもたぶん少女で通るだろう。これは案外彼にとっては悲劇的なことかもしれない。オールドアの社員にも一人似たようなのがいたりする。彼にそのことを冗談でもネタにすると目が笑っていない笑顔で怒られるのだ。地味にコンプレックスとなっているらしい。言ったのが来留芽ではなく薫だったら手も出されるに違いない。


「彼? は一年なんですか?」

「ええ、そうよ。一年六組だったかしら」


 同じ一年なのか、と来留芽と八重は意外な気持ちで顔を見合わせた。そうして、互いに何も記憶に掠るものがないことを確認する。


「そんな個性の塊みたいな存在だったら注目するんだけどねー」

「まぁ、四月はいろいろ忙しかったし。八重にとってはあちらの方が印象に残っているからじゃないの」


 来留芽がそう言うと八重は口を結んで大きく頷いた。ここでは二人の間でしか通じない話題だ。具体的に何があったということは話さない。


「ああ、一年生は授業とか学校に慣れなくちゃならないし、部活も決める必要があって忙しいわよね」

「は、はい、そうなんです」


 八重が必死になって頷いているのを横目に見ていた来留芽はふと先程の劇のキャスト達が近付いてきていることに気が付いた。


「白鳥先輩ー!」


 先頭を駆けて来ているのはアリス(仮)だ。劇中よりも少し雑っぽくなっている。少なくとも、本家アリスの“良家の子女”らしさは消え失せていた。劇を終えたらただの人だということだろうか。もっとも、とても個性的なという注釈がつくのだろうから“ただの”とつけるのは間違っているのかもしれない。

 

「見ていてくれました!? どうでした? 頑張りましたよボク!」

「はいはい、見ていたわよ。まぁ、良かったんじゃない?」

「わぁい、先輩に誉められたー!」


 アリス(仮)は両手を上げてくるりと回る。子どもっぽい喜び方をしていた。それが似合っているのだから、高校生という現実を思い出すといろいろな意味で戦慄せざるを得ない。


「誉められたって、お前がねだったからだろ。本人目の前にしてぶつくさ言えるのは監督くらいだからな」

「そうそう。アリスが大変なのは分かるけど。短期間であれだけ仕上げてきたのは確かにすごいけどっ」


 アリス(仮)の後ろからやって来ていた王子様と黒猫耳青年が一回ずつそのふわふわした頭を叩く。


「……子犬属性まで備えているって何者? ……本当にこんな個性の塊見逃していたなんてっ。あ、でも千代なら知っているかも」


 八重は白鳥先輩にまとわりついたアリス(仮)を見て何か衝撃を受けたかのようによろめくとぶつぶつ呟き始めていた。子犬属性とは何だろうか。確か、以前に花丘に向けて年下わんこなどと言っていた記憶がある。何となく意味が分かるような……分からない、いや分かりたくないような。


「ところで、そこの二人は……古戸さんに常盤さん?」

「そうだよ! 舛田くん、意外と猫耳似合うね!」

「うっ……これは、その、乗せられてっ!」


 赤い顔になって頭についている猫耳を押さえた黒猫耳青年は同じクラスの舛田大樹という男子生徒だった。来留芽と同じく碧瑠璃祭実行委員になってしまった運の悪い人でもある。それはつまり来留芽も運が悪い、もしくは嵌められたわけで……と考えが続いてドロドロとした気持ちが沸き上がりそうになったところでその思考を切った。


「私達はね、心霊研のパネル展示用の題材を探しに来ているんだよ」

「へぇ。心霊研……あのホラー話さえ与えておけば大人しい変人研」


 恐らく、心霊研の印象を決定付けているのは会長だろう。小野寺先輩は結構まともだと思う。だから、ここまで言われるほどの何かを行ったのは会長で間違いない。北野も正直に言えば怪しいが、一年生なのでまだ大したことにはなっていない。


「ずいぶんな言い様だねー。というか、演劇部ではその認識がデフォなんだ」

「あ、ごめん。目の前で言うことじゃなかった」

「目の前じゃなくても……陰口はノーサンキューだよ」

「そうだね。ごめんね」


 舛田は普段教室ではあまり話さない印象だが、この場所ではよく話すようだった。部活の雰囲気でリラックスしている故なのだろうか。


「あ、そういえば二人ともさっきのは見ていた?」

「うん、見てたよ!」

「あー、その、感想とか……」

「うーん、正直に言うと少し無理な繋ぎ? があった気がするかな」


 来留芽も同じ感想を持ったことを伝える。それを聞いた舛田は頭を抱えた。


「やっぱりそうかぁ……」

「でも、アリスの物語が混ざっているのだから脈絡のない展開も夢らしくて良いのかもしれない」


 あの物語は夢オチが基本だ。そして、寝ている間に見る夢というものには整ったストーリー性はないものだと思う。


「つまり、ボク等がどこまで夢っぽい世界を演出できるかが大切なわけだ。何か燃えてくるね」

「そこで即座に前向きになれるのが有栖川のいいところだけど」

「確かにねぇ。これでも努力家みたいだし」


 舛田が力の抜けたような笑いを浮かべながら言ったことに白鳥先輩は頷く。


「わぁい、誉められたー」

「うん、少しは誉めてるけど、調子に乗るのは厳禁だから」


 演劇部の面々は流れるように会話を続けていたが、来留芽と八重はそこに混ざれずに顔を見合わせた。


「ええと、舛田くん、彼の名前って……」


 会話に割り込む形で八重がアリス(仮)を視線で示しながら尋ねる。


「有栖川のこと? あ、そういえばこの二人のこと、紹介してなかった」


 今思い出した、というようにぽんと手を打った舛田は二人と言ってアリス(仮)と王子様(仮)を指した。


「人を指差してはいけないだろう? 一応、私は君の先輩だからな?」

「いーたたたたたっ! 痛いですっ!」


 王子様(仮)は自分の方に向けられた舛田の人差し指を掴むと微笑みを浮かべたままその関節をぐいっと稼働部分の限界まで反らしていた。

 舛田に制裁を加えた彼は、来留芽と八重に向かい合うと優雅に礼をしつつ自己紹介をしてくれる。先程舛田に向けていた表情と行動が合っていないやり取りのせいで少し怖い印象になる。


「……紹介が遅くなったけど、私は美舞みますばる。二年だ。今回は王子様なんて役所やっているけど、一応性別は女だから」


 よろしく、と言われて差し出された手を唖然としたまま握り返す。まさかの性別に、自分の目を疑う気分だった。


「で、ボクは有栖川ありすがわ真澄ますみだよ。一年六組のメンバーで、アリスしているけど性別は男だから」

「えーと、失礼かもしれないけど、川だからアリスに選ばれた、とか……?」


 遠慮がちに八重が尋ねるとアリスこと有栖川はぷん、と頬を膨らませた。あざとい仕草が似合いすぎていてむしろ怖い。


「まさか。純粋に演技力があったからに決まってるじゃん。そうじゃなきゃ白鳥先輩に失礼だもん」

「まぁ、洒落も少しはあったと思うわよ?」

「えーそうですか?」


 有栖川は白鳥先輩の言葉に対しては一応聞く耳を見せるようだ。


「もちろん、演技力の評価が一番だと思うけど」

「ですよね!」


 そしてなぜかアリス談義が始まってしまった。そんな会話を後ろに聞きながら舛田は「あの二人は放っておこう」と言って来留芽達を窓際へ案内してくれる。


「それで、二人は演劇部の怪談話が知りたいんだったっけ。僕はあまり詳しくないけど、美舞先輩がよく知っているんだ」

「知っていると言っても二つだけだぞ?」

「あ、美舞先輩」


 先程まで白鳥先輩と有栖川のやりとりを微笑ましげに見ているだけだった彼女もいつの間にか近くにやって来ていたようだ。


「それでも良いので、話していただけますか?」

「もちろん、構わない。ああ、でも二人とも、もう心霊研の七不思議ツアーは行ったね?」


 その問いに来留芽と八重は縦に首を振る。会長や小野寺先輩は七不思議巡りなどと言っていた気がするが、おそらく同じものを指しているのだろう。何度か行われているそれのおかげで来留芽と八重はずいぶんと学園に詳しくなれた。


「だとしたら、……というか時間的にも私が話せるのは一つだけになるな。タイトルを付けるなら、そう……『鏡の世界』だろうか」


 美舞先輩は劇の道具が雑然と置かれている場所に目を向けると、演劇部に伝わる怪談を語り始めた。



 ―――演劇部には多種多様な小道具がある。この部が始まって以来の歴史があれらにも現れているのは見た目にも分かるんじゃないか。

 つまり、演劇部の小道具は古い物も多くて、曰く付きの物があったりするんだ。良くあるのは気が付いたら物の位置が変わっていたとか、倉庫をひっくり返すように探しても見付からなかったものがひょっこりと……まるで私達をからかうかのように目につく場所にあったとか、本当に他愛ないものだ。それらはまぁ、気疲れするだけで害はないから放っておいている。

 ただ、その中で唯一警告が共にある物があってね……それが、あの鏡だった。



 美舞は思い出す。あの鏡について警告された時のことを。



「なぁ、ええと……美舞、だったか。君は怪談話が好きなのか?」


 ちょうど去年の今頃だったように思う。彼女に王子様役のコツを教えてくれた先輩が何を思ったのか唐突に話しかけてきたのだ。


「はい。少し聞いてみたら、意外と面白くて。いつか私も小道具が瞬間移動したみたいなところが見られるかもしれないと思うともう今から楽しみで」


 美舞が目を輝かせてそう言うと先輩は苦笑していた。


「そうかぁ……楽しみ、ね。まぁ、演劇部の小道具瞬間移動もどきはそこまで危険に思えないから良いのかもしれないが、一つだけ気を付けてもらいたいことがあるんだ」

「気を付けること、ですか?」

「うん。ほとんどの小道具は問題ないんだ。けれど、あの姿見だけはね、少し……不穏だから気を付けて」

 

 どのように不穏なのか。先輩が言うにはどうしようもない願いを持ってあの鏡の前に立ったとき、心があれに囚われてしまうということだった。


「演技なら、いいんだ。あれの前に立っても。けれど、本気の願いを強く思いながら立ってしまったらもうダメだね」


 心が抜かれてしまって日常生活に違和感が現れる。見た目は本人なのに本人ではあり得ない印象になったり、ただ体が覚えている日常をなぞっているだけのような虚ろな状態になってしまうのだと言う。


「まさか……」

「噂だよ。……でも、通常に戻ることが全くできないわけじゃない」

「え?」


 ぼそりと呟かれたそれは、まるで自分が囚われていたかのような実感がこもっていて……。「戻る」と言ったときに先輩が浮かべた顔は、寂しさと諦観と虚しさが複雑に混じり合ったものだったことを美舞は今も忘れることができない。


「それでも――あれは夢を捕らえて離さない鏡だ。一度囚われたら大切な何かがずっと取り戻せないままとなってしまう」



 ああ、でも……と鏡について後輩に語りながら美舞は考えていた。

 感情が混ざり合っていたことは覚えているのに、どうしてその先輩の顔を浮かべられないのだろうか、と。酷く印象が薄いのは一体なぜなんだろう、と。


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