碧瑠璃祭之事

1 碧瑠璃祭実行委員


 鳥居越学園では五月の下旬に文化祭……碧瑠璃祭へきるりさいがある。一年生にとっては入学して一月ほど経っての大きなイベントだ。「そろそろ学校生活にも慣れてきただろうし、友達作りにも励むように」という学園の思惑を感じさせる。いや、それとも「いじめ良くない」をモットーにクラスで団結しなくてはならない機会をつくり、いじめ撲滅でも狙っているのかもしれない。


 来留芽が所属するクラスである一年一組も例外なく文化祭準備に向けた時間が取られていた。京極先生こと細は壇上に立って黒板の右端に“文化祭について”と大きく書く。そしてうん、と一つ頷くと振り向き、視線を少し彷徨かせた。生徒のテンションが非常に低く、その谷底にいるかのような空気に怯んだからだ。しかし、咳払いしてそれを誤魔化すと教壇に手をついて話し出した。


「あー、とりあえず実行委員を決めてもらう。立候補者はいないか? 男女二人ずつだ」


 文化祭は学年ごとにどのようなものを行うか決められている。一年生は展示、二年生は模擬店、三年生は舞台を利用した何かを行う。部活の方はいずれかを適当に、だ。内容はテーマに合っていれば各クラスで自由に決めて良いものとされている。ただし、被りがないように文化祭実行委員会で調整するそうだ。

 細の言う実行委員とは、この文化祭実行委員会で動く生徒のことを指す。当然のことながらクラスの出し物、部活の出し物と両方あるので実行委員になってしまうと輪にかけて忙しくなる。それが予想できるから誰もやりたがらない。

 教室はまるでそこだけ音というものが無くなってしまったかのように静まり返っていた。何も置いていない机の木目を数える人がいれば、鳥となって空に飛び立つことを夢見るかのように窓の外の青空を見る人もいる。共通しているのは決して教壇にいる細を見ようとしていないことだろうか。来留芽もまた、何となく教室の角が気になってそちらに視線を向けていた。


「うーん、困ったな……実行委員がいないと碧瑠璃祭に参加できないぞ?」


 細は困ったように頭を掻くと思案するように顎に手を持っていく。そしてニヤリと笑った。


「このままじゃ埒があかないから公平にくじ引きにしようと思う。いいな?」

「「「はーい……」」」


 細はいそいそと事前に準備しておいたくじ引きを取り出した。立候補者が出ないのはとうに予想済みだったらしい。彼が取り出したのはクラスの人数分の四つ折にされている紙が入った黒い袋だ。

 来留芽達は一人ずつそこから紙を取っていく。


「“あたり”が出たら実行委員だからなー」


 その言葉を合図として一斉に紙を開いた。かさりとした紙の音に続き、クラスのほとんどの場所で安堵の息が聞こえてくる。そんな中で、来留芽は手の中にある紙を凝視しながら固まっていた。


「来留芽ちゃん、どうだった?」

「……あたり」


 何も書かれていない紙をひらひらと踊らせながら尋ねてきた八重の目前に来留芽は“あたり”と書かれた紙を突き出した。


「あらら……どんまい」


 笑いながらの慰めに肩をすくめると来留芽は教壇へと向かう。当たった者は前に出るようにと言われたからだった。細は前に出てくる来留芽を見て小さく笑っていた。ムッとして睨んだが、何も気にされずに流されるだけだった。


「さて、これで実行委員が決まったな」


 来留芽は“あたり”を引いてしまったメンバーを確認する。男子の方は四月から交流のある花丘、そしてあまりよく知らない舛田ますだ大樹だいきという子だった。女子の方は来留芽と白鳥しらとり好絵よしえという子だ。

 舛田は長身ですらりとしている。普段は眼鏡男子だ。来留芽は彼について外見などの見た目しか知らなかった。一方で白鳥は来留芽と同じくらいの身長で授業中はいつも何かを描いていた。美術部の所属らしい。仲は良くもないが悪くもないといったところだろうか。


「さて、この四人が今年の碧瑠璃祭の実行委員となる」


 細はそう言うと来留芽達に予定表などをまとめたプリントをまるで表彰状を扱うようにして手渡した。そこへなぜかパチパチと拍手が起こる。手を叩いている皆は笑いと同情を半々に浮かべた微妙な顔だった。

 来留芽は肩を落として脱力する。苦労は進んで背負いたいものではない。


「ここからはこのクラスのテーマ決めにしよう。四人は司会進行役だ」


 来留芽達実行委員はプリントをパラパラと読み、概要を理解する。そこで、花丘が黒板に向き合ってチョークを滑らせた。

『テーマ』

 彼はそれだけ書いたあと、一転して興味を示し始めたクラスメートの方を向いてにこりと笑う。


「さて、去年のテーマは何だったか知っていますか?」


 どうやらクイズ形式にした遊びを交えて進めていくようだ。ただ決まっていることを話しているだけでは飽きられてしまうと判断したのだろうか。花丘が仕切る形になっているが、来留芽は別段異議があるわけではなく、それは舛田や白鳥も同様だった。


「知らないっての~」

「いや、俺は何か聞いたことあるぞ。確か……ミステリーだったかな」

「ミステリー? 推理もの? それとも不思議系?」

「両方だったらしい。けど、やっぱり推理ものってのが浮かびやすかったらしくて『迷探偵コモン』とか『金山かなやまはじめの事件簿』とか、競合が酷かったって」


 今年はそういった争いを最小限にしたいものだ。その方が余計な手間がなくてすむ。そのためには実行委員が如何に手綱を握れるかが肝心だろう。

 そう思った来留芽はちらりと花丘を見る。すると、視線が合って頷かれた。何に納得されたのか分からず首を傾げた先で、花丘は手を叩いて教室中の注意を引く。


「はい、そろそろ先に進めますよー」

「で、去年は何だったんだよ? 花丘」

「もちろん……ミステリーです。僕より皆の方が詳しい感じですね」


 にこにこと言われたそれに皆は脱力していた。細が教壇に立っていたときはどこかばらばらな雰囲気だったのに今は全員仲良く肩の力が抜けたようだ。


「じゃあ何で質問したし……」

「もちろん、ここからが肝心だからです。去年はミステリーでした。では、今年のテーマは何だと思いますか?」


 その質問にまた教室が騒がしくなる。今度は先程よりも若干話し合う人が増えていたからだろう。文化祭に向けてクラスがまとまり始めたようだ。


「花丘は立派な支配者になれそうだな」


 教室の様子を見て細が感心したようにそう言った。一応皆には聞こえないように声を小さくしている。教師が生徒に教えられることは意外とある。細はその辺りは柔軟に受け止める質らしい。

 聞こえていた(どうせ聞かせたのだろうが)花丘は苦笑すると控えめに反論する。


「カリスマなら経営のために必要な要素ですが、支配者は行きすぎですね」

「そうか。花丘だからありうると思ったんだがな」

「先生……一体僕にどんな幻想を抱いているんですか。やっぱり家のせいですか」

「まぁ、なぁ……」


 花丘は目の前の教師の中の花丘家が現実とひどく解離しているもののような気がして疑惑に満ちた目を向ける。しかし、細はそれに対して誤魔化すように笑うばかりだった。そんな教師にじとっとした視線を向けた後、ふと教室の方へ顔を向けて口を開く。


「はい、そこまでです!」


 そのテスト時の終了の合図のような掛け声に生徒は俊敏に反応した。一瞬で静まる教室に二つの笑い声が響く。後ろの方で見ていた鈴木先生と正面から様子を見ていた細だ。教師なのだから見慣れているだろうと思ったのだが、どうやら花丘の言葉なのに反応した点が面白かったらしい。


「は~な~お~か~っ!」

「普通に声を掛けただけだったのですが。それより、今年のテーマを発表します」


 さらっと抗議の声を流した花丘はカツカツとチョークを動かす。

 童話、と。彼は黒板にそう書いた。


「とりあえず、この時間中に候補を絞りたいですね。五人から六人一班としていくつか出してください」


 またざわめきが戻った教室を眺めつつ、実行委員は実行委員で話し合う。今日の碧瑠璃祭実行委員会に誰が向かうかという内容だった。


「全員の部活も考慮しなくてはなりませんね。まぁ、それはおいおいということで。とりあえず今日行く二人を決めてしまいましょう。部活はどこも休みのはずですから誰でも良さそうですし……」


 握った拳を見せた花丘に意図するところを察した来留芽達もまた握った拳を上げる。


「「じゃんけんっ」」


 負けた。

 その放課後、来留芽と白鳥は二階の中会議室へと向かっていた。参加するのは各クラス二人の実行委員に担当の教員が二人となる。


「失礼します」


 会議室のドアは開いていたのでそのまま中に入る。軽く見回したところ、来留芽達は割と早く来た方だったようで、会議室はまだ空席が目立っていた。


「好きなところに座っていいぞー」

「は、はい……京極先生っ」


 聞こえてきた声に来留芽は方眉を上げてちらりと見ただけだったが、白鳥は小さく飛び上がると頬を染めて返事をしていた。視線は緩い雰囲気で椅子に座る細に釘付けだ。

 来留芽は無言でそこから離れると適当な椅子に座った。それに気付いた白鳥がぱたぱたと追い駆けてくると隣の椅子に腰かけ、おずおずと上目遣いに様子見してくる。


「あ……古戸さん。ごめんなさい、ぼうっとしちゃってて」

「別に」


 素っ気なくそう言ったところ、白鳥が傷付いたような表情を浮かべたことに気付いて言い過ぎたかと焦る。決して傷付ける意図などなかった。


「白鳥さんは、何も悪くないから」

「そう、なの?」

「どちらかというと、京極先生の方が……」


 来留芽は視界の中に細を入れる。それに合わせてか、白鳥も細の方を向いた。視線の先では細がすでに数人の女子生徒に囲まれているという光景があった。


「……流石にあれは何とかならないのかと思って」

「ああ、確かに少し鬱陶しい気も……。でも、鑑賞するには先生っていい素材だから。まだ見慣れないのよね」

「白鳥さんからすれば先生は鑑賞用?」


 意外に思って思わず白鳥へ顔を向けた。同時に、先程見せた顔はどう見ても恋する乙女が混ざっていたけど、と内心で呟く。

 しかし、その隣で白鳥は細を眺めたままウンウンと頷いていた。


「あれは鑑賞用だよね。私なんかはきれいなものを描き残したくて美術部に入ったんだけど、専らモデルにしているのは京極先生なんだ。あ、許可はちゃんともらってるから」

「まぁ、造形はきれいな部類か……」


 許可のない盗撮もされていそうだが。細を見慣れている来留芽は今さらあの外面に惑わされることはないが、改めて客観的に見て人気の高さを思う。そして、問題となりそうな追っかけについてはしばらくそのままにしておくのだろうと考え、面倒なことをするものだと小さく呟くと肩をすくめた。

 それから少しして、碧瑠璃祭実行委員会が始まった。

 内容は至って普通のことだ。準備期間の説明に始まり実行委員が気を付けること、買い出しについて、この委員会が行われる日など。

 そして、最後にテーマ決めおよび一年生は場所決めとなる。


「……で、どうする?」


 学年ごとに集まったところで口火を切ったのは二組の東だった。彼は立候補して実行委員になったそうだ。こういうことに関してはとても積極性があるものだ、と少し微妙な気持ちになったのは来留芽だけだろう。この場に八重や千代がいればこの気持ちを分かってもらえたかもしれない。


「とりあえず、各クラス候補を絞ってきたのだろうし、擦り合わせよっか」


 こうして見るとやはり、定番のものは被る傾向にあるらしいことが分かる。シンデレラに始まり浦島太郎、人魚姫、一寸法師……。しかし、和洋どちらでも良いので被りなく決めるのは比較的簡単そうだった。

 被った場合はじゃんけんで決めることになる。三種類の手を順番に出しながら来留芽は思う。この場へじゃんけんで負けた人が来るのは何か間違っていないか、と。第一希望の展示テーマを目指すなら勝てる人が出るべきだろうに。


「「じゃんけんっ」」


 しかし、弱い来留芽でも何の奇跡か、第二希望の一寸法師を勝ち取れた。そして、場所については三階の渡り廊下前の空間となった。無駄に広いと思っていたその空間は碧瑠璃祭のときに活用されるものだったらしい。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る