鴉からの手紙

「私の母親は今年で76歳になります。


何度か体調不良で搬送されてますが、異常はありませんでした。


ですが、同じ年の人が近所で亡くなっている訃報を聞くたびに、自分の母親もそうなるのではないかと言う恐怖に襲われます。


実は昨日、親父と喧嘩をして壁を殴り飛ばしました。


母親が泣いて俺たちを止めてて、なんか悲しい気持ち…俺一体何やってるんだろうなと言う気持ちになりました。


私はそんなに心が広い方ではなく、前の職場で部下を殴り飛ばし、壁に蹴りを入れたり机を殴り飛ばしたりしたことがあります。


上司から咎められたときに、「俺には守るものがいないからいつ死んでもいいんだよ!」とキレて怒鳴ったら、「親という守るべき大切な存在があるだろう!」と説教をされた思い出があります、血気盛んな20代の頃のお話です。


母親はもう、数年もすれば平均寿命なので長くはないでしょう。


それまでに結婚式を開き、安心させてあげたいです。


孫の顔は見せられません、彼女の体質に問題があり、遺伝子疾患があるために作れません、それが気がかりです。」


親の死っていうのは通過儀礼かなあって思う自分もいます。

俺の場合。


もし母親が生きてた場合、俺はもっと弱い俺だっただろうし、今の年まで彼女出来てない可能性もあった。


そういう意味では自分にとって母親の死っていうのは、必要な要素だったってとらえ方も死んで5年たったくらいからは思ったなあ。


昔から死んだもんは仕方ないって人なんで、あんまセンチには考えてないっすね。


まあ、日本人は死を深く考えすぎてると思う。


もっと言えば暗い。


なんか前も話した気がするけど、メキシコの葬式とかパレードをするんだよ。

現世っていう枷から外れたわけだしね。


俺が死んだときはパレードしてほしいなあ。


きっと生まれ変わるし。


というかたぶん俺の前世、西郷隆盛だと思うんだよねぇ。顔似てるし。


あ、また鴉さんほおっておいて自分語りしちゃった。



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