第2話 窓枠の中・・・1
鍛錬場から王のいる紫水の間に行くまでには、いくつもの部屋を通らなければならない。その中でもアネストがひと際通りたくない間が一つあった。紫水の間にほど近い、神絨(しんじゅう)の間である。神話に基づいた物語が絨毯に描かれている広々とした間となっているが、特に使われる用途はなくアネストは中庭と呼んでいた。アネストは幼いころからその中庭が苦手だった。シャローの神獣、ライオンが大きな口を開け、若葉を飲み込もうとしている。植物の神キワクの神獣、羊が若葉の下で雨ごいをし、繁栄の神ルアンシエの神獣、ウサギがその耳を天まで伸ばす。太陽の神エディの神獣、猫がすべてを高きから見守っていた。他にも神々が存在しているが、アネストにとっては全てが気味悪くて仕方なかった。昔から苦手だった訳は、おそらく神獣たちに目が書かれていないことだけが全てではない。その絨毯が吹き抜けの上から1階の床まで、風になびくことなく鎮座しているその出で立ちもあるだろう。
その空間を出来るだけ見ないように足早に通り過ぎ、アネストはようやく自室へとたどり着いた。
「アネスト様!」
眉間にしわを寄せたままドアの前に立つと、柱の陰にいた男が声をかけてきた。
「クオ・・・」
アネストの部屋は小さな個室で、木の素材そのままの小さな机と、母セラヴィが用意してくれた深めのソファがあるのみだった。
「国王様のお話は、どういったものだったのですか?」
心配そうに見下ろすクオが、真っ白な手袋をはめ直して尋ねた。アネストはいまだ眉間のしわを寄せたままだ。脳裏にはあの剣の輝きと、左の口角だけを上げた国王の笑みが交互によぎる。
「これをな、返してきてほしいんだ。」
「・・・は、何をでございますか・・?」
「だから、この剣をだよ。」
「どこに、で・・・ございますか・・・?」
「決まってんじゃねぇか。戦いの神、シャローにだよ。」
そう放った国王の笑みは、アネストが見た中で一番意地悪い顔をしていた。
「・・おっしゃってる意味が、よく分からないのですが・・・」
震える左手を、自分にも国王にも見つからないようにぐっと握りしめた。
「物わかりの悪いやつだな。この剣を戦いの神シャローに返して来いって言ってんだ。」
その言葉に、アネストにもわかるように母セラヴィが動揺した。国王の元に一歩進み出たのだ。
「ジール様・・・」
弦が切れそうなその声に、ジール国王も左眉を上げざるを得なかった。母親に気遣われるのも恥ずかしく、アネストは必死に脳をフル回転させた。
「戦いの神シャロー様は、どちらにいらっしゃるのでしょうか。」
しかし、アネストはこの言葉が一番言ってはいけなかったことを瞬時に悟った。国王ジールが、両口角を耳まで届くのではないかと思うほど一気に釣り上げたからだ。
「戦いの神シャローの場所はな、アネスト。」
ああ、聞きたくない、と心の底から思った。
「誰も知らねぇんだ。」
事の顛末を全てクオに言い終わると、耐えがたい静寂が訪れた。
「何と言いますか・・・国王様も・・・」
ソファの背に首を預け、アネストは天を仰ぎ見た。
「あぁ・・・」
「お可愛らしいですね・・・」
「なんでだよ!!変態かお前は!!」
ひじ掛けを勢い良くたたいたが、それでもクオは笑いを止めなかった。
「それで国王様は、なんと?」
笑いを我慢できないクオを一瞥するが、睨まれてなおクオはいつもより楽しそうだ。国王の笑みで忌々しい記憶を呼び起こしたくなかったが、クオに逆らえないアネストは正直に答えた。
「あとは王妃に聞けってさ。母上だよりにしやがってあいつ・・・」
それを聞いたクオは、いったい腹に何を飼っているのか・・・腹を折って笑い出した。
「・・・をい、何がおかしい。」
「いえ、すみません・・・っ。王があまりにもアネスト様を可愛がりすぎていて・・・!」
常日頃はアネストにとって一番近しいと感じているクオだが、この時ばかりは理解不能だった。
「お前・・・頭どうした?」
一しきり笑い終えた後、クオは失礼と前置きして咳払いした。
「すみませんアネスト様。王は場所もわからないものを、王妃様に聞けと命令なさったんですよね?」
アネストは分かり切っていることを聞き直されることが嫌いだった。それを知っているだろうクオに、返事の代わりに無言でソファのひじ掛けに左ひじを乗せた。
「きっと王妃様にお尋ねになられたら分かると思いますよ。」
そう言ってクオはよそ向きの笑顔をしれっと浮かべた。
「ちっ。腹立つ笑顔が一個増えやがった。」
アネストは一歩後ろを歩くクオに聞こえるように吐き出した。
「は、左様でございますか?」
もちろん廊下の両脇で頭を下げる衛兵やメイドにも聞こえるようにだ。本当は靴底を鳴らして闊歩したかったが、毛の長い赤の絨毯がそれをやすやすと阻んでいた。
「まれに見るうさん臭さだったよ。」
王妃の部屋の前までたどり着くと、王妃付きのメイドが柔らかく腰を折ってドアから離れた。
右手の中指で軽く2回戸をたたくと、一呼吸おいて扉が開かれる。
「アネスト!」
「お母様・・・!」
扉を自ら明けて出来たのは、セラヴィ本人だった。
「お待ちしてましたよ、アネスト。さぁお入りください、本当にお待ちしていましたよ。もう。」
拗ねながらも笑顔を隠し切れないセラヴィは、アネストの手を引いてぐいぐいと部屋に連れ込んだ。クオは微笑ましそうに眺めながら、きちんと扉の方を向いてそっと閉めた。
さぁ座って、と瑠璃色のソファにアネストは押し込まれる。
「あぁアネスト、今日も可愛いわ・・・なんでこんなに可愛いのかしら・・・もっとお顔をよく見せてちょうだい。ぁあかわいい!」
セラヴィは愛しい息子の頬を両手で包み込み、その柔らかさを満喫した。
「・・・お母様・・・年頃の息子を可愛い可愛いと言うのは・・・」
本当なら手をどけたかったが、母に強く出れないアネストは精いっぱい眉間にしわを寄せながらつぶやいた。
「だって可愛いんですもの。抱きしめてもいいかしら?」
「よくないです!!」
反射的に応えるとセラヴィはぷぅっとほほを膨らませる。ぐっと言葉を飲み込みそうになるが、今日は言うことにしようと口を開いた。
「・・・そろそろ、スキンシップにご配慮くださいませんか。」
するとセラヴィは目を丸くしたかと思うと、アネストに顔をぐっと近づけてきた。
「もう、どうして母親が息子に触るのに遠慮しなきゃいけないの!」
「い、いやあの・・・」
「それに恥ずかしがっている年ごろのアネストも可愛いんですもの!いじりたいじゃないですか!」
「本人前にしていじる宣言しないでください!!」
付き合ってられない、とアネストは立ち上がった。
「お母様、今日はシャロー様の件についてお話を聞きに来たんです。」
背を向けて窓の外を眺める。ほんのり染まった耳を隠したかったからだが、もちろん誰にも隠せていなかった。その言葉に母セラヴィは、けろっと答えてみせた。
「あら、ジール様が仰ったとおりですよ。」
その言葉を耳で捉え、脳で理解するのに少し時間がかかった。上を向いて、下を向いて、首をかしげてから振り返る。
「・・・はい?」
ドレスのすそをさっと直したセラヴィが、一歩二歩とアネストに近寄る。
「神様の場所は、誰も知らないのです。」
今度は耳に届くまでの時間が遅く感じた。理解した途端、アネストは光りの速さでクオに詰め寄った。
「『きっと王妃様にお尋ねになられたら分かると思いますよ。』??????」
「申し訳ありませんてっきり国王が王妃様にヒントを託されて」
「うさんくせぇ笑顔だったなおい???」
「国王様のいつもの照れ隠しかと早とちりいたしました申し訳ありません」
気が済まなかったのでひとまずクオのネクタイを最大限に絞った。
ガラスがはめ込まれた窓を見つめる。この国は悠然たる山々に囲まれていた。雲の飛ぶ空と、この城を見張る山と、目も合わぬ国民に睨まれているようだ。
「・・・しかし、それではどうしろと・・・」
クオはネクタイを直しながら床を見つめる。
しかしアネストの視線は変わらずこの国を守る山々へと向けられていた。
戦いの神シャローの居場所は誰も知らない。国王も王妃も知らない・・・国王が『誰も』と言ったということは、おそらく大臣も国民も知らない。しかしシャローから受け取ったという剣は存在している。神にたどり着くためには、剣の過去を紐解く必要があるのか・・・。
アネストは窓に木枠を指でなぞった。黒い革のグローブを通じては、その冷たさは伝わってこない。代わりに思考が漏れる。
「創世記の神話はこの王国の国民ならだれでも知っている“歴史”だ。なのに神は誰にも居場所を知られることなく1000年の間、もしくはそれ以上の間どこかで俺たちを見守ってきたのか。知ってはいけない何かがあるのか・・・。なら約束の1000年の時は、誰が数えどこから始まったのか。そもそも俺たちの国に、始まりの戦争はあったのか。」
思考が森のように分けても分けても奥底が見つからない。アネストは気づかないうちにふつふつと湧く好奇心に溺れていった。
「俺はまだ、知らないことが多すぎる。」
アネストの心の蠢きを知ってか知らずか、シャローの剣は誰の目にも触れることなくふわりとほほ笑んだ。
その時、王妃の部屋のドアが軽快に5回鳴った。
部屋にいた全員が振り返る。王妃のどうぞ、という声の後に、近衛兵が2名ドアを開けて姿を現した。
「失礼いたします。国王ジール様より、アネスト様にご伝言でございます。」
そうは言うが近衛兵の手には書状も何もない。アネストはクオと顔を見合わせると、嫌な予感しかしないと心の中で叫んだ。
「『おいアネスト、王妃と会ってる時間がなげぇ。さっさと剣を返しに行ってこい。』」
近衛兵の汗が半端ない。しかし続けて言うハートの強さを持っていた。
「『あとクオは俺の世話で忙しい。当たり前だがクオは連れて行かせねぇからな。』」
アネストは聞き終わらないうちに近衛兵の兜を蹴り飛ばした。
セラヴィが用意していたマントを頑なに拒み、漆の様な黒マントを羽織った。
「うっし。」
ぐっとグローブを握り気合を入れる。いつの間にか日は高く上り、目を細めたくなるほど照り付けていた。後ろから風の精がアネストの髪を遊んで通り過ぎていった。目に見えぬその妖精は、あっという間に城の門を飛び越え市街地を遊覧し、青い山脈やまなみの高みへと飛んで行った。
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