謁見  1.



「俺達は間違いなく前進しているのかっ!?!」


男が有らん限りの声量で前方に発した問いかけには、何も戻ってこなかった。


無理もない。


風はもはや気体ではなく、獰猛な物体となって襲い来る。


それが引き連れる雪の礫は、名手が放つ弓矢のように細く鋭く全身に突き刺さる。


猛吹雪が奏でる音色はまるで、途切れることのない幼子のか細い悲鳴にも、邪悪な野獣の断末魔にも聞き取れた。


仲間の姿が見えない。


いや、目を開けていられない。


顔面は凍りつき、鼻腔から侵入する雪と氷は喉元に冷気を誘う。


言葉のやり取りが叶う場ではなかった。


「……っくそ」


宿場で備え付けたサバトンが仇となり、雪に深く沈み込む足を抜くことさえ困難だった。


もはや肢体の感覚がない。


ここへきて、自然との死闘を繰り広げるとはよもや誰一人思わなかっただろう。




ハルスバード王国が更に領地を拡張したとの噂で盛り上がる商人を横目に、パンとスープで夕げを取っていたのは、つい数刻前のことだ。


繁栄した都市の商館では、集う遍歴商人達の会話が重大な情報源になることが多い。


自分達は商人とは程遠いものの、宿屋より商館を選んでは、ひっそりと情報を得る旅を続けていた。


「あれだなぁ、グリエルモ公爵の領地が根こそぎもっていかれたってぇ話でさぁ。なんでも、ものすげぇ強大な常備軍のおかげだってなぁ。ゆくゆくはグリエルモ公国は滅びるんじゃねえかって噂だぁ。まあよぉ、このまんまハルスバードが領土を拡げて……」


テーブルに食べかけの果実を転がしたまま、顔面が赤膨れた中年の舌はとうとうと回る。


「おれも知ってるぞ! ハルスバードの姫様がそれは麗しい美貌の持ち主だってことをな! ……お目にかかったことはねぇが」


「そんなことより、驚くべき報せがあるぞ。これは、従兄のパオロが嫁を貰うよりも更におったまげる報せさ」


「パオロって誰だぁ?」


「パオロは捨て置けよ。おい、その報せってなんなんだ?」



「ハルスバードに、執鋭のドラゴン=シールダーが来る」



高齢の男の言葉に、場が静止した。


赤顔の中年が、右手の酒をカタンと置く。


それと同時に、ダンクスの前で共に聞き耳を立てていたアランは立ち上がった。


  アランの背中に素早く右手を伸ばし、ダンクスが声を低くする。


「何をする気だ?」


「道を聞くんだ。あれだけ詳しいのなら、近道の一つでも知ってるだろ」


「……」


黒檀こくたんの瞳を真っ直ぐに見つめても、そこには言葉以外の何物も含まれていないことが、ダンクスには分かる。


含まれていれば、嫌でも分かるという事を知っている。


もう止めはしないと、右手を下ろした。



「ハルスバードへの道は、ここから遠い?」



アランが声を掛けたのは、赤顔の中年だった。


自分の舌を止める原因となった飲み仲間から、のっそりとアランへ首を捩よじる。


錆び付いた歯車が難儀に動くかのようだ。


アランを足先から頭部までのっぺり舐めるように観察した後、半ばまで伏せかかった目を、更に細くした。


「なんだぁ、小僧。お前さんのような若僧が、ハルスバードに何の用だぁ? あすこはなぁ、聡明なドルイドの聖地だ。お前さんがドルイドの教義を修得するのに何年かかるだろうなぁ? 生きてるうちに叶えば……」


「北回りで行くと、カンザニフス山脈を越えることになる。南回りだと、砂漠だ。俺達が持っている地図によると、どっちの道筋も距離はさほど変わりないと思う」


「……あ、あぁ? まあ、そうだわなぁ」


赤顔は首を小刻みに縦へ振った。


「距離に変わりがないのなら、険しさで決めるしかない」


「そりゃぁおめぇ、砂漠は過酷だぞ」


椅子に片膝を立てて億劫そうに果実をかじっていた男が、ゆらゆらと首を左右に降った。


「砂漠は簡単には越えられん。それなりの蓄えが必要だ。しかも灼熱と極寒を共に持っていやがる。暑い暑いと文句を垂れてりゃ、夜にはブルブル鼻水垂らして凍え死にだ。それに、砂塵もある。砂嵐に巻き込まれでもすりゃ、たちまち方角を見失なっちまう」


「なるほど」


アランは腕組みし、次にはテーブルに居並ぶ三人の顔を眺めた。


「ならば北回りがいいんだな」


赤顔を含めた三人は、互いに顔を見合わせて首を傾げ、唸りとも鼻息とも分別出来ぬ息をつく。


無遠慮に宴を侵害した青年に難を示すどころか、促されるままハルスバードまでの道程に頭を捻る男達が、ダンクスには滑稽に映る。


がしかし、それもいつもの流れだと、ダンクスは威勢良く立ち上がってアランの傍らに寄った。


「カンザニフス山脈か砂漠か」


「山脈だ」


「そうだ、北回りがいい」


「今はハルスバードの勢力が安定しとるから、山賊も出やしまい」


「分かった」


「しかし、噂通りだとすれば、お前さんらは大変な時期にハルスバードへ入ることになりゃぁせんか?」


「というと?」


ダンクスは問い返す。


立ち去ろうとしたアランの足も、静かに止まった。


「執鋭のドラゴン=シールダーだよ。あの噂が本当なら、城も街もお祭り騒ぎになるだろうさ。お前さんらのような異邦人は、入国が難しくなるかもなぁ」


「肝に命じておこう」


アランが短く答えてダンクスを促し、二人は礼を述べて商館を後にした。




今となっては、アランを呪うべきなのか、商館の商人達を呪うべきなのか、肺までもが凍り付きそうな猛吹雪に遠退く意識を、何としてでも繋ぎ止めようとダンクスは歯を食い縛っていた。




山道に差し掛かった辺りまでは、食料となる果樹に鳥が囀ずり、跳ねた川魚の目映い煌めきに目を細め、足取りも快調だった。


やがて勾配が激しくなるにつれ、視界から徐々に木々が消えた。


植物が失せると、生物の気配も消えた。 土を踏みしめていた鉄のサバトンは、次第にゴツゴツとした岩肌を迎えた。


頭上の装いも不吉に蠢き、青から灰へと転換した。


そして気が付けば、前後左右の見境が無くなっていた。


「おい!! みんな無事かっ?!!」


ダンクスは再び声を張る。


既にはぐれたのだろうか。


いや。自分が正しい方角へ進んでいるのかさえ怪しい。


もしやはぐれたのは自分で、仲間はまだ青空の元、自分の行方を探しているのかも知れないとも思えてきた。


ダンクスは初めてサバトンを止めた。


僅かの躊躇の後、直ぐ様頭を振って一歩踏み出した。


迷っていてはいけない。


前に進まねば変化は訪れない。


全身全霊を奮い起たせ、更に一歩を進むべくサバトンを抜いた、その時だった。



吹雪が止んだ。



  辺りが一瞬にして静寂に覆われた。


天から大釜の蓋がかぶされたかように、雪が途切れた。


前方の視界が開ける。


「アラン! フローリア!! 無事だったか」


凍りついた仲間の背中は、ダンクスの想像よりも近くにあった。


「あんた達が仕入れてきた情報って、要するに、酒場で盛り上がってコインを投げて裏表で決めた結果のような軽薄なものだったわけよね。おかげで、鼻の穴までコチコチよ」


「め、面目無い」


身に纏うローブと同じ錆鼠色さびねずいろの瞳が、アランとダンクスを一瞥した後、雪にまみれた頭を振ると、薄萌黄うすもえぎの豊かな髪がゆっさりとなびく。


アラン達には同行せず宿屋に残って休養していたフローリアは、この予期せぬ困難な旅路に静かに憤慨していた。


「あ、あれはアランのいつもの、策より足が先に出る……」


「アランの気性を心得ているなら、なぜ止めなかったの」


「止めようとしたが、それを止められてだな」


「そんなことより辺りの気配に集中しろ」


アランの鋭い言葉と同じくして、足元の雪が動く気配を感じた。


影だ。


巨大な影に囲われている。


よく見るとそれは、不規則に揺れている。


咄嗟に頭上を仰ぐと、影の正体が見下ろしていた。


「……あれは……?!」


「こっちが問いたい。あれは一体何なんだ。吹雪が止んだのも、あの身体が空と大地の狭間に割って入ったからに過ぎない」


「……なんて大きいの……」


フローリアが息を飲む。


灰茶色の歪な人形。


全身が土に覆われ、手足もそれなりに形取られているが、顔とおぼしき部分には何もない。


なによりそれは巨大で、吹雪を巻き起こす雪雲をも突き抜け、三人の背後から眼下を見下ろしていた。


「……あれは恐らくゴーレムよ」


「これが噂に聞く……。しかし奴には、自己の意思が存在しないと聞くが」


「自己の意思というより、造り出した術師の命令こそが、ゴーレムの意思なのよ。でも、なぜこんな所に? ハルスバードへの道を塞ぐよう命じられてるとでもいうの?」


「いや。商館での情報には一切上がらなかったんだ。山賊とゴーレムとでは、話にならない。砂漠は自然との戦いだが、化物が相手となると遍歴商人の旅もお手上げだろう」


アランの否定に、二人は顔を見合わせる。 やがて驚愕の眼差しでアランを振り返った。


  「と、いうことは? つまり、このゴーレムは私達を阻止しているっていうの?」


「誰かが、どこかで」


宙を鋭く見据えて独りごちたアランの横顔を、ダンクスは横目に映した。


この黒檀こくたんの瞳は、いつも得体の知れない何かに挑んでいるように見える。


アランがこちらを振り返ると同時に、ダンクスは視線を然り気無く流した。


「フローリア、援護を頼む」


「ええ?!」


「魔術は封印しておけ。吹雪で落ちた体力と精神力ではマナを集めることが困難だ。俺とダンクスの間に立っていろ」


「え、援護って、私はまだ治癒の扱いには慣れていないわ」


「いいさ、今のフローリアの程度があれば、十分だ。ダンクス」


「おう」


「フローリアを守れ」


「お前は?」


問われたアランは、上空を見上げた。


「ゴーレムを操るほどの高位術士が、何処かで様子を窺っているのなら」


緩やかに右手を天に伸ばし、背中の鞘をしなやかに握った。


鞘がアランの右手に導かれたようにさえ、ダンクスには見えた。


「望み通り、脅威となってやる」


言葉と同時に抜き放った剣の切っ先を、高々とゴーレムへ向けた。


「アラン。術で生まれた物は、術を破ることで消滅するわ。ゴーレムの身体の何処かに『emeth』と刻まれているか、そうでなければ札に記して貼られているはず。見つけて最初の『e』を消すのよ。『emeth』は真理、『meth』は死を意味する。必ず崩れ去るわ」



それに軽く頷いて見せると、アランは大地を蹴った。









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