[日記]触れてみる、そこから始まる

 あなたは普段から、何を作ろうとしているだろうか? この場にいるというのだから、ほとんどは小説なり詩なりだろうか。

 どちらも文字を扱う、という意味では同じもので、そういうならば黒板に書かれた文字も、付箋にあるメモさえも同じものである、と言えるだろう。その中にある性質は全く異なるが。


 さて、では絵を描いたことはあるだろうか? 多くの人が美術や図工という授業で、二点透視図の技法を使って、とかいう形で曲がりなりにも触れたことはあるのだろう。

 では、音楽、曲は作ったことはあるだろうか? いや、不思議とないことだろう。文字はひらカナ漢字と、英語は文法とスピーキング、美術は故芸術家どころか絵の具まで買わされるというのに、音楽は、不思議とないのではないだろうか?

 音楽を聞く、歌う、楽譜を読むはあれど、作る、というものは、志しがなければ決して体験はできないことであろう。

 かくいう私は、作ろうとしたことはあるが、作ったことはない、という経歴がある。


 それはフリゲ実況にはまっていたころだ。同時に、自分もこんなものを作ってみたいと考え、全てが私のオリジナル、なんてものに憧れるものだ。

 ただでさえ苦手な絵も、音楽も、シナリオもシステムも。全てがオリジナル。ディスイズマイワールドに執着していたときに、曲を作ってみようとフリーソフトを導入したのだ。

 ところが講座を見るまでもなく、ノートをひとつ置いただけで、開くことはなくなったのだ。それからはもう、曲の作成というのは試みてはいない。


 思えば、それは不思議なものである。

 オリジナルに憧れて、そのための要素を作り出そうとしたとき、それができないのだ。もちろん知識が、そもそもないし、楽譜も読めない(音程を一目で分かるとか正気じゃないと思っている)ということもある。

 思えば、創作というのはその遊びや試行があって初めて発展するもので、それすらもない状況からやろうとしていた、ということで、諦めるというのは必然だったのかもしれない。

 絵は、曲がりなりにも、挫折していたもののやっていた。小説は絵の挫折の影響でやっていた。ソフト開発は、生活の糧にしようと学んでいた。

 どんな形であれ、入り口を体験しておく、というのは大事なこと、ということだろうか。

 曲を作ろう、ともう考えてはいないが、今なら作ることが出きるのだろうか? どうなのだろう?

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