[ネタ]ツヨイとは?

 強さ、という定義が様々な物事に用いられるのは、昔からそうですが、単純に強い、弱いを判断するのって難しいんですよね。


 例えばダイアモンドを考えてみましょう。現実的に。

 炭素でできたそれは火で簡単に燃えるし、ハンマーで簡単に砕けてしまう。一方で摩擦などにはめっぽう強く、研ぐために用いられたりする。一概に強い、とは言いづらいですね。

 なんでもかんでも一長一短を持たせればいい、というわけではないですが、強いという一長だけをひたすらアピールするのはいかがなものかなぁ、と。まぁ、無双ものですよね。

 なんだろうなー。単に強いぜ、強いぜだけだと感情的な揺らぎというか、葛藤が接種できないんですよね。スカッとするよりも苦境に立たされている光景を見て初めて、応援したくなると言いますか。


 もとより論理的な推測ができるとか、感情を揺さぶられるとか、そういうのが好きですからね。書けるとは言ってませんが。

 いつからこんな偏屈になったんでしょうねぇ。多分、某転生シリーズゲームとかの影響がでかい気がする……ちょうど私が中学、高校の時代でしたからね。

 状況の覆りに感心したせいでしょうか。それ以来、エピソードは論理的に考えるようになってしまって。某姫の映画の評価は、論理はともかく、映像に加点を多くしていたり……。


 しかし論理的に考えるようになると、終盤の飛躍や逆転を作り出しづらいですね。まぁ、終盤の結果から必要なものを用意していけばいいんですけれども。

 というか、強いアピールってエピソードに必要なのかなぁ。相対的には必要だけど、絶対的には必要ない気がしますな。

 つまり、絶対的な神様の存在は要らないけど、目の前の敵を倒すだけの強さは必要、というところですね。ここにどうしてそうなのか、という点もあればなおよし。

 例えば動体視力がずば抜けてよくて、それに身体が追い付くとか。勘がよく働いてその通りになるとか。最近のアニメにありましたね。


 と、まぁ適当に語りましたが、負ける姿はそんなにストレスですかね? 私が自己投影しなさすぎるだけなのでしょうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る