[日記]奏で、歌うことはなく

 これがこうだから、これを設定して……。

 そうやってバーチャル空間にできあがっていく、大きくなっていくオブジェクト。ただの部品のひとつであるために、時間をかけすぎても仕方ないのは分かっているが、こういった小物というか、キャラを表す得物とか、そういうものに関しては、しっかりと自分で用意したくなるものである。

 これをこう動かすには、とか。あるいはどうやったらゴールであるのか、とか。

 ゲームというのは物理から初まり、論理から飛躍して複合したものへ、複雑な者ものへと変化していく。だが人間というのは退屈を嫌い、同時に予想通りになることを望む。

 それを考えると、ゲームというのは娯楽であると同時に、面倒くさいものだ。


 それはさておき、あれもこれも、こうしてああして、文字に起こしてと、いろんなものに気まぐれに右往左往しているのだが、どうにも作ろうと思えないものがある。

 それは音楽とか、曲とか、音関係のものだ。

 どうしてかそれらを作ることに魅力を感じないのだ。作ることができれば雰囲気作りを始め、欲しいと思ったものを流せるうえに、歌を乗せれば曲になる。私はボーカロイドとかが出てきた世代にはあるが、一度、触ろうとしたきり、作ろうとは思えないのである。

 知識がどうこうではないだろう。知ろうとも思えない。環境音が、遠くで、近くで、効果音が鳴っている。認識をしたきり、これを作りたい、と思うことはない。

 あえて言うならば、動画もそうだろう。こちらも一時期、ツールを使って作ろうとしたものの、編集もろくにしなかったろう。


 そこに共通するものはなんだろうか?

 どちらも日常にあふれるものだし、同時にゲームなりを作ろうとおもったときには、あれば困らないものだ。

 今思い付いた限りでは、それがそれ単体で終わってしまうものだから、と。

 効果音なんて見た目に合わせて鳴ればそれで終わりだ。曲は言いたいことを婉曲的に、悲劇的に、楽観的に流れていって終わり。動画も、景色が、文字が流れて終わり。

 だかそれは、あくまでも視聴者としての感想になる。作ることに際しては、流して終わり、などではないはずだ。試行錯誤を繰り返して、目的のものを目指している。それは変わらないはずなのだが……。

 なぜなのだろうか? 不思議である。

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