[ネタ]ざまぁなあざーっすっ

 タイトルは適当です。

 さて、「ざまぁみろ」というフレーズはごく自然に使っていますが、この語源は「様を見ろ」という言葉がなまってできたものだそうです。

 意味合いとしては、「自分の無様な姿を見ろ」と、なんとなくニュアンスも同じみたいですね。意味合いに大きな変化がないという言葉も、珍しいでしょうか。

 どうしてこのフレーズについて取り上げるか、といえば、カクヨム様のレビューイベントが、スカっとするざまぁ作品というテーマを対象に開催されているから、ですね。


 ざまぁ、といえば、遠回しの復讐が達成されたり、知らず知らずのうちに没落していく姿を見て悦にひたる、なんていう楽しみ方が主になりますが、お手軽といえばお手軽なコンテンツですよね。

 怒りというか、嫉妬と言いますか、こういうものは意識の中で増幅しやすい、なんてどこかで聞いた台詞ですが、これを解消するには、これを燃料に見返すだけの力をつけるか、復讐を果たすことで清算するか、の二つに分けられると思います。

 しかしまあ、力をつけるのって大変なんですよね。勉強しかり、トレーニングしかり、権力によって落とし込まれたところから、這い上がるのって、エネルギーを使うんですよね。

 それに比べると、文字をひらすらインプットとして想像する方が、明らかに楽ですね。基礎的な教養、というよりかは文字を読めればそれで解決できますから。


 私としては、嫉妬とかするだけエネルギーの無駄だと思うので、地道にあれやこれやとするだけですけれども、どうしてここまでジャンルとして広がったのでしょうか。

 先に触れたとおり、見下ろしてきていたものが落ちぶれていくのを見るのは楽しいでしょう。気分も晴れやかですが、なんだかんだ、それは物語の中のものなんですよね。

 それで感動する(この場合、感情が揺れ動くことを示す)といっても、それが自身にどういった影響を及ぼしてくれるのでしょうか。

 例えばある物語を視聴して、こんなものを自分も書いてみたい、となるのならば、まさしくエネルギー昇華ですが、この一時的なスカッと感は、果たして何かに昇華できるのでしょうか? こんなのなら私も書けるだろう、くらいの原動力にしかならないような気がするのですが、これは気のせいなのでしょうか?


 どうなのでしょう?

 物語としてあってもいいと思いますが、それらが全て良質な影響を与えてくれるのか、ということを考えると、私はあまり読む気がしませんね。

 そもそも、キャラに嫉妬や妬みなんてものは持たないから、なのかもしれませんけれども。


 さ、GW最終日です。

 皆さんは、いかがお過ごしでしょうか?

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