[日記]かつての思いを捨てながら

 えー、このアンバランス感は、頭がでかいからか。あと肩幅すごいから、少し縮小して……。

 イラスト。それは視覚に頼る人間が想像妄想を膨らませようと暇の編み出した表現の一種である。視覚による効果は絶大で、色で雰囲気を感じたり、大きさで距離を感じたり、ぼんやりと眺めただけで不自然を感じ取ったり。

 さて、ここで問題だ。

 いざイラスト、いや作ろうと思った画像素材でもいい。あなたはこれまで、どれだけをそれに捧げただろうか?

 多分、私はそんなでもない。小説の方が圧倒的に多いだろう。ライトノベルなんていう言葉が現れ始めた頃に、書くという遊びを覚え始めたこともあって、自然と半日、張り付いて台詞を書くなんていうこともあったろう。

 でも少なからず、描いていた。書いていた時期は、描いていないが。

 単純な遊びである。投函された紙やチラシを一枚ずつ裏が白紙かを調べ、そうなら、一ヶ所にまとめられ、そうでないなら資源ごみ。で、暇があればそれを取り出して、鉛筆を走らせる、と。

 しかしまぁ、子供のお遊びだ。その頃にとって自分の中の大半を占める像を真似て、描く。ひたすらに、描こうとする。

 そこでもし、頭の中の偶像をありのままに描けていれば、それだけで嬉しかったものだろう。しかし私はそうはならなかった。

 加えて、近くには比較対照となる描く人がいる。身内しかり、部活動しかり。そうなると惨めな思いが、どうしても湧いてきて、私は描くことはやめることにした。たまーに、いつもとは違う画材で描いてみる、なんてことはしていたが。

 なつかしいなー、えーっと、オラス、だったっけ。緑色、赤目、違う形の三対脚の緑のやつ。

 それでも多感な時期。比べがち。口下手だから、技術で、勉強で、なんて考えて、それで優れているアピールをしようとして。


 正直、私は半端者である。だがそれはきっと、誰もがそう思っているだろう。三日坊主という言葉があるくらいだ。誰もが中途半端。

 そして何年も経って、そんなものを気にしてても、何にもならないし、価値がないと理解して。私は作りたいもののために液晶タブレットを据えて、今日も起動することにする。

 半端者は半端者らしく、半端なところからリスタートしても、別にいいじゃん?

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