第6話 ヴェンディ・クルーズ
『それで、何を知りたいって?』
「ある鯨の情報です」
ハロの問いに対し、ヴァンは間髪入れず答える。本題に入ってもハロの声音はまだどこか面白がっているような様子だが、対してヴァンはそれに乗っかる余裕もない。操縦席から身を乗り出すようにして主張を続ける。
「知りたいのはここ二年間の情報です。この島のマザーコンピュータが記録したあらゆる情報から、どんな些細なことでもいい、手がかりを探して欲しいんです」
『膨大な量よ』
「分かってます!」
反射的に叫び返してしまい、ヴァンは唇を噛んでうつむく。三人の間に一瞬だけ沈黙が流れ、ヴァンの低い声がすぐにそれをかき消した。
「できることなら何でもやります。僕はどうしても友達を探さないといけないんです。どれだけ時間がかかっても諦めるわけにはいかないんです」
『そのためにわざわざあたしを起こしたわけか』
ふうん、とハロは平坦な声で相槌を打った。
リッツは操縦席のシートで少し小さくなりながら二人のやり取りを見守っていた。人の形すらしていない、そもそもどこが本体かもよく分からない機械を相手に真剣に会話しているヴァンの姿はまるで狂人だ。ロボットが人間と同じ心を持っているわけがないのに。薄ら寒いものを感じ、リッツは両膝を抱え身を縮めた。
「どうか、お願いします」
『友達を探す、ねえ。確かにマザーコンピュータにはあらゆる情報が集まってくるけれど、あんたたち人間は一人ひとり頭の中に機械のチップが埋まっていたりしないでしょう。役所が把握してる戸籍のデータぐらいはあるかもしれないけれど、外の島から訪れた人のデータなんて蓄積されているとは思えないわ。あたしたち鯨の出入りだったら通信記録があるけれど、そこからあんたの友達にまで行き着けるかどうか』
「いいえ、それでいいんです」
気乗りしない様子のハロに、ヴァンはきっぱりと首を振った。
「僕の友達は――製造番号1995番です」
『ああ、なるほど。目的は鯨の方なのね。それなら全く無駄ってわけじゃなさそうだけど……番号の他に分かっていることは? 寄港している可能性のある島とか』
「何も。二年前に別れてから彼女の足取りは掴めていません。島はいくつも渡りましたが、生きた人工知能と話すのは彼女以外ではあなたが初めてです。だから、どうかお願いします。当てもなく探し続けているだけじゃ、いつまで経ってもあの子にはたどり着けない。あなたの助けが必要なんです」
ヴァンは深々と頭を下げた。ハロが承諾するまで顔を上げるつもりはないのだろう。シートの上で三角座りをしながらリッツもハロの様子を伺うが、当然ながらそこにあるのは発光する板状の機械だけだ。表情どころか顔すらない相手ではどういう答えが返ってくるのか予想がつかない。
『この広い海で果てしないことしてるわね。いいわ、調べてあげる』
だから、ハロが了承したときにはリッツも内心ほっとした。ヴァンも明るい声を上げる。
「本当ですか!」
『どうせ暇だしね。時間がかかるから、待ってる間にその友達の話でも聞かせてちょうだい』
ぶうん、とヴァンの手元で板状の機械が小さく唸り出す。画面の上にはびっしりと細かい文字のようなものが浮かび、とても追いきれない速さで流れていく。マザーコンピュータの情報とやらが映し出されているのかもしれないが、ヴァンにもリッツにも理解できそうにはなかった。ヴァンは気が抜けたのかはあ、と大きくため息をつく。画面の上に乗り出していた身を引いて、操縦席で縮こまるリッツの隣でシートに背中を預けた。
「話って言っても、感動的なエピソードとか、手に汗握る展開とか、そういうのはないですよ」
『別にいいわよ。ずっと黙って待ってるのも気まずいでしょう』
「それなら、少しだけ」
ヴァンは上を向き、後頭部をシートにぽすんと埋める。どこを見るでもなく、ただ不自然なほど視線を上に向けたままぽつぽつと話し出した。
「僕が暮らしていた島では、市長一家が専用の鯨と港を持っていたんです。港と言っても小さなもので、小型の鯨一台でいっぱいになってしまうような大きさです。使い勝手が悪いのか、単に海へ出る用事がなかったのか、鯨も港もほとんど使われることはなく放置されていました。そこにいたのが僕の友達です。僕は家族も友達もいなかったから、同じ一人ぼっちの彼女と気が合って、仲良くなった。人目を盗んで彼女に会いに行くのが楽しみだった。僕にとってあの子と過ごす時間がずっと心の支えだった」
『なるほどねえ』
うんうん、と頷く頭のないハロが声だけで相槌を打つ。
『分かるわ。あたしたち人工知能って基本的に暇なのよ。どこかへ遊びに行くこともできないし、話し相手がいつもいる訳じゃないし。それを退屈と見るか寂しいと見るかは個体差が大きいでしょうけれどね。それで、その鯨はどうして行方知れずになっちゃったの?』
「僕を逃がしてくれたんです」
『逃がしてくれた?』
ヴァンがどう答えるのか気になってリッツは隣の彼女を見上げた。ヴァンが首をのけぞらせて上を向いているので、リッツには彼女の顔が見えない。わざと目を逸らしているのだろう。そう思い当たった途端いやに意地悪な気分になって、リッツは思いついたままに暴露した。
「こいつ、指名手配犯なんだよ。市長の娘を誘拐したんだって」
『へえ、そうなんだ。それじゃあリッツ、あんたも誘拐されてるの?』
「違う! そんなわけないだろ、ぼくはこいつが猫をかぶった悪人だって気付いて、追い出そうと」
「猫をかぶってるのはリッツの方だと思うけど」
「うるさいっ!」
『あはは』
「笑うな!」
リッツは拳を振り上げて抗議し、一拍遅れてその自分の挙動のおかしさに気付き手を下ろす。ヴァンのからかいに怒るのはともかく、ロボットを相手に感情的になっても仕方がない。
「指名手配されてるのは本当です。でも市長の娘なんてさらってませんよ。そもそも市長の娘は何年も前に亡くなっているんです。僕が島を追われるよりもっとずっと前に」
「え?」
『ふんふん』
淡々と話しながら、ヴァンは不自然に上向くのを止めて前を向いた。どこか遠くを見るような目で説明を続ける。
「理由は知りませんが、とにかく娘さんは亡くなった。そして市長の妻は娘の死を受け入れることができず、心を病んでしまったんです。そこで僕が連れてこられた。僕の顔は亡くなった娘さんにそっくりなんだそうです」
『身代わりを立てたってこと?』
「そうですね。市長は妻の病状がすぐに回復するだろうと踏んで、娘の死を対外的に伏せたまま影武者の僕を妻へ宛てがいました。現実を受け入れて妻が正気に返れば、僕を追い出すつもりだったのでしょう。でも……偽物の僕を前にした奥様は現実から目を逸らし続けた。僕を娘さんの名前で呼び、娘さんとして可愛がってくれました。本当の娘さんが亡くなって三日三晩泣き続けたことはすっかり忘れてしまったみたいでした」
『まあ、そうなるでしょうね。娘のそっくりさんに相手してもらって気が済むくらいなら、心を病んだりしないわ』
「ええ。奥様の病状は回復せず、諦めた市長は僕を処分しようとしました」
ヴァンの口から物騒な単語が飛び出す。リッツは落ち着かなげにシートの上で座り直した。
「僕は孤児で、家族も住むところもありません。身の危険を感じても逃げるあてがなかった。せめて最後に唯一の友達に会いたくて、夜中に市長の家を抜け出し港へ向かいました。僕の話を聞いた彼女はそのまま僕一人を乗せて島を出てくれたんです。わざわざ追手を差し向けられるとは思いませんでしたが、念のためできるだけ遠くの島へ向かいました。彼女は僕が暮らしていける島を一緒に探そうとしてくれたんです。でも、うまく行かなかった」
「……指名手配されてたから」
「そうだよ」
リッツが口を挟むと、ヴァンはあっさり素直に頷いた。
「市長の娘が亡くなったことはお屋敷のほとんどの人が知っていたでしょうが、島の住人のほとんどは何も知りません。まさか娘の影武者が逃げ出したなどと大っぴらに言うわけにもいきませんから、誘拐されたことにしたのでしょう。わざわざ指名手配までかけることはないと思いますけどね」
ヴァンは肩をすくめる。
「おかげで逃げ回っているうちに彼女とははぐれてしまい、こうして変装しながら手がかりを探しているというわけです」
『そっか。なかなか大変だったのね。早く再会できるよう祈ってるわ』
「ありがとうございます」
ヴァンはハロにぺこりと頭を下げ、言葉を失っているリッツを横目で見やる。
「そういうわけだから、番犬みたいに一所懸命噛みつかなくたって、僕はこの島の人たちを害する気はないよ」
「う、うん」
頷くリッツはやけにしおらしい態度だった。ヴァンは拍子抜けしたというように瞬きを繰り返し、声をかけようと口を開くが、同時に響いた高い機械音に遮られてしまう。
『終わったわ』
ヴァンは弾かれたように顔を上げた。揺れる瞳に隠しきれない期待が浮かぶが、続く言葉がすぐにその期待を裏切る。
『残念ながら、製造番号1995号がこの島に立ち寄った記録はないわね』
「……そうですか」
一転してしゅんと肩を落とし、ヴァンも俯いてしまった。三人の間にまた沈黙が落ち、ハロの明るい声がそれを破る。
『もう、二人ともそんな暗い顔しないの。まだ通信記録を検索しただけよ、できることはいくらでもあるわ』
「できること、って」
『例えば、海図のデータと鯨の航行記録から1995号の辿ったルートを推測するとか。この島の住人のうち、ヴァンがはぐれた島からやって来た人を探し、その人の来た道筋を遡っていくとか。海は広いんだから、闇雲に探したっていつまで経っても見つけられないわよ。少しでも可能性の高いところを探していかないと』
「なるほど……」
『さて、それじゃあんたたち、一旦帰りなさい。あたしはこれから情報が得られそうなデータベースを洗いざらい調べ尽くすわ。半日くらいはかかるから、明日の昼ごろにまた来てちょうだい』
ハロの声は心なしかうきうきと弾んでいるように聞こえた。リッツとヴァンは顔を見合わせ、リッツは嫌そうな、ヴァンは驚き嬉しそうな表情を浮かべる。
「もしかして、協力してくれるんですか」
『うん、どうせ暇だもの。目が覚めたって海に出られるわけじゃないし、面白そうなことには積極的に関わっていかないと、退屈で仕方ないのよ』
ハロの返事を聞いて、ヴァンの表情は輝いた。
「ありがとうございます」
顔をほころばせハロを見上げる。意図的ではなく自然にこぼれたのだろうその笑顔は穏やかなものだった。まだ開放されないのかと口をとがらせていたリッツはそれに気付きこっそりと目を見張る。服装も言葉遣いも少年を装っている彼女が、そうやって笑うとただの女の子にしか見えなかったのだ。
これはヴァンじゃない。ヴァンという名の硬い殻の下に隠れていた、ヴェンディ・クルーズという柔らかい中身が顔を出したのだ。親切にしてくれたハロに、機械にそれだけ気を許したのだ。密航を咎めず、温かい家で看病してくれた島の人たちには隠したままのくせに。
操縦室を出るヴァンの背中について歩きながら、リッツはそんなことをぼんやりと考えていた。
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