CAPTAIN-BREAD
オリーブドラブ
CAPTAIN-BREAD
黒ずんだ枯れ木が、膝を抱えている。
――それが「人」であることに気づくには、目の鼻の先まで近づかなければならなかった。
廃墟の隅に蹲る、木製の人形。一見するとそのようにしか見えないが、彼らは確かに「人間」の子供である。骨と皮だけで辛うじて「原形」を保っているような、極度の飢餓状態だった。
「ねぇ……」
「……ダメだよ」
彼らはすでに、正気ではない。自分達のために、数少ない食料を与え続けてきた両親さえ――今は「ご馳走」に見えている。
僅かに残された理性だけが、その選択を阻止していた。まだ餓死してから時間が経っていない両親の身体は、腐敗もしていない。
――今すぐ両親を喰らえば、あと何日かは生きられる。それは人間の尊厳と命を秤にかけた、究極の選択であった。
「そうだ。それは、ダメだ」
だが。彼らの前に現れた1人の男は、その決断を許しはしない。
子供達は生気を失った瞳に、自分達の前に現れたその男を映す。赤茶色に錆び付いた、無骨な強化服と鉄仮面に、己の全てを覆い隠した彼は――
「……さぁ、これを」
――その一歩を踏み出すたびに、全身から歪な機械音と蒸気を噴き出して。
懐から柔らかなパンを差し出すと、仮面の下で人知れず微笑んでいた。
◇
時代が進み科学が発展すれば、それは必ず
残された僅かな食料を巡り、人々は奪い合い殺し合う。その連鎖の頂点に立つ「陸軍」は約半世紀に渡り、民草の生殺与奪を握り続けていた。
――だが、その陸軍の精鋭である「
銃を握ることよりも、食料を握ることを選んだ、その「故障品」の
かつては陸軍最強の戦闘改人でありながら、銃を捨て軍を去り、飢えた難民に食料を与え続ける流浪の脱走兵。彼の者は今日も、誰かに一握りのパンを届けていた――。
◇
柔らかなパンが舌に触れ、そこから伝わる味覚が脳を通して全身に命を吹き込む。口の中に広がった塩味が、消えかけていた命に生の充足を齎す。
長きに渡る飢餓状態で、衰弱していた子供でも咀嚼できるほどに柔らかく。陸軍兵用の携行糧食として、高カロリーに作られているパン。
それは、陸軍でしか管理されていない「高級品」であった。
「出て来い、脱走兵! 食料強奪の常習犯め……今日こそ貴様を
そんなものを何百回と陸軍基地から盗み出しては、飢えた子供達に与えているのだから……当然、足はつく。
砂塵が絶えない廃墟だらけの
体長210cmもの鉄人達は赤い眼を光らせて、その全身に無数の銃器を備えていた。この国の人々を苦しめる、「暴力」の化身――特殊部隊「
「あ、ぁ……」
「……下がっていろ」
それは最早、日課であった。与えられたパンに齧り付く子供達を、廃墟の陰に隠して――赤茶色の戦闘改人は、自分を追ってきた陸軍兵達の前に現れる。
赤銅色に錆び付いた
「赤い装甲、胸部の十字傷……間違いない。ついに現れたなCAPTAIN-BREAD、戦闘改人の名誉を穢す『偽物』めが! よくも我々の前に堂々と――がはぁあッ!?」
「――食事中だ、静かにしろ」
だが。銃器の一切を持たない、たった1人の戦闘改人を相手にしていながら。完全武装された兵士の1人は、いきなり投げ付けられた盾を顔面に喰らい、昏倒してしまう。
フリスビーのように投げられた盾は追っ手の1人を打ち倒すと、反動で跳ね返り、持ち主の手元に帰ってきた。さながら、ブーメランのような挙動である。
「我々の知らない新装備か!?」
「違う、ただの鉄板だ」
「そんなバカな! 戦闘改人の装甲が、ただの鉄板で破られるはずがないッ!」
「戦闘改人の装甲とて、全てを完全に防護しているわけではない。
「ええい、うるさいッ! 奴を永遠に黙らせろォッ――!?」
そして、数多の銃器で武装された自分達に対する「当て付け」の如く。
赤茶色の脱走兵は、矢にも勝る速度で、彼らの懐へと入り込んでしまった。その体内で唸りを上げる機関部が猛烈に回転すると、それに伴う発熱が蒸気となって、ボディの節々から噴き上がっていく。
「なぁッ――!?」
「その動き、新兵だな。――もはや俺に割けるベテランなど残っていない、ということか」
刹那――銃を握るために造られた拳を、子供達を飢えから救うための拳で打ち砕き。鋼鉄の剛腕と豪脚が、立ち塞がる者達を蹴散らして行った。
如何に
「おのれッ――ぐぉあぁッ!?」
「さらばだ、
左肘に内蔵された歯車が超高速で回転し、擦れ合い――機関部に灯る高熱が、
盾の先端を利用したその一撃を受けて、舞い上がる最後の戦闘改人を追うように――右肘の噴射を利用しながら、「偽物」の脱走兵が跳び上がった。
「――
そして。最大火力の一撃を
「ぐぎッ――あぁあぁあッ!」
弧を描き振り下ろされた右の鉄拳が、肘から噴き出す噴射の推力を借りて。浮き上がっていた戦闘改人のボディを――真上から叩き潰す。
下から突き上げた敵を、さらに上から打ち抜く2連打撃。その威力によってひしゃげていく装甲は、さながら噛み砕かれたパンのようであった。
「わぁっ……!」
「やったあぁあっ! すごぉいっ!」
全ての追手を喰い殺す、弱肉強食の拳。身長193cmという、戦闘改人としては小柄な体躯でありながら――そこから繰り出される打撃の破壊力は、基礎性能で勝るV.Fの兵士達を穿つほどであった。
その雄姿に子供達から歓声が上がり――V.Fの戦闘改人達を撃滅した「脱走兵」もまた、彼らにそれだけの元気が戻ったことに安堵する。
蒼い眼を持つ鉄仮面の下に、絶世の美貌を隠して。怜悧な黒髪の青年は、珍しく笑みを零していた。
「……」
だが。居場所を知られた以上、長居はできない。それでなくても、彼には行かねばならない場所がある。
次の目的地へと視線を移す彼を、子供達は不安げに見上げていた。
「さて……」
「……行っちゃうの?」
「それが、俺の役目だからな」
彼のボディには、人体が飢餓状態に陥った際に
だが。そこに行くということは、陸軍基地に単身乗り込むことを意味する。
しかもそこには――「口減らし」と称して貧しい人々に毒ガスを撒き、大量虐殺を繰り返してきた羅刹の将軍が待ち受けているのだ。
陸軍内部からも「
それでも。食料が基地にしかない以上、避けては通れない。もとより、行くしかないのだ。
例え、すでに損傷が激しい胸部装甲の傷が、開いたとしても。
「……帰ってきてね」
「……あぁ」
彼によって飢えから救われた子達にはもう、祈ることしか出来ない。彼らの応援によって得た、
◇
今から約20年前。旅客機の墜落事故によってこの国へと舞い降りた、
両親の屍肉を喰らって生き延びた彼が、それが「禁忌」であると知ったのは。現地の言葉を理解できる歳になってからのことであった。
生きるため、より多く食べるため。
16歳で陸軍に入隊した彼は、戦士としての素質を見出されると――「戦闘改人」と呼ばれる人型兵器に改造され。機械仕掛けの兵士として、命じられるがままに戦い、奪い続けた。
身体が機械になったと言っても、それは強化服での戦闘に適応するため、全身の皮膚や筋肉をより頑強なモノへと挿げ替えたに過ぎず、基本的な生体機能は生身の人間と大差ない。故に彼らは、飢えを満たさんとするヒトの欲求を抱えながら、ヒトから外れた「力」を振るい続けていたのだ。
そして。その陸軍兵士としての日々は、矛盾の極致であった。
親を喰うのは悪いことだと教えた大人達が、上官達が。今を生きる子供達に、その選択を強いているのである。
彼らが説く「正義」と「悪」の境目は常に曖昧であり、不安定であった。
颯人がいくら命懸けで戦っても、胸に深い傷を負っても。この時代に生まれてきた子供達が、飢えから解き放たれることはなく。ただ「力」のある者達ばかりが、どこまでも肥えていたのだ。
――やがて、
そして。そのために自作したケトン体感知装置を自らのボディに埋め込むと、亡き両親の名から取って「
陸軍では子供達を救えず、親を喰うという「禁忌」を止められない。ならば、自分が彼らに代わりその過ちを止める。
この世に生まれ落ちてから、21年に渡る人生を経て――導き出した結論が、それであった。
無論、そんな叛逆者を陸軍は決して許さない。だが、誰に狙われようと、もはや叢鮫颯人という男は止まらないのである。
――親を喰うような真似を、子供にさせてはいけない。それが、まだ幼かった頃の彼に課せられた、最初にして最大の任務なのだから。
「……そうだよな、父さん。母さん」
故に彼は、どれほど傷付き壊れようとも。飢餓という「悪」が絶えぬ限り、己の使命に従い荒野を歩む。
旅客機の残骸で造った1枚の盾に、両親を始めとする犠牲者達の、
全ては――この先に待つ、真珠の如き命の群れを救うために。
――飢えに苦しむ子供を救う、という。どのような時代でも決して揺らぐことのない、不変の「正義」を遂行するために。
◇
2121年、4月。タンブルウィードが絶えず転がり、砂塵の嵐が吹き抜ける陸軍基地。
その全貌を見下ろしている司令室は、外の喧騒に反して静寂に包まれていた。
「――来たか」
だが。それが長く続くことはないのだと、司令官の座に就く男はよく理解している。
扉を破り、轟音と共に1枚の「盾」が室内へ翔んで来たのは、その直後であった。
一瞬で首を刈り取らんとする、殺意に満ちた奇襲。しかしその技を持ってしても、将軍の命を奪うには至らず――彼はたった2本の指で、己を狙う盾を挟むように止めてしまった。
「陸軍最強の君が、大尉止まりだった理由を教えてあげようか。……その燃え盛るような闘志と殺気を、いつまでも隠せないからだよ」
そして彼は、返礼として盾を指2本で投げ返してしまう。最初に翔んで来た時よりも、遥かに速いスピードで。
「――これから消える軍の階級など、何の価値もない」
「日本人の割には、謙遜というものを知らぬ男だな。しかし、君のそういう正直なところは嫌いではない」
その殺意の一閃を、「持ち主」は容易く受け止めていた。司令室へと踏み込む瞬間、自身に襲い掛かってきた盾を紙一重でキャッチした彼は、倒すべき仇敵との対面を果たす。
一方。そんな彼に背を向け、椅子から立ち上がった将軍は――ガラス壁から基地の惨状を一瞥していた。先程まで怒号と銃声が轟いていた基地には、戦闘改人達の「残骸」が死屍累々と横たわっている。
将軍の体内機関から常に散布され、司令室全体に充満している強力な毒ガスは、象ですら僅か数秒で死に至らしめる。その威力を以てすれば、どんな叛逆者も決して、彼の命を狙いになど来られない――はずであった。
あらゆる毒を遮断する装甲を持つ、戦闘改人の中から。その「叛逆者」が、現れない限りは。
「だが残念だよ、ムラサメ大尉。こうして会ってしまった以上、私は君を殺さねばならない。あとほんの数週間で、戦う必要もなくなっていたというのに」
黒と紫紺を基調とする、最古の強化服。その「骨董品」に身を包む白髪の男は、齢75という老境の身でありながら――220cmという長身と、強化服を内側から押し上げるような筋肉を備えていた。
己の命を狙う刺客に、背を向けたまま。残り少ない自身の「余命」を告げる彼に対して――最強の戦闘改人は、静かに口を開く。
「貴様に用などない。用があるのは、貴様が隠している
「ならば尚更、死に急ぐ必要などなかっただろう。君はもう少し、気の長い男だと思っていたが」
「貴様の死期を待っていては、飢餓に苦しむ人々が保たん」
「そうか。それは愚問だったな。君は昔から、自分を顧みない変わり者であった」
刺客は再び盾を投げ付け、将軍の首を狙う。膂力と体格で圧倒的に勝る将軍は、何度やっても同じと言わんばかりに、再び指で投げ返してしまうが――今度は刺客の方がローリングソバットで、さらに素早く盾を蹴り返した。
その一撃には、反応し切れず。老朽化した装甲を破り、盾の端が刃となって、将軍の腕に沈み込んでしまった。
「あぁ……それともう一つ、詫びねばなるまい。君はこういう無駄口が、何より嫌いであったな」
「心配するな。遺言くらいは黙って聞いてやる」
「……ありがとう。その御厚意に免じて、一瞬で殺してやる」
強引に盾を腕から引き抜いた将軍は、怒りを乗せた豪腕の一撃で――刺客の「得物」を、木っ端微塵に粉砕してしまう。
その拳の奥からは――錆び付いた歯車をはじめとする、老朽化した機関部の悲鳴が、絶え間なく滲み出ていた。
長きに渡り、絶対的な強者として君臨してきた自分の人生が、最後まで誰も敵わなかった「勝利者」という形で、終わろうとしているのに。
その幕引きを最後の最後で、「敗北」に染めようとする無粋な刺客に対して――彼は衝き上がるような怒りを露わにしている。
だが。凍て付くような彼の殺気を前にしても、刺客の表情に揺るぎはない。「勝ち逃げ」など許さない、と言わんばかりに。
――そして、次の瞬間。
CAPTAIN-BREADこと、叢鮫颯人と。GENERAL-VIRUSこと、ヴィルゴス・ロイドハイザーの。
戦闘改人同士の。血塗られた拳が、交わり合う――。
◇
そして、それから数週間後。
子供達の前に、
――やがて、戦闘改人が
23世紀を迎える次の時代へと、伝えられている。
◇
だが、当時。
陸軍の崩壊により、
貧困に喘ぐ別の国々で、
――そして。とある遠い国へと繋がる、国境線の前には。
「あんたのその赤いバイク、アーヴェイ・ラヴィッドソン製かい? 隣国の陸軍でしか使われてなかったレア物じゃねぇか、よく手に入ったな」
「これしか
「お、おぉ。……けどよ、あんた本気か? あっちの国はホントに何もねぇんだぞ。あるとすりゃあ、過激派組織と紛争と飢えたガキ共だけだ」
「それだけか」
「あぁ、それだけだ」
「そうか」
小さな検問所での入国審査を終え、黒髪を靡かせる1人の青年がいた。彼はブラウンの革ジャンを翻すと、弾痕だらけの古びたバイクへと跨る。
「なら、それだけで充分だ」
そのタンデムシートには――赤茶色の強化服、のようにも見える錆びた鉄塊と。山ほどのパンが、積まれていた。
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