第182話 凶神
『や・・闇ちゃん、もう・・良いから』
少年神が悪寒に震えながら声を絞り出す。少年神の腹部には黒い槍が突き刺さり、水中から生えている大樹に縫い刺しになっていた。
色とりどりの花が咲き乱れる庭園の中央に大きな泉水池があり、大樹が池の中央に聳え立っている。
本来ならば、見る者の気持ちを和やかにしてくれるだろう清らかな水と緑に満ちた庭園なのだろうが、花園には黒い槍が無数に突き立ち、その一本一本に庭園に連れて来られた女神達が串刺しにされ、無惨な有様で晒されていた。
池のほとりには、凶神が立っていた。
薄汚れた灰色のローブを身にまとい、筋骨たくましい左腕に、黒い槍を握っている。人のような姿を保っているが、ローブの右袖からは
凶神が左腕に握っている黒槍には、体の半分近くを喰われた女神がぶら下がっている。
『ご安心くださいませ・・私が必ずお助けいたします』
大きな戦斧を片手に、輪廻の女神が笑顔で応じた。
凶神の隙を突き、少年神が打ち付けられた大樹と凶神の間へ割り込むことに成功している。
ただ、その後の戦いは劣勢を強いられていた。
ここまで、戦斧と不気味な触腕の打ち合いが幾度か繰り返されたが、凶神は触腕を何本か切られただけでほぼ無傷だ。切られた触腕もすでに再生している。
一方の輪廻の女神は、漆黒のドレスの上から装備していた黒甲冑は方々がひしゃげ、肩甲も胴鎧にも裂傷があった。
どちらも、桁外れの膂力に加え、底知れない生命力、呪怨や瘴毒といった負の力を操る。似通った能力を備えているが故に、両者の間には根源的な力の差がある。主神に伍する存在格を持つ凶神と、闇の精霊から成り上がった輪廻の女神とでは、やはり凶神の方が地力で勝っていた。
それでも、輪廻の女神は怯む気配を見せず、重たい戦斧を軽々と振って、迫り来る触腕を打ち払い、飛来する黒槍を弾き飛ばして少年神を護っていた。
『・・ごめん、闇ちゃん』
少年神が不甲斐ない自分に歯がみし、何とか抜け出そうと震える手で黒槍を掴む。
しかし、凶神の黒槍は、神籍にある者を呪い続けた凶神の呪詛が凝り固まったものだ。無尽蔵とも言える神の力が失われ、衰弱を強いられている。触れる手が赤黒い炎に包まれて燃え上がり、少年神は苦鳴を噛み殺した。どうやっても力が入らないのだ。
元々は主神に向けられた黒槍だ。
それを、少年神が
『旦那様、大丈夫です』
さらにもう一振り。左手にも戦斧を取り出して握ると、輪廻の女神が凶神を見据えたまま言った。
『ここで退いては女が
一斉に襲来した触腕を豪快に戦斧を振って切り飛ばし、黒槍を跳ね落として、輪廻の女神が少しずつ凶神との距離を詰め始める。
今は凶神の距離だ。
輪廻の女神の得意とする距離はもう少し近い。
凶神と輪廻の女神の戦いは、互いに効果の薄い瘴気や呪怨による術技では無く、膂力による近接戦に移行していた。
『それに・・旦那様、援軍が来ております』
『や・・闇ちゃん?』
『旦那様の使徒ですわ』
戦斧を振り回しながら女神が言う。
『まさか・・シュン・・君かい?』
『そう・・シュンですわ!』
豪快な戦斧の一振りで、黒槍を跳ね返しながら輪廻の女神が言った。
『どう・・やって・・神界に』
少年神が弱々しく呟く。
『扉の向こうで、月神の子と戦っております』
『えっ!? それは、いくらなんでも相手が悪いよ!』
『月神の子など、女神を
『い・・いや・・月神だよ? 上位神の子を相手に・・人間には無理でしょ?』
少年神が
『そんなことより、庭園に女神を誘い出して、凶神に与えていたのは月神の子です。凶神を神界へ引き入れたのも・・恐らく、月神の子でしょう。討たねばなりません』
輪廻の女神が大胆に前へ出て、凶神へ肉薄した。
バオォォォーーー・・
不快げに声をあげて、凶神が上体を振る。引き裂けたローブの頭巾から
右腕部の太い触腕が横殴りに輪廻の女神を襲い、足下を狙って細い触腕が這い伸びる。
『力だけ強くなって・・知能を失ったの?』
輪廻の女神が首を傾げながら、大きく片足を上げて地面めがけて思いっきり踏み付けた。
途端、足下の影が鎌の刃のように形を変えて持ち上がり地表を這って伸びる凶神の触腕を刈り取る。同時に、横殴りに襲った太い触腕を左手の戦斧で受け止め、右手の戦斧で斬りつける。
凶神は食べかけの女神が刺さったままの黒槍を持ち上げて戦斧を防ぎ止めたが、輪廻の女神の蹴りが凶神の腹部へめり込んだ。
大きく身を折った凶神が、触腕と黒槍を滅茶苦茶に振って暴れながら噴き飛ぶ。
『旦那様、オグ爺はどうしました?』
あえて追わず、用心深く凶神の様子を見守りながら、輪廻の女神が少年神に訊いた。
『龍神の連れ子を相手にしてるよ』
『ああ、アレも来たのですね』
頷いた輪廻の女神に向かって、黒槍が叩きつけられた。地面を這い寄って来た凶神が触腕で黒槍を握って突き入れてきたのだ。
輪廻の女神が戦斧で
『主神の味方は?』
『5柱・・』
少年神が
『旦那様と私を加えて7柱・・少し淋しいですね』
輪廻の女神が嘆息した。
『獣神と月神が向こうに・・それで他の神も』
『そうですか』
輪廻の女神が笑みを浮かべて前に出ると、凶神めがけて戦斧を振り下ろした。
ドギィィーー・・
黒槍で受けた凶神が、触腕を伸ばして押し包もうとするが、先ほどと同じく、女神の足下の影から黒い刃が生え伸びて切断して散らす。
『さぁ~・・旦那様を苦しめた罰を与えましょう!』
輪廻の女神の口元が大きく弧を描いた。凄まじい勢いで黒髪が伸びて美貌を覆い、体を覆っていく。髪の隙間から赤光を帯びた双眸だけが覗くと、両手に掲げ持った戦斧から黒い靄が噴き上がり、眩かった陽光を遮って庭園を暗黒に包んでいった。
『や、闇ちゃん・・』
少年神が怯えた顔で声をかける。
『旦那様・・少しお待ち下さいませ?』
『は・・はい』
少年神が震えながら頷いた。
バオォォォォーーー・・
猛り狂った凶神が、無数の触腕を闇の中へ拡げ始めた。触腕の表面を赤く光る無数の筋が彩り、凶神の体そのものが大きく膨らみ始める。
クフゥーー・・
輪廻の女神の唇から吐息混じりの声が漏れた。
それを聴いた少年神が身を震わせた。
『体に大穴開けてくれた御礼もさせて貰わないとねぇ~? 危うく祠に逆戻りするところだったのよ?』
クフクフ・・と奇妙な笑い声を立てながら、輪廻の女神が体を大きく背後へ
身の丈が5メートルほどに膨れた凶神も、太い触腕に無数の棘を生やして殴りつけてくる。
ドシュゥゥゥゥーーー・・
激しい切断音が鳴って、太い触腕が切断されて舞う。
「神様・・」
不意に、少年神の近くで囁き声が聞こえた。
「神様・・」
『ぇ・・きっ、君』
大きな声をあげかけた少年神の口を手で押さえたのはシュンだった。
「槍を抜きます。声を出さないで下さい」
『ちょ・・うぎぃっ!』
再び、少年神の口をシュンが塞いだ。そのまま、テンタクル・ウィップを操って黒槍に巻き付けると一気に引き抜いた。即座に、回復薬を少年神に浴びせる。
「回復薬と呪祓いの薬です」
『あ、ありがとう・・助かったよ』
少年神が小さく息をついた。
その間、シュンは凶神だろう怪物と、輪廻の女神の戦いを見つめていた。
力と速さと再生力・・それだけに頼った殴り合いになっていた。黒髪を振り乱した輪廻の女神が戦斧で斬りつけ、凶神が触腕で殴りつける。
凶神が咆吼をあげ、輪廻の女神が笑い声をあげて至近距離でぶつかり合う。
『そうだ!・・月神の子は?』
少年神がシュンの横顔を見た。
「仕留めました」
戦いを見つめたままシュンが答える。
『月神の子を・・滅ぼしちゃったの?』
少年神の眼が大きく見開かれた。このシュンという使徒の天職は"砕魂者"だ。高位神であっても、蘇らせることはできない。神界にあっては、唯一、主神のみが可能な術だ。
『・・君の事だから、回収してるよね?』
「魂石ですか?」
『ボクが預かって良いかな?』
「アルマドラ・ナイトの強化にと思っていたのですが・・」
『ああ、まあ・・色々と事情があってさ。ちゃんと対価は支払うから頼むよ』
少年神が手を合わせて頼み込む。
「これは、主神様から教えて頂いたのですが、使徒戦の勝利者には報酬が出るそうですね?」
シュンは、戦いの様子を見ながら訊いた。
『えっ? う、うん・・そうだね。いや、忘れてないよ? ちゃんと渡すつもりだったし?』
「神様が御無事で良かったです。危うく、お会い出来なくなるところでした」
シュンがちらと少年神の顔を見た。
『うぅ・・そうだね! もちろん、助けてくれた御礼もしなくちゃね! うん、ええと・・君、どうやって神界に来たの?』
「見知らぬ神々に呼び出されました」
シュンは男神と女神の事を語った。
『ボクの使徒を召喚するなんて、凶神にだってできない芸当だけどな? 何かの神具を使ったんだろうけど・・そんな物があったかな?』
少年神が首を傾げる。
『ええと、その神は? どこにいるの?』
「仕留めました」
『・・うん、そうだねぇ。君だもんねぇ』
少年神が手で顔を押さえて嘆息した。
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10月25日、誤記修正。
どうしたました(誤)ー どうしました(正)
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