第151話 告白

「これが飛ぶということか」


 シュンは飛翔しながら呟いた。

 ユアとユナが自在に飛翔しながらシュンを追い越して行く。さすがは、大空の支配者を自称するだけのことはある。


 シュンはやや下方を見た。

 ユキシラが姿勢を整えながら緊張顔で飛んでいた。鳥の翼とは違って、羽ばたくわけでも風に乗るわけでもなく、ただ飛翔を念じるだけで体が空に浮かぶ。上昇も下降も、その"状態"を頭に思い浮かべれば、その通りになる。

 理屈では分かるのだが、飛んでいる自分を思い浮かべるという作業は中々に難しい。理屈で考えずに、自然に飛ぶ感覚を掴むまで、もう少し時間がかかりそうだった。


「シャボン玉!」


「空に泡がある!」


 高空から急降下してきたユアとユナが、器用に宙返りをしてシュンの左右に並ぶと上空を指さした。


「あれか?」


 2人が指さす先に眼を凝らすと、なるほど"泡"のような物が浮かんでいた。注意して見ないと気付かないほど、空に溶け込んだ色をしている。

 案内で飛んでいる闇烏やみがらすが大きな"泡"の周りを周回しながらシュン達の到着を待っていた。


「どのくらいの高さなんだろうな」


 シュンは地表があるはずの下方を見下ろした。

 闇烏やみがらすが迎えに来て飛び始めた頃は雨の中だった。やがて雨雲を通過し、さらに雲の中へ入り、また通過し・・今は雲がはるかな下方に見える。


「高度計を作る?」


「ムーちゃんに頼む?」


「高度計・・高度を測る魔導具か」


 これまで考えたことも無かったが、これからはそうした道具もあった方が便利だろう。


「・・大きいな」


 ユアとユナに急かされながら上昇するにつれて、小さな"泡"のように見えていた物の本当の大きさが判ってきた。


 直径が50メートル近い球体だった。

 表面が水の膜のようなもので覆われていて、内部を覗き見ることは出来なかったが、これがただの水の球であるはずが無い。


「こんな物が空に浮かんでいたのか」


 シュンは呆れ顔で首を振った。


 クァァァーー・・


 いきなり、闇烏やみがらすが大きな鳴き声をあげた。


『手を触れろと言ってるです』


 白翼の美少年カーミュが現れて言った。


「そうか」


 それが何の意味を持つのか分からないまま、シュンは右手のタクティクス・グローブを外しててのひらを水の膜へ押し当てた。


『神紋を確認しました。参道を開きます』


 どこからともなく中性的な声が響き、シュンから見て斜め上方で、水の膜に円形の空洞が開いた。


「入ろう」


 シュンは、ユアとユナ、ユキシラに声をかけて円形の空洞へと入った。

 瞬間、シュンはVSSを取り出して構えた。


「・・これは?」


 引き金を絞りかけた指が動揺する。


『おかえりなさいませ! 奥方様!』


 100体近い人形が整列して、一斉にお辞儀をした。それだけでも異様なのだが、その人形達は全てシュンが知っている"神様"にそっくりの等身大人形だった。水玉模様の半ズボンに、シャツや上着まで見事に作り込まれていた。


「・・奥方様?」


 シュンは、ユアとユナを見た。


「奥さん?」


「ワイフ?」


 2人がユキシラを振り返る。


「輪廻の女神様のことでは?」


 ユキシラが冷静な声で言った。


「・・なるほど」


 シュンは、やや硬い表情で人形達を見回した。振り返ると、案内役の闇烏やみがらすはどこかへ姿を消し、背後は黒い壁になっていた。

 空から入った場所は、円形の踊り場のようになっていて、正面には扇状に裾の拡がった階段が見える。人形達は階段までの道を作るように、左右に50体ずつ整列していた。繰り返しになるが、全人形が等身大の"神様"である。


「気味が悪いな」


 シュンが率直な感想を漏らした。


「愛が怖い」


「愛が痛い」


 ユアとユナが小声で呟いている。


「・・輪廻の女神、アリテシア様が、このほこらにある財宝を俺達に下さると仰った。聴いているか?」


 シュンは整列した人形達にいてみた。


闇烏やみがらすより伺っております。どうぞ、御自由にお持ち帰り下さいませ』


 入る時に聴いた声が響いた。


「場所は・・どこだろうか?」


 普通に考えるなら"神様"人形達の間を通って階段を上るべきだろうが、どうも人形の間を通ることに抵抗がある。


ほこらの中にある物全て、何でも自由にして良いとの事です』


 声が響き渡った。


「・・そうか」


 シュンは改めて周囲を見回した。

 闇色とでも言うのだろうか。背後と同様、周囲は黒々と霞んでいて物の形が判然としない。壁があるのか、床があるのか・・シュンの眼でも捉えきれなかった。ただ、"神様"人形が整列している間の道だけが、淡く光って浮かび上がり、中二階へ上がる階段を示している。


「行くか」


 シュンは手にしていたVSSを収納し、覚悟を決めて人形達の間へと踏み出した。



『奥方様、本日も美しゅうございます』


『奥方様、今日はまた一段と輝いていらっしゃいます』


『奥方様、美しい御髪おぐしでございます』


『奥方様、お召し物がよくお似合いです』


 左右合わせて100体の"神様"人形が、はにかむように頬を紅潮させながら褒め称えてくる。


 非常に重苦しい空気のまま、"ネームド"は沈黙の行進を行い、踊り場から階段を上り、中二階で折れ曲がり、二階に口を開いた大きな廊下へと入った。


 そこにも居た。

 "神様"人形が廊下の左右にずらりと並んで待っていた。


「・・信じられん」


 シュンが沈鬱ちんうつな表情で呻いた。


「これは反面教師」


「よい子は真似しちゃダメ」


 ユアとユナが怯えた顔で、左右からシュンの肘の辺りを掴んだ。


『おかえりなさいませ! 奥方様!』


 また、挨拶から始まった。


「・・この女神をあがめる宗教を作るのか」


 シュンが溜め息と共に顔を覆い、ユアとユナが左右からシュンの背を優しくさすった。

 そこへ、執事服姿の"神様"人形が進み出てきた。


『当ほこらには、奥方様のお部屋しか御座いません。御逗留なさる場合には、ご不自由をお掛けしますが、奥方様のお部屋にてお休み下さいませ』


 そう言って、人形がうやうやしくお辞儀をする。


「本や武具など納めた部屋はあるだろうか?」


 シュンは死人のような表情でたずねた。

 すると、執事服姿の"神様"人形が微笑んだ。


『当ほこらには、奥方様のお部屋しか御座いません。お探し物が御座いましたら、ご不自由をお掛けしますが、奥方様の部屋へお越し下さいませ』


「・・分かった。案内してくれ」


 どうであれ、"奥方様の部屋"へ行かなければいけないという事だ。


 熱の籠もった眼差しで見つめてくる壁際の人形達をできるだけ見ないように、先を行く執事の背だけを見て、シュン達は黙々と歩いた。


『こちらが奥方様のお部屋になります』


 執事服の"神様"人形が振り返った。言われるまでも無い。廊下の床から天井まで巨大な扉が塞いでいる。


「・・ぅ」


「・・ぅぇ」


 シュンの左右で2人が口元を手で押さえた。


「大きな絵ですね」


 物静かな感想が聞こえて、シュンは背後を振り返った。先ほどまでユキシラだったのだが、サヤリが出て来たらしい。


『こちらは、神様と奥方様が泉の畔で愛を語らっている場面になっております』


 執事服の"神様"人形が、わざわざ説明をしてくれた。


「・・そうか」


 シュンは眼を閉じて大きく深呼吸をした。

 巨大な扉一面に彫り込まれた"絵"は、生々しさすら感じさせて少し刺激が強いようだった。シュンには理解できない芸術性というものだろうか。


『では、扉に向かって愛をささやいて頂きます』


 執事服の"神様"人形が笑顔で言った。


「・・は?」


 深呼吸で落ち着いたはずの精神が乱れる。


『愛しているよ、おまえ・・と、お願いしますね』


「いや・・何を言っている?」


『扉の鍵を開ける魔法の言葉で御座いますよ?』


 執事服の"神様"人形が驚いた顔で首を傾げた。


「すまないが・・」


 シュンは代わりに言って貰おうと、ユアとユナを見た。


「言わざる〜」


「言わざる〜」


 2人が両手で口を押さえて背中を向けた。


「・・サヤリ?」


「私でよろしいのですか?」


 サヤリが前に出て来るが、執事服の"神様"人形が両手を拡げて立ちふさがった。


『困ります。男性に言って頂かないと! 向こう50年、閉ざされたままになってしまいます!』


 女性が言ったのでは、扉の封が解けないのだと言う。


「お役に立てず、申し訳ありません」


 サヤリが引き下がった。


「本当に、そんな言葉を言う必要があるのか?」


 シュンは、執事服の"神様"人形を見た。


『もちろんで御座います』


「・・そうか」


 シュンは、眉間のしわを指で揉み解しながら、呼吸を整えた。


『ささ・・どうぞ』


 執事服が笑顔でうながす。


「・・愛しているよ、おまえ」


 観念したシュンが感情の抜け落ちた声で呟いた。



「キャアァァァーーー」


「ヒャアァァァーーー」


 ユアとユナが両手で顔を覆ってしゃがみ込んだ。

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