18.女騎士とカラオケ

 ある日。


「♪ふんふふーん、ふんふんふふふーん……」

「……」

「♪ふっふふっふふーん……ちゃららちゃっちゃらん♪」

「……」

「♪らんららららんらん……へいっ」


 のどかな昼下がり。そんなゴキゲンな歌が室内に流れている。

 我が家の女奴隷、クローラ・クエリは干し終えた洗濯物をたたみながら小さな歌手を演じていたのだった。

 それを一緒に手伝いながら聞いていた俺は何気なく彼女に尋ねる。


「歌、好きなの?」

「ふゃっ? あれ、私歌ってました?」


 我に返ったように歌声を止めたクローラは、少し頬を染めた。どうやら無意識だったようだ。よほどノリノリだったらしい。

 彼女は目を泳がせながら、何故か頭を下げてきた。


「も、申し訳ありません! 奴隷の分際で許可もなく主の前で歌うなど……」

「別にダメだなんて言ってないよ。でも結構綺麗な声してるじゃん」

「き、綺麗だなんて! じょ、冗談はおやめくださいませ……」


 今度はますます顔を真赤にして目を伏せてしまった。そんな大げさに言ったつもりはないのだけど。


「冗談なんかじゃないって。クローラはワイヤードでもよく歌ってたりしたのか?」

「わ、私はそのぉ……まぁ、折に触れてというか……」

「そうなの?」

「酒場や娼館などでよく、労働の一環としてですが。でも楽しかったですよ?」

「奴隷って色んな事やるんだね」


 いや、「やらされる」の間違いか。選択権など無い、どんなことでも命令一つで従わなければならないのが奴隷だからな。ちょっと嫌なことを訊いてしまったかもしれない。

 だがそんなことは露程も気にしてないと言った様子で、クローラは続けた。


「私は前のご主人様に使える前は、本当にいろいろなところを転々としてましたので、それなりのことは経験しております」

「なるほど」

「そういえば、この世界にも歌というものはあるのですよね? でもクローラ達は街中で歌っている方達をお見かけしたことがありません」


 街中でって……ストリートミュージシャンとかなら駅前によく出現するけど、そんな公衆の面前でやるようなものでもなくないか?


「そんなことはありません、ワイヤードでは吟遊詩人の方や踊り子の方達が優雅に街で歌い、舞っておりましたとも。それに合わせて一般の方も大いに楽しんでました」

「へぇ~。結構賑やかで楽しそうじゃん。こっちとはえらい違いだ」

「ここでは歌がお嫌いな人が多いのです?」

「そういうわけじゃないけど、あんまり見知らぬ人の前で歌うのが恥ずかしいって人が多いんだよな」

「そうなのですか? 下手な歌声を披露するならまだしも、ずいぶんと奥手な方が多いのでしょうか」

「ワイヤードに比べりゃそうなんだろうね」


 俺は肩を竦めてたたみ終えた洗濯物を箪笥にしまい始めた。

 技量があるとかないとかじゃなく、人前でパフォーマンスしたりするのに必要とされるのは、協調性とノリの良さ。人見知りが多くて他人との距離感が露骨に感じられるこの日本じゃ、まず見ない光景だ。


「でもそういう意味だと、やっぱクローラは歌が上手だったんだな」

「え?」

「だってそれなりに上手くなきゃ歌い手なんて任せてもらえないだろ。吟遊詩人や踊り子だって、それ相応の腕前があるからやってけるんだろうし」

「そ、そんな私は……ただ……」

「ねぇ、今度はちゃんと歌ってみせてもらってもいい?」


 興味本位でそう頼んでみると、クローラの赤身が耳たぶにまで達した。そして慌てふためきながら手をワチャワチャと振る。


「そ、そんな! 恐れ多すぎます! 私めなんかの歌声など、ご主人様には耳障りでしたしょうし……」

「謙遜すんなって。本当にいい声してたし、どんななのか聞いてみたいからさ。ダメかな」

「あぅ……ご、ご主人様が仰るなら……」


 もじもじと両手の人差し指をつっつき合わせていた彼女だったが、やがて小さく咳払いをして。


「で、では僭越ながら一曲……お気に入りのを」


 待ってました。と俺はプレッシャーにならない程度に小さく拍手した。

 クローラは短く息を吸い込み、そして歌う。


 いや、歌おうとした。


 どういうことか。そこから実際に歌うまでに至る間にワンクッション挟んだ者がいたというだけだ。


「むっす~っ」


 頬をリスみたいに膨らませて、こっちを恨めしそうに睨みつけてくる女騎士が約一名。

 リファレンス・ルマナ(以下略)はベッドに横向きに寝転がりながら、こっちに無言の圧力をかけてきていた。


「なんだよリファ」

「ふん、歌なんぞに必死になっている様子が哀れだなと思っただけだ」


 まーた出たよ、こいつの喧嘩腰のクセ。いい加減にしてもらいたいもんだ。


「別にいいだろ歌くらい。必死になって何が悪いんだよ」

「歌だろうが音楽だろうが、所詮俗世の余興。余興は余暇に楽しむものであって、終始打ち込むようなものではない」


 そりゃ鑑賞側にしてみりゃそうだろうけど、楽しむには創り手が打ち込まなきゃ成り立たないだろ。何言ってんだ。


「マスターは、吟遊詩人や踊り子が、純粋に人を楽しませようとしてやってると思うのか」

「え? 違うの?」

「ぜんぜん違う。連中はどいつもこいつも『仕方なく』やってる奴ばかりだ」


 リファはベッドから上半身を起こすとつまらなそうに言った。


「肉体労働も、商売も、てんでダメな底辺が手につけた苦肉の策。誰でもできるようなことでちまちま食っていくしかない」

「底辺って……いくらなんでも偏見だろ」

「いえ、リファさんの仰っていることは真実でございます」


 俺が意見すると、クローラが静かに補足した。


「音楽や踊りなど、余興を生業にしている方は私のような奴隷だったり、物乞いとしてやっていらっしゃる方が殆どなのです。決して進んでその道を歩んでいたわけではないのです」

「……マジで?」

「でなければ、私のような奴隷が人様の前で堂々と立てるわけがないのです」


 結局は見世物、ということか。

 およそエンターテイメントという概念が存在しない世界では、芸術家の身分は低かったようだ。

 そりゃそうだ。だって、それは生活必需品ではないのだから。

 食品や家具を作ったり売ったり、物を直したり人を治療したりする人間はいなくては生活が成り立たない。

 それに比べたら、「歌が上手い」というステータスは何の価値を持つのだろう。需要は一体どれぐらいあるのだろう。金を払ってまで観たいと思う層がどれだけいるのだろう。

 少なくともワイヤードでは、歌も音楽も「暇つぶしの道具」としか機能していない。その「道具」を作る人間に付き合うのもまた、暇つぶし……。

 なるほど、そういうことか。


「まぁ、卑しい奴隷にはぴったりの職業ジョブだとは思うがな」

「ぅ」

「だがこの世界では、それすらも必要ないということを教えてやろう」


 リファは不敵に笑うと、着ていた猫耳パーカーのポケットからスマホを取り出した。

 そしてすばやく指を動かして操作すると……。

 内蔵スピーカーからやかましいほどの音楽が部屋中に響き渡った。


「どうだ、これぞマスターにこの間新たに授かったすまほの特殊能力! でんわや、めぇるだけでなく、歌を聞く事もできるようになったのだ! 見たか、進化した私のすまほを!」


 嘘ンゴ。ただの音楽アプリ機能制限解除しただけンゴ。


「そ、そんなことまで……」

「これさえあれば、いつでもどこでも楽しめる。街中に吟遊詩人の姿が見当たらないのも頷けるな。つまり、お前のような歌うたいの存在価値はこの世界に於いては皆無ということだ」


 あのぉ~。そのスマホに入ってる音楽は間違いなくプロのミュージシャンが歌ってるものであって、決して存在価値がなくなったわけではないんですけど~。もしかして、スマホが作詞作曲から歌唱まで全部やってるとか思ってません?

 イヤミったらしくせせら笑う女騎士に、萎縮してしまった女奴隷。完全に歌う意欲は削がれてしまったみたいだ。

 んだよ、せっかくクローラの歌楽しみにしてたのに、余計なことしやがって。

 少しムッとした俺はちょいと灸をすえてやることにした。


「リファ、お前さっき吟遊詩人や踊り子のこと『誰にでもできるようなことで食ってる奴』っつったな」

「? それがどうかしたか」


 何を当たり前なことを、と言わんばかりの返事を返す彼女に、俺は単刀直入に言った。


「じゃ、お前いっちょ歌ってみな」

「んぁ?」


 いきなりの申し出に女騎士は呆けた声を上げる。きっと聞き間違いか何かだと思ったんだろう。なのでもう一度繰り返す。


「誰にでもできるんなら、お前もできるってことだろ。さぞかし上手いんだろうなぁ。ほれ、一曲やってみれ」

「いや、それは……」


 さっきの威勢の良さはどこへやら、たじたじと言葉を濁すリファ女史。

 一転攻勢。俺はそこで挑発に出る。


「おやおやぁ、もしかして自信ないのかなぁ?」

「なっ、そんなわけあるか! ただ、騎士団時代は日々の訓練で忙しかったから、そういう経験は長らくご無沙汰というか……。だから急に言われても――」


 ムキになったかと思えば、見事なまでの聞き苦しい言い訳。往生際悪いぞ騎士様よ。


「ふーん、じゃあやり方思い出せば上手に歌えんだな」

「とっ、ととと当然だ! そそそそんな奴隷なんぞよりもいいいいいい声を聞かせてみせようぞぞぞぞ!」


 おおう、早くも美しいビブラートを披露してくれましたね。

 さすが女騎士。文武両道でしかも芸術方面にも長けているとは。そこにシビれるあこがれる。


「ま、まぁどうしてもマスターが聞きたいというのなら仕方がない。だがしばらくは待っててくれ。そのうちいずれ……な」


 あ、こいつうまいこと言って逃げる気だな。俺らが約束忘れてほとぼりが冷めるのを待とうとしてるに違いない。

 だがそうは行くか。この構図……そろそろ「アイツ」が来る頃だ。

 ここから始まる展開など容易に読める。いつもは向こうから突然現れるが、今回はこっちから招来してやる!


「来い! 木村渚ぁぁぁぁぁぁ!!!」



 ○


「ほい、じゃあ1時間で取っといたっす。1ドリンク制で」

「お、サンキュー。じゃあ飲み物先に頼んどくか。全員コーラでいいよな?」

「わぁ! なんだかキラキラしてて素敵なところですねー」

「いやいやいやいやいやいや待て待て待て! 待ってくれマスター!!」


 ごく普通に馴染んでいる俺、クローラ、そして渚に切羽詰まった表情で問い合わせてくるリファ。

 確かに渚の持っている、センテンス一つでわけわからん状況にぶち込んでくる能力ははた迷惑極まりない。だがうまく利用すれば手間を省いて色んな場所に行ける。モノは使いようだな。


「ん? どしたのリファっち」

「どうしたも何も、何だこの状況は!? いきなりこんなわけのわからん密室に閉じ込められて……どこなんだここは!」

「どこって、カラオケボックスだよリファっち。何、来たことないの?」

「か、からおけ……ぼっくす……?」


 リファは初めて聞く単語に目が点になる。そんな彼女にやれやれと首を振りながら渚が説明する。


「ざっくり言えば歌を歌う場所。好きな曲を好きだけ人目を気にせず歌えるの」

「歌を、歌うための……?」

「歌うなんてどこでもできるのに、専用の場所など必要なのでしょうか?」


 小首をかしげながら問うクローラに、渚は指を振りながら答える。


「わかってないねぇ。気持ちよく歌うには音楽と演出ってのが必要なの。それに、人前で大声で歌ったりしたら近所迷惑にもなりかねない。そんなニーズを全部揃えてくれるのがこのカラオケボックスなわけよ」

「そうなのですか……。では、このままここで自由に歌えと?」

「あー、まずはあたしが先にお手本見せるから、その間歌いたい曲でも考えておいて」

「いやあの、渚殿……まずこの状況を説明――」


 オロオロしながら釈明を要求してくるリファをガン無視し、渚はカラオケの機器を操作して曲を送信。

 しばらくして、部屋にあったモニタの画面に曲のタイトルが表示される。いよいよカラオケ開始だ。

 渚はマイクを手に取り、立ち上がって拳を高く掲げた。


「そんじゃいくよー! テンション上げてこーーっ!」


 イントロが始まり、画面には歌詞が出る。それに合わせて、渚は歌いだした。

 のっけからものすごい歌唱力だった。曲調はプログレに近いもので、俺もよく知っているやつだった。

 時折身振り手振りでパフォーマンスしながら、音程も間違えずに、最後まで全力で歌いきった。

 俺達はそのライヴステージの特等席にいるような感覚を味わった後、盛大に拍手した。


「すげぇ!」

「お見事ですっ」

「……」


 渚はまだ始まったばっかだというのに、大粒の汗を浮かべながら笑顔で手を振った。


「やぁ~ありがとね。ちょっと初っ端にしては激しいの選んじゃったかも」


 彼女は大きく息を吐くと、ソファに座って隣のクローラに話しかける。


「どぉ? カラオケってどういうものかちょっとは理解できた?」

「ええ! 一人で歌うより、ずっと迫力がありますです! 大きな音で、チカチカしてて、一瞬ビックリしましたけど……。でもでも、これなら歌うのがすごく楽しくなりそうです! クローラは感激しました!」

「でしょでしょ? お手軽に歌手になったような雰囲気が味わえるってサイコーだよ」


 和気あいあいと話してる中、モニタの画面が再び変化を見せた。

 「採点中」というシンプルな文字が表示されている。


「? これは一体なんなのです?」

「採点だよ。あたしの歌が100点満点中何点か評価してくれんの」

「またこの世界特有の数値化ですか……」


 焦らすようにドラムロールが鳴り、シンバルのような音とともに渚の点数が出た。


「87……か」

「んー、90台はいくかと思ってたけど、まぁ及第点ってとこカナ?」

「えっと、おめでとうございます?」

「ちょいちょい、何呑気なこと言ってんの?」


 渚はマイクでクローラのほっぺたをぷにぷにしながら言った。


「今日のカラオケはこの点数が最も重要な要素なんだよ?」

「重要? それってもしかして……」


 その通り、とギャルはニカっと笑い、立ち上がった。


「今日のカラオケはただのお遊びにあらず! それぞれ歌った後の点数の平均値で競う、正真正銘の『歌合戦』だよっ!」

「合戦……?」


 ぴくり、とそれまで何が何だかわからずに呆然としていたリファが反応した。


「よくわからんがつまり……これは戦なのだな? 渚殿」

「そだよー。ここにいる全員でのバトルロイヤル。どぉ? こうすると一段とアツくなるでしょ?」

「そうか……ならば私が参加しないわけにはいかないな」


 手で後ろ髪をかき上げると、リファはいつもどおりのクールな表情に戻った。やはり戦いとなれば、騎士としての血が騒ぐらしい。

 そんな彼女を見ながらうまくいったぜ、と俺はほくそ笑んだ。

 無理矢理歌わせたって面白くないからな、あいつをまず乗り気にさせて自ら進んで歌わせる。というのがこの企画の目的なのだ。

 かくして、この異世界人を交えた「カラオケ歌合戦」が幕を開けたのである。



 ○


 じゃんけんでローテーションを決め、試合開始だ。


「では、次は私が歌わせていただきますね」


 二番手はクローラだ。

 ちなみにこの後は俺、そして最後がリファだ。


「えっと、この棒のようなものを持って歌えばよいのですね」

「ああ。マイクっていって、そこに向けて喋れば、そこいらにあるスピーカーっていうところから大音量になって広がるってわけ」

「なるほど……歌のために作られたキカイというわけですか。面白いですね」


 テレテレしながらマイクを取り、クローラは流れる曲に身構える。

 ちなみに、クローラもリファもこの世界の曲についてはテレビやPCで何度か耳にしていたので、ある程度知っている。レパートリーはまだ少ないが、そんな何曲も歌うわけじゃないから大丈夫だろう。

 クローラが選んだのは、静かなバラード調の曲だった。時々歌詞が曖昧なところはあったものの、音も外さず、カラオケ初心者とは思えないほど自然に歌っていた。

 さすが、異世界で歌い手を経験していただけのことはあるな、と俺は思った。

 しかし、思ってた通り綺麗な声だ。透き通るようなソプラノボイス。普通にプロでも通用するレベルなんじゃないかと感じるほどである。

 あっという間に曲が終わり、点数が出る。


 結果は……95点。

 これには俺も渚も思わずスタンディングオベーション。


「すごい! やっぱ上手いじゃんクローラ!」

「やるじゃん! さすがのあたしも脱帽モンだわマジ!」

「そ、そうでしょうか。えへへ……光栄です」


 だがリファだけは面白くなさそうに足を組んで無言のままだった。敵が周囲に褒め称えられるのは見てて気分のいいものではないだろうからな。

 さて、次は俺か。

 デンモクを操作して、昔からの十八番のやつを選ぶ。


「じゃ、いっちょやってみっか」

「ご主人様の歌が聞けるなんてクローラ感激ですっ!」

「きゃーセンパイかっこいー!」


 やんややんやとかけられる歓声をバックに、俺は息を吸い込んで歌い出す。

 かかったのはハードロック調の速い曲。非常に早口で歌わなければならず、しかも英語歌詞がふんだんに混じっているので、素人には難易度の高いものだ。だが俺はこれを何年も前から聞いていたので、完全に頭に入っている。

 特に大きなミスをすることもなく、俺はガラにもなく高いテンションで終わりまで歌った。

 曲が終わり、拍手喝采かと思いきや、三人共ぽかんとした表情で俺を見つめているばかり。 


「……」

「な、なんだよ。変だったか?」

「い、いや……なんかいつもクールなセンパイとは全然違ったから、ちょっと困惑したというか……」

「クローラも、一瞬別人かと思っちゃいました……」

「そ、そんなに……」


 俺は肩で息をしながら頭を掻きながら言う。そこまで言うからには、よほどだったんだろう。

 カラオケなんて久しぶりだったからな。ちょっとアガっちゃったのかもな。

 さて、点数の方は……と。

 ドゥルルルルルル……じゃん!


 83。


「まぁまぁか。最後らへん息切れそうになってたし」

「でもすごいっすよ。この曲相当歌うのむずそうですもん。あたしがやったら絶対ここまでいかないって」

「あははは。ありがと。じゃあ次は……」

「わ、私だ」


 ぎこちなくリファが立ち上がり、俺からマイクを受け取る。

 ちなみに曲の送信は俺が歌ってる最中に渚にやってもらったらしい。

 さぁ、いよいよお手並み拝見といこうじゃないか。


「えー、では……その……あの……」

「……」

「ほ、本来騎士というのはこういうことはしないものなんだがな、まぁ今回は合戦ということでその……」


 直前になって一気に緊張感が襲ってきたようだ。それとも俺ら三人の歌声を聞いてビビったか、またガクガク震え始めている。だがもう逃げられないぜ。ここまできたからにはきっちり歌ってもらわないとな。

 そうこうしているうちに曲が始まった。

 明るいポップ調の曲で、さっき彼女が俺の家でスマホでかけていた曲と同じものだった。

 リファはモニタに映し出されるであろう歌詞を逃さないように目を釘付けにする。

 そして、イントロが終わって歌唱開始だ。


「ッ! ♪あし――」

「すんませーん、ご注文の品お持ちしました~」


 ゴンゴンゴン!

 と、そこで俺達の部屋の扉がノックされて少し開く。俺らがそっちの方に注目すると、お盆を持った店員さんが顔をのぞかせてきていた。

 俺は彼を招き入れて、テーブルに置いていってもらう。


「ではコーラ4つと……あとミート、スパゲティー、はい。カツカレー。えー、親子丼で。以上でよろしいですか」

「はい、ありがとうございます。俺が親子丼で、クローラがカツカレー。リファがパスタだったよな?」

「ちょっとセンパイ、こんなに頼んでたんすかー?」

「いいだろ、俺らまだ飯食ってなかったんだし。なんならお前の分も今頼むか?」

「そっすねぇー。じゃあハニートースト追加で」

「かしこまりました。それでは少々お待ちください。失礼しまーす」


 ガチャン。

 ……。

 …………。

 ………………。


「よし、一周目終了。次はあたしだよ!」


 コーラをストローも使わず一気に呷り、渚は再び立ち上がって前に出る。


「センパイ。次の曲デュエット曲なんで、よかったら一緒に歌いません?」

「別にいいけど、勝負なんだろこれ? そういうのってアリなの?」

「まーまー、固いこと言わずに。呉越同舟ってやつっすよ。ほら、マイク」


 押し付けられるようにして俺はマイクを受け取り、渚に手を引かれて立った。

 そして腕をガッチリとロックされて身体を密着させられる。


「それじゃ二曲目いってみよー! W-B-X!!!」


 デュエット曲だと言うからどんなものかと思ってたら、結構有名なやつだった。

 俺もよくネットの動画サイトで聞いていたおかげで、幸いスムーズに歌えた。

 二人で歌うと、タイミングがズレたりして全体的なクオリティは下がるかと思ったが、存外そうでもなかった。

 曲が終わると、クローラがパチパチと拍手。


「わぁ、お二人とも息がぴったりでしたね!」

「あんがとねー。シンクロ率半端なかったでしょ。あたしらベストカップルかもですね、センパイ!」

「さぁどうだかな」


 そして気になる点数はというと……。


「78……まぁそんなもんっすよね。センパイところどころ音外してましたし」

「オメーも歌い出しんとこ盛大にミスってたじゃねぇか」

「はぁー、なんすかそれ。責任転嫁とか人としてサイテーだと思うわあたし」

「ブーメラン突き刺さってんのわかんない? あ、頭にぶっ刺さってっから思考能力がおかしくなってんのかな?」


 一転して睨み合う俺と渚。ベストカップル速攻で解消。そして今始まるリアルファイト。


「さ、さぁ次いきましょう次! クローラの番です!」


 俺達の中に割って入り、争いを中断させる女奴隷。和睦の使者により戦争は一時休戦となったのである。

 クローラはマイクを両手で握りしめながら、曲が始まるのを待った。

 しかし、チラチラと俺の方を見ながらなにか言いたげにしている。心ここにあらずって感じだ。


「どした?」

「あ、あの……無礼な申し出かもしれないのですが……」

「?」


 ふぅ、と小さく息を吐いて彼女は頬を染めながら小さな声をマイクで拡散させた。


「よ、よろしければ……私めとも一緒に歌っていただけないでしょうか!」

「え、俺とか?」

「も、もちろんお嫌でしたら構わないのですが……その……」


 彼女はうつむき気味に、恥ずかしさでいっぱいな顔で健気に頼み込んでくる。こうされたら無下に断るわけにもいかない。


「いいよ。一緒に歌おう」

「ほ、本当ですかっ!」

「ああ、ワイヤードの歌姫様とデュエットできるなんて光栄だ」

「あ、ありがとうございます!」


 ぱぁっ、とクローラの表情が雲ひとつない快晴に早変わり。

 俺は二度目のデュエットに挑戦することになった。

 次の曲も男女二人で交互に歌唱する、いわゆるラブソング的なやつだった。

 むず痒くなるような甘ったるい歌詞で、別な意味で難易度は高い。でも、隣で一生懸命歌っているクローラを見たら、手を抜くわけにはいかなかった。

 なんとか最後まで歌いきり、終了。


「ふぅ。お疲れ様でした、ご主人様」

「あぁ、おつかれ」

「わー、なんか本当にお二人恋人同士みたいだねぇ」


 棒読みで冷やかすように渚が言ってくる。が、純粋なクローラはそのままの意味として受け取ったらしい。


「そ、そんな恋人同士なんて! 何を言ってるんですかっ。ああ、でもご主人様さえよろしければクローラは喜んで……」


 両手で頬を抑えて早口でなんか言ってるが、深くはツッコまんでおこう。

 ちなみに点数は81。俺が少し足を引っ張ったとは言え、なかなかの数値である。さすが異世界の歌い手だ。

 現在のトップはもちろんクローラ(平均88点)だ。

 さて、次は俺にお鉢が回ってくるわけだが……。


「悪い、俺はパスで」

「ありゃ、やめるんすか?」

「二曲も連続して歌ったからな。この勝負って平均値で競うんだろ? だったら下手して点数下げたくねぇから休む」


 というわけで、次の歌唱はリファの手に。


「む、では私が……」


 渚にデンモクで曲を入れてもらい、再度女騎士はマイクという名の剣を持って戦場に赴く。

 ゴクリと唾を飲み下し、まだ緊張感が拭えていないことを身体で示している。


「なになに、リファっちまさか自信ないの~?」

「なっ!? そうではないと言ってるだろうが!」

「ホントにぃ~? クロちゃんの歌唱力見て尻込みしてんじゃないの~?」

「うぅ、違うもん!」


 渚の煽りにリファは悲痛な声で訴えるように否定する。そして消失したのか、最初から無いのかわからない自信をつけようと能書きを垂れ始めた。


「私はワイヤードの騎士。どのような戦いであろうと、決して負けたことはなかった。例えくだらぬ余興の勝負とて、私が負けるはずがない。私は神速のナイトレイダー、リファレンス・ルマナ・ビューア……奴隷なんぞに屈してたまるか……」

「リファさん、曲始まりますよ~」

「うるさいっ、わかってる!」


 ヒス気味に奴隷に向けて言い返すと、リファはモニタを食い入るように見つめた。

 だが、イントロで早くもアクシデントが発生。


「な、なんだこの歌詞は……知ってるのと違う……」


 リファが選んだ曲は、とあるテレビ番組の主題歌だった。それを何度も聞いていて覚えていたらしいが、それはあくまでテレビサイズバージョン。一分弱に編集されたものだったのだ。

 しかし、これから流れるのは正真正銘のフル。カットされていた歌詞やメロディも当然入っている。

 もの見事に彼女は最初のフレーズを何も歌えないまま逃してしまった。


「ま、ますたー……た、たすけて」


 さっきの覇気、早くも消滅。即オチとはこのことか。

 瞳にうるうると涙を浮かべて、今にも泣きそうな顔をこちに見せてくる。しょうがないなぁもう。

 俺は急いでマイクを持つと、リファの隣に並ぶ。


「マスター……」

「わかんないとこは俺が歌うから。お前は歌えるところだけ歌え」

「あ、りがと……」


 やれやれ、三曲連続とか勘弁してくれ。

 そしてやっとリファが知っている――テレビでいつも流れている箇所に到達した。リファはギュッと目を閉じて、やけくそ気味に歌い出す。


「♪ど―――」

「いやーわりー! 遅くなって! バイト長引いちゃってさー! あ、ジンジャーエール頼んどいてくれた?」


 ドガチャン!

 とドアを蹴破るようにして誰かがズカズカ部屋の中に侵入してきた。

 ブレザーの制服を着ていることから高校生であるとわかる。いかにもチャラそうな男子だ。

 彼はおそらく誰がと待ち合わせをしていて、そこに飛び込んだつもりなのだろう。

 俺らがいきなり現れた乱入者を凝視していると、向こうも入る部屋を間違えた事に気づいたのか慌てふためいた。


「あ、すんません! 人違――いや、部屋違いです! すみませんお楽しみ中のところ……。くっそなんだよあいつら、502っつってたじゃねぇかよ……どうも失礼しました!」


 ガチャン。

 ……。

 …………。

 ………………。


「さて、じゃあ三周目! 泣いても笑っても時間的にこれがファイナルラウンド! 気合い入れていきましょー!」

「おー!」


 渚のアナウンスにクローラが元気良く答える。

 もう勝負も大詰めか。こういうところって時間が経つの早いよなぁ。


「じゃあ木村渚、最後の大舞台かっこよくキメるよ! Kimeruだけに『OVERLAP』で!」

「「いぇーい!!」」


 備え付けのタンバリンとマラカスを鳴らして俺達は騒ぐ。 

 女性なのに男性シンガーの曲をチョイスとは思い切った判断だ。だが、それを渚はいつもの声からは想像もできない雄々しい声で華麗に歌った。

 正直今までで一番の出来だと思う。それを証明するように、採点結果は怒涛の97。一気に平均値を90まで引き上げ、さっきのデュエットでの遅れを一気に取り戻した。


「ふぅ、こんなもんっしょ。これでクロちゃんを抜いたね」

「すごいです生米さん!」

「ちょいちょいクロちゃん、あんたを出し抜いてあたしは今や頂点に君臨する者。そんなあたしをいつまでそんなクソダサい名前で呼ぶ気? この美声の持ち主にふさわしい呼び名があるでしょ?」

「すごいです生卵さん!」

「ウェーイwwwwww」


 仲いいなお前ら。


「ではでは、クローラ歌います!」


 マイクをくるくる回し、歌姫時代の頃を思い出してきたのか、すごいやる気に満ち溢れている。


「ではご主人様、聞いてくださいっ! えぶり、りとるしんぐ? で『恋文』ですっ!」


 またもやラブソング。もしかしてこういうのが好きなのかなクローラって。今度CDとか買ってあげよう。

 ゆったりとした曲ばかりだったので体力消費が少なかったからか、まったく疲れを感じさせない歌声で、まさに完璧に歌い終えた。

 手の届かない愛しい人に向けて静かに、それでも強く訴えるような愛を歌った歌詞も相まって、俺達は完全に魅入ってしまっていた。

 静かにピアノの伴奏のアウトロがフェードアウトし、曲が終了。

 採点結果は……100点。

 非の打ち所がない、文句なしの満点だ。


「やったじゃんクローラ! 100点だぞ100点!」

「あ、ありがとうございます……自分でも信じられません……」

「ふっ、負けたよクロちゃん。完敗。あんたが一番だよ」

「お褒めいただいて光栄です生ゴミさん」

「あ、戻しやがったクソ」


 さて、ここからは二位決定戦だな。

 俺は適当に選曲してまた歌う。喉が少し枯れてきたので、クローラと同じ静かな曲で締めた。

 点数は88点。平均は小数点以下四捨五入で86。

 くっそー、渚に負けちまったか。


「にししし……どうっすか、後輩に負けた気分は」

「うっせ。お前とデュエットしてなけりゃもうちょいいってたっつの」

「わぁ、言い訳とかみっともなーい」


 ケラケラと笑う渚を無視して、俺はラストヒッターとなるリファにマイクを渡す。


「さ、リファ。お前の番だぜ」

「ぅ……」


 だが彼女は下唇を噛み締めたまま、それを受け取ろうとしない。どうやら本当に周りの実力との差を思い知ったようだ。

 ちょっと可哀想だけど、まぁいい薬にはなっただろう。


「リファ。これでも本当に歌は『誰にでもできること』か?」

「……」

「確かに歌うのは誰でもできる。でもそれを上手に、人を満足させられるような出来にするには、それなりのテクが必要だ」


 俺はコーラを飲み干して、喉を潤しながら言った。


「そしてそれを身につけるためには、沢山練習して腕を磨く必要がある。お前はそれを見てこなかったから、大したことのないように思えたんだろう」

「……マスター」

「あと、お前の国での音楽が持つ価値がすごく低いってのも十分影響してると思う。でもな、この国では違うんだ」

「違う……?」

「この国には余裕がある。お前が『くだらない余興』を全力で楽しみ、全力で打ち込むだけの余裕がな」

「全力でって……」


 リファは信じられないというように眉をひそめる。まぁ無理もない。

 本当に日々の暮らしを何とかするので精一杯で、常に争いや戦争が耐えなかった異世界……。そんな中で、音楽などというのは束の間の安息に過ぎず、彼女の言う通り、のめり込むことなど考えられなかったのだ。


「この国は平和だ。生活に特別困窮している層が溢れているわけではない。そんなふうに余裕があると……人間って欲求が生まれてくるもんなんだよ」

「よっきゅう……」

「音楽や絵、踊りとかそういう『余興』を楽しみたいっていう気持ちさ。この世界ではそういうものが非常に多く『求められてる』んだ」


 需要が大きいということは、それだけ作る側への期待も対価も大きくなってくるということだ。

 故に、技術を持つ者の価値が上がっていく。

 だからこそ、多くの人達がその道を志すことができる。こうして作曲家、演奏家、歌手が世に送り出されていくんだ。


「このカラオケなんかいい例だよ。歌を歌いたいって思う人達の需要に答えた結果だ」

「……」

「それに俺達が今まで歌ってた曲だって、ちゃんとしたプロが作詞作曲してくれたからこそ、ここにあるんだよ。今までテレビで流れてたり、スマホに入ってるやつも、実力のある歌手が歌ってるからこそ俺達が楽しめる。決して『くだらない』ことなんかじゃないよな」

「……」


 リファは目を伏せて黙りこくっていたが、やがて目を閉じて小さく頷いた。


「そうだな。私が間違っていた」

「リファさん……?」

「すまなかったクローラ。私は少し嫉妬していたのかもしれない。だが認めよう、貴様の歌の腕は私より遥かに上だ。この勝負はもう決着がついた。最初から私の負けだったんだ」


 寂しそうに笑うと、彼女は女奴隷にそう言って詫びた。


「この世界には、余興はただの余興にあらずということだ。どんなものでも、そこに全力で取り組む者達がいる。そしてそれを極めし者は、それ相応の努力をしてきたということ。ならば尊重せねばなるまい」

「ああ。裏を返せば、努力すればお前だってクローラみたく歌がうまくなれるかもしれないってことだぜ」

「ですですっ。リファさんもお声は綺麗ですから、ちょっとくらい練習すればすぐにクローラなんかよりも上手になれますよ!」

「ああ、ありがとう」


 俺やクローラに鼓舞されたリファは、人差し指で頬を掻きながらはにかんだ。


「リファっち、そろそろ準備いい? 曲かけるよ?」

「ああ、すまない渚殿。よろしくたのむ」


 リファの合図で渚は曲を送信。最後のミュージックが幕を開ける。

 ここからは勝負ではない、純粋に歌を歌いたい。みんなでそれを聞きたい。そんな時間。

 皆で競うだけでなく、これも立派なカラオケボックスの遊び方のひとつなのだから。

 異世界人のはじめてのカラオケ。気に入ってもらえるように、これを通してこの世界での歌や音楽の価値観や魅力をもっと知ってもらえるように。最後まで皆でエンジョイしようじゃないか。


「じゃあこのリファレンス……歌わせてもらう」

「よっ、待ってました」

「リファさん頑張って!」

「ピューピュー!」


 リファはイントロがかかると、ペコリとお辞儀をし、マイクを握りしめる。


「では聞いてくれ。――『極楽浄土』」


 息を吸い込み、若き女騎士は歌う。

 転生してきたこの平和な世界を、思いっきり楽しみたい。

 そんな願いを込めて。


「♪つ――」


 Prrrrrrrr……Prrrrrrrrrr。

 ガチャ。


「はいもしもし。あ、もう時間ですか? はい、了解でーす。はーい! ……センパイ延長は?」

「なし」

「あ、なしでお願いします。はーい、どーも……じゃあ時間ですしそろそろ行きますか」

「そうだな。クローラ、荷物まとめてくれる?」

「かしこまりましたご主人様」

「渚、合計料金いくらだかわかる?」

「えーと、一人部屋代250円で、ドリンク380円×4だから……2520円……それに食べもん代が込みで……5840円っすね」

「じゃあ俺5000円出すから、渚は端数分だけ払って」

「マジすか、ごっつぁんです」

「よし、クローラ支度できたか?」

「はい、バッチリです。今日は楽しかったですね! 貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました!」

「あたしも楽しかったー! また一緒にやろうね! じゃあみんなおつかれー」

「はいおつかれ―」

「お疲れ様です~」


 ガチャン。

 ……。

 …………。

 ………………。



 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る