第33話~34話

       33


 リィファが戦闘態勢を取ると、フランは通背拳の構えになった。先ほどと同じく両掌が眼前に縦に並んだポーズだが、より低姿勢だった。

 不気味さを押して、リィファはフランに向かっていった。大袈裟な左の正拳で注意を惹いて、視野の外で左足を動かす。脛蹴りを本命に据えたフェイント技である。

 見切った風にすうっと、フランは摺足で一歩退いた。リィファの攻撃は、どちらも不発に終わる。

 滑るような動きで、フランはリィファに寄せ返した。

 出たままの左手は、右で外へと払われる。慌ててリィファは右手を振り抜く。だが当然のように掴まれた。

 フランはぐっと、左足を進めてきた。同時に右腕が押されて、リィファは半身の体勢にさせられる。

 たちまち手刀が放たれて、左上腕の内側に刺激が走った。顔を顰める暇もなく、リィファは同じ手で頬を張られた。そのままぱんぱんと、凄まじい速度の往復ビンタが飛ぶ。

 両頬に鋭い衝撃が何度も加えられる。頬の痺れは凄まじく、リィファは左、右とおもちゃのように顔を振らされる。

(くっ! このままじゃ……)

 朦朧とする意識を奮い立たせ、リィファは七発目で顔を引いた。鼻の先端の擦れ擦れを、フランの指先が通過していく。

 逃れたリィファは、掌を上にした右手を肩の上方に遣った。びゅんっと鋭く加速して、フランの首を狙う。

 フランは、緩く握った両手を素早く下に動かした。リィファの手刀を難なく撃ち落とす。

 一瞬の後に、フランの身体が沈み始めた。頭が腿の位置まで来るや否や、伸ばした左足でぐりっと右足を踏んできた。鈍い痛みに、リィファは足を引く。

 迷いのない所作で、フランは身体を跳ね上げた。股間、顎と、右足と右拳による淀みのない連撃がリィファを襲う。

「鷹爪翻子拳を、痛覚で優位を奪うだけの体系だと考えないでね。貴女に降り掛かる現実は、そんなに優しいものではあり得ないのよ」

 どこまでも甘美な呟きが、上を向くリィファの耳に届いた。リィファは目だけを下に遣り、フランの次なる攻めの把握に努める。

 フランは機敏なモーションで、両の手を耳の横に置いた。軽く浮かしていた右足を、速く大きく前に移す。

 振り下ろされた左右の拳が、リィファに襲い掛かった。命中の瞬間、フランの手首に捻りが加わる。

 特大の衝撃が、脇腹に来た。またしても吸気の間の攻撃だった。

 リィファは無抵抗に倒れていき、後頭部を強打した。閉じかけの視界の中心では、フランが悠然と笑んでいる。

(……立たなきゃ。立ってあいつを止めなきゃ)

 気力を振り絞るリィファだったが、意志とは無関係に手足はひくつくのみだった。もはや全身、傷まない箇所はなかった。


       34


 ややあってフランの左の人差し指が、ぴたりとリィファの左胸に固定された。

(明らかに、格闘技の構えじゃあない。……まさか、「力」を使う気?)

 リィファが思案を巡らしていると、フランはふうっと考え込むような顔になった。一秒、二秒。何の攻撃も来ない。

「やっぱり貴女は殺さないで、後で傀儡にするわ。次にいつ、同朋が得られるかなんて、わからないものね。安心してね。私の秘薬は出来が違うの。自我なんてすぐに消えて、すぐに法悦に至れるわ」

(この人、どこまで狂ってるの……)

 愛の囁きのようなフランの口振りに、リィファの背筋にぞくぞく冷たいものが走った。

 ふとフランは、くるりと振り返った。

 同じ方向に目を向けると、シルバがまだ戦っていた。相手の操る格闘技は、どう見てもカポエィラだった。

「さすがは現アストーリ最強。食い下がっているわね。だけれど私も掛かれば一瞬。あちらには、加減する理由もないしね」

 どうでも良さげに呟いて、フランはシルバに指を向けた。必死で立ち回るシルバには、気付いた様子は全く見られない。

(やらせないっ!)リィファは、地面を擦って重い右手を動かした。なんとかフランの踵を指先で掴む。だが、悲しいほど弱い力しか出ない。

 すぐにフランは向き直り、納得したように眉を上げた。

 フランは足を引っ込めた。手は簡単に除かれて、リィファの眼前に靴底が迫ってくる。

 瞬間、視界に鮮烈な光が飛んだ。ぬめりとした感触が鼻に生じ、しだいに口へと入りこんでくる。

「目を逸らしては駄目。愛する人の断末魔よ。しかと心に焼き付けるの。そして飛びなさいな。そうすれば薬も、きちんと身体に馴染んでくれるわ」

 頭の中での、甘やかな声色のリフレイン。その瞬間、リィファの内側で何かが音を立てて切れた。

 不思議と動く両手を突いて、おもむろに立ち上がる。相変わらず身体中は激痛がする。だが、膜を一枚隔てた所に存在するようだった。

 シルバを狙っていたフランだったが、するすると手を下ろした。再び身を翻し、怪訝な面持ちになる。

「どうして立てるの? ……『力』が、自己治癒の方向に機能した? いいえ、何も感じない。今のリィファにあるものは、純然たる気力だけ。ただそれこそが、『力』に至る道。取るに足りないと、安易に切り捨てられない」

 思慮深げな声音で、リィファはぶつぶつと独言している。構わずリィファは、フランを睨み付ける。

「力がどうとか、もういい。あなたの邪悪さには吐き気がするけど、今は関係がない。問題は、たった一つ。あなたは私のタブーに触れた」

 深慮も遠慮も一切なしで、リィファは心の内をぶちまけた。大股でフランに接近し、右手を顔へと突き入れる。

 真顔のフランが、敏速に左手を上げた。去なされるイメージが頭に流れ込み、すかさず軌道を調整。腕へと狙いを変更する。

 骨と肉との境目に、刺突が入った。フランは顔を歪ませながらも、即刻反対の手を横から回す。

 すとんとリィファは、膝を曲げた。張り手は頭上で空振りし、フランは目を大きく見開く。

 リィファは一歩、力強く前進。左肩を前面に出して、がら空きのフランの右脇に全力でぶつかる。

 反作用の衝撃は予想より小さかった。フランは軽やかな足捌きで転倒を回避し、大きく後退していった。

(寸前で後ろに跳ばれた! 会心の当て身だったのに!)

 リィファは歯噛みしつつ、きっとフランを凝視した。視線の先では棒立ちのフランが、冷たく、憮然とした眼差しで見返していた。

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