鋼の光

@KoiKaWa

第1話

「大気圏突入まで、残り3分。各員、自己拘束具を再度チェック。安全を確認せよ」


「いよいよね…」


惑星降下舟艇の船内に艇長のアナウンスが響き、それを聞いた少女は小さく呟いた。

少女は地球にいる家族から貰った御守りを握り、自らを座席に押さえつけているハーネスがしっかりと装着されているかを、素早く確認する。

歳は若く、子供のあどけなさが残る少女だ。

強化プラスチック製のバイザーヘルメットに覆われた顔はまだ幼く、かつ整っており、黒髪が上部から覗かせている。

緊張しているのか、手すりを持つ手はやや震えており、少女の心臓は乾いた鼓動を打っていた。


「ミサ、大気圏突入は初めてじゃないでしょ。なぜそんなに緊張しているの?」


「火星圏への突入は初めてよ!」


隣に座る女性──少女と同じく座席に座り、バイザーに頭を覆われている大人びた女性の言葉に、「ミサ」と呼ばれた少女はしゃちほこばって即答した。


「火星の大気の層は地球よりも厚いけど、違うのはそれだけよ。ただ、火に包まれる時間が二倍なだけ…」


「それが嫌なのよ。イネス。地球の二倍なんて…。あの、何というか、炎に包まれる感じが──」


ミサがみなまで言う前に、降下舟艇の大気圏突入が始まった。


「きゃっ…!」


降下舟艇は耐熱コーティングの施された底面を大気の層へと向け、大気圏に突入してゆく。

鈍い振動がゆっくりと船体を突き上げ始め、嵐の只中にいるような轟音と、紅蓮の火焔が船体を包み込む。

窓から見える船外はさながら火の滝のようであり、船内の温度が35度を瞬く間に越える。

惑星降下舟艇の正式名称はAt-78b"スター・トランスポーター”。

全長120mと、惑星間航宙船の3分の1の大きさを持つ重力下・無重力下両用輸送艇だ。

高度2,000kmの軌道上に位置している衛星戦艦と植民惑星間の物資の輸送に使用されており、兵員150名と多数の物資、任務によっては多脚戦車1輌を底部に吊るして運ぶこともできる万能性を持つ。

今回はミサ、イネスを含む125名の新隊員を、中継基地である衛星戦艦「サウス・フランクリン」から惑星居留地に輸送する任務を帯びていた。


"スター・トランスポーター”の背後には徐々に小さくなってゆく衛星戦艦が見えており、前方には、目指す惑星が見えている。


(頼んます。頼んます。頼んますぅ〜!)


降下舟艇が大気圏突入を試みる中。ミサは両手でがっちりと手すりを握り、目を瞑り、歯をくいしばって懇願していた。

こういう時、いらないことばかりを考えてしまう。「降下舟艇が空中分解するかもしれない」「摩擦で焼き尽くされるかもしれない」等の想像が頭を駆け巡り始める。

一方、隣に座るイネスは余裕の表情だ。ミサの様子を見て、呆れ気味に口を開く。


「月面飛行士学校の首席卒業生が、大気圏突入に弱いなんて…火星開拓局の将校が聞いたら飛び上がるわよ」


「そんなこと言ったってぇ」


船体は大きく軋み、不気味な振動を続ける。炎は降下艇にまとわりつき、船体の外郭の温度を数百度に押し上げる。

座席の横にある窓からは真っ赤な光が差し込み、船内を赤一色に染めていた。


「現在。本艇は火星外気圏及び高層大気圏を突破、続けて中層大気圏へ突入する。ジェットストリームが吹き荒れる乱気流領域だ。各員、急激な横揺れに注意せよ」


「まだ半分よ」


艇長のアナウンスとイネスの言葉を聞き、ミサは「ひぃーー!」と唸った。


降下は続く。

舟艇は中層大気の壁を突き破り、重力圏内へと侵入してゆく。いままで無重力だった船内に重力が生まれ、降下で浮いていた尻がシートに押し付けられる。

ミサはまぶたを薄く開け、船外を映すモニターを見やった。

モニターには、ミサ達を乗せた降下艇が目指す惑星が映し出されている。

赤焼け、干からびた大地。水など全く見当たらない、荒野のような星だ。

地球に最も近い惑星であり、人類地球外移民計画によって入植が進んでいる植民星──『火星』が、目一杯に広がっていた。


(これから…私たちはあ・そ・こ・で・戦・う・」


振動に耐えながら、ミサはふと思った。



ミサ──霜村しもむら美沙希みさきは、『核戦争』終結から10年が経過した2064年に日本列島で生を受けた。

当時はすでに地球連合政府の前身である地球統一監部が設立されており、日本という国は存在せず、北東アジア自治区となっていたが、美沙希は両親と二人の妹とともにその自治区で幼少期を過ごした。

だが、子連れの家族が悠々自適に暮らせるほど、地球という星は安全ではなかった。

2046年に勃発し、以後およそ8年間にわたって続いた核戦争。敵対していた国家はその全てが核によって滅ぼされ、誰が最初に核のボタンを押したのかは分からない。人類史上最悪の戦争だ。

2054年に暫定的休戦協定が締結されるまでに発射された核弾頭は、約一万発。そのほとんどが混乱や事故などで炸裂し、何億もの人々の頭上でキノコ雲が天高く上がった。

北米大陸は文字通り地図から消失し、ユーラシア大陸はその3分の2が死の灰に包まれることとなった。

戦争終結時。90億人を数えようとした人類の人口は22億人にまで減少しており、8年という短時間に78億人もの生命が失われたのだ。


だが、真の地獄はこれからだった。


核戦争を生き残った人類を待っていたのは、際限のない放射能の脅威と、地球環境の急激な変化だった。

北半球は一部を除いて平均放射線量が致死量を超え、南半球の限られた生存圏でも『黒い雨』で多数の放射線が降り注いだ。

一万発の核は地球の地殻を大きく傷つけ、本来は地震と無縁な土地でもマグニチュード・9クラスの地震が頻発した。

各地で未知の伝染病が流行し、加速度的に進んでいた地球温暖化によって海面が上昇…放射能とは無縁だった東南アジア・太平洋の島々が海の底に沈んだ。

黒々とした分厚い灰の雲が、1年の半分は上空に停滞し、それによって太陽光が遮られ、光合成をエネルギー源とする生命は大半が死に絶えた。


そんな厳しい環境の中、軍人だった父親は放射線被曝が原因で死に、母は伴侶の喪失と人類の将来を悲観して3年後に自殺した。

母の死は、美沙希が12歳の頃だった。

幼かった彼女と二人の妹は路頭に迷い、さらに1年後には当時7歳だった妹も両親の後を追うようにして死んだ。

伝染病が原因だった。お金がなく、薬を買うことができなかったのだ。

美沙希は両親を失った悲しみを心の奥底に押し込み、2人の妹を養うために必死に働いていたが、三女の死が決定打となった。

押さえつけていた両親の悲しみと、死んでしまった妹の悲しみ。この大きすぎる二つの「悲しみ」は、13歳の少女の心を折るには十分すぎるものだった。

美沙希は完全に感情を失い、目は生き生きとした光を失い、心は温かさを失った。

放射線がきつい東京の路地で、二人は朽ちてゆくのか。誰にも看取られぬままに。


だが、救いはあった。

奇跡的に大人たちの目に留まり、孤児院に引き取られることとなったのだ。

当時の北東アジア自治区は「人材こそ資源」との方針の元、大陸から渡ってくる難民や国内の困窮者を積極的に手を差し伸べ、救済措置を取っていたのだ。

それによって美沙希と妹の霜村咲良さくらは施設に入り、他の孤児や大人たちと生活を共にするようになる。

暖かい大人達に囲まれ、イネスなどの友人もできた。栄養失調だった咲良も元気になった。

だが、深く、深くえぐられた心の傷は、どうしても癒えなかった。


大きな転機は、地球連合政府が2077年に発表した人類月面移住計画サテライト計画だった。

地球の環境は年々悪化の一途をたどっており、核戦争後も災害や放射能、伝染病、出生率の低下などで人口は減り続けている。

シドニーに首都を置く地球連合政府は、この状況を鑑みて「地球環境での半永久的な人類の生存」は不可能と判断し、地球外への人類移民を決定したのだ。

月にはすでに核戦争前から多数の探査船が送り込まれており、移民についての技術的な問題はすでに解決されている。

唯一の問題は、移民船の操縦や月居留地の拡張などを行う宇宙飛行士、宇宙技術者が圧倒的に少なかったことだ。

これらがいなければ、サテライト計画の遂行は望めない。

各自治区は人材の確保に躍起となり、飛行士学校への入学の奨励や、プロパガンダ媒体を製作して志願を募った。

その一環として、とあるテレビアニメのビデオが美沙希のいる孤児院にも届けられた。


ドジで間抜けな女の子が、体の弱い両親や妹弟のために、月や火星の悪い宇宙人をやっつけて新天地を切り開く、という内容だ。

予算をあまり振り分けられなかったのだろう。荒れた作画とありきたりなストーリーで酷評なアニメだったが、まだ幼く、心を閉ざしていた美沙希はこれに熱中した。

画面の中の女の子の境遇が自分と似ていたため、気づかないうちに自分を重ねていたのだ。

病んでいた精神は快晴に向かい、いつしか美沙希の夢は宇宙開拓者になることになっていた。

サテライト計画が軌道に乗り、月面居留地への移住者が2億人を超える頃、16歳となっていた美沙希は4年の時を過ごした孤児院を出て、かねてよりの望みだった月の宇宙飛行士養成学校に入った。

この頃にはサテライト計画に続く人類火星移住計画も発表されており、2度目の大規模飛行士募集があったからである。

14歳の妹を一人汚染された地球に残すのは後ろ髪を引かれる思いだったが、孤児院の大人たちは皆優しく、実の親のような人たちである。彼らに預けていれば問題ない。

後顧の憂いを無しに、美沙希は同じく宇宙開拓者を志す孤児院の仲間と共に、地球と比べれば天国と揶揄される月へと向かった。


以来2年。


美沙希は「あの女の子のようになりたい」という思いを胸に、宇宙飛行士になるための訓練に励んだ。

予想はしていたが、飛行士になる道は生半可なことで

はなかった。

宇宙機関の公用語である英語の習得、惑星航宙船・惑星開拓重機の操縦技術の習得、水源・鉱石といった地質的な知識の習得、宇宙遊泳訓練、パラシュート降下訓練、大気圏突入訓練、無重力下訓練、等々。

宇宙・月・火星で必要な全ての事柄を2年間という短い時間で叩き込むために、昼夜問わない教練が飛行士訓練生達に施された。


その中でも、群を抜いて厳しかったのが軍事訓練だ。


本来、宇宙飛行士の役割は主に他惑星の開拓であり、戦争は軍人の役割のはずだった。

だが、当時はすでに火・星・で・の・危・険・生・命・体・の存在が確認されており、「サウス・フランクリン」から地表に降りた先遣隊と第一次移民団との間で、度々戦闘が発生している。

それに伴い、火星での勤務を予定している飛行士らには「準戦闘員」としての役割も与えられ、軍事訓練の教育課程が追加されたのだ。

多くの飛行士訓練生は「宇宙飛行士」になるために月面飛行士学校に入ったのであって、「軍人」になるためではない。

この時点で多数の訓練生が不満を持ち、学校を離れていったが、美沙希ら孤児院から来た子供達は黙々と訓練に励んだ。

美沙希の憧れであった「アニメの女の子」は、半分軍人のような存在だったため、準戦闘員になることも受け入れることができたのだ。


努力家だった美沙希は飛行士・準戦闘員課程を無事履修し、首席で卒業した。

親友であるイネス──イネス・マッカートリーら孤児院の仲間と共に命じられた勤務地は、火星。


「中層圏界面突破。パルス・エンジン点火、安定翼展開」


「居留地飛行管制塔よりレーザー誘導通信を受信。フィードバックシステム正常」


美沙希は憧れの存在に近づくことができた喜びと、これから自分たちを待ち受けるだろう困難な惑星開拓への緊張感。この二つの興奮を胸にしまいつつ、降下舟艇の振動に身を任せていた。



着陸の時は近い。



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