冬は散歩にちょうどいい
時任しぐれ
冬は散歩にちょうどいい
日が傾いて影が伸びていく時間帯。西日が街路樹を暖かい色に染め上げる中、僕はぶるっと震える体を抱いて歩いていた。
マフラー、手袋、それでも肌を刺してくる寒さ。地球温暖化だなんだとはいうものの、冬特有の寒さは未だに健在だ。
「冬って頭がしゃっきりするから、よく散歩するんだよね」
隣を歩いてそう言うのは一つ上の先輩である春香さん。手袋はしているものの、それ以外の防寒具は身に着けていない。肩口で切りそろえられた明るい茶髪が目立つ。染めているかと思うほどだが地毛らしい。
春香先輩はその名前に春が付いているのに、冬の方が好きなのだ。僕は寒いし手がかじかんで本が読みづらいので好きではない。
「よくこんな寒い中散歩できますね」
「逆だよ、寒いから散歩がはかどるんだよ」
「はあ、僕にはよくわかりませんけど、すごいですね」
コミュニケーション三大神器である同調、賞賛、肯定の賞賛を使ってみた。意味のない言葉だった。
「すごいって何? 変なの」
「いやいや、先輩の方が変ですよ。冬に普通の人は散歩しませんから」
「それは君が散歩したことないからだよ。結構いるよ、散歩している人」
確かに散歩したこともないのに否定するのは筋が通っていない。想像でものを言っているだけだ。やっていないうちは肯定も否定もするべきではない。
「今度散歩してみますよ。先輩はどれくらいの時間に散歩しているんですか?」
「ん~、二時くらい?」
「じゃあそのくらいで」
いつ、どこでということも決めていないのに先輩は「わかった~。楽しみ」と微笑んでいた。僕もまた何となくそのくらいの時間にそこらへんを歩けば会えるだろうと思っていた。僕と春香先輩は何故か示し合わせて会うことをしないのだ。偶然会うことに特別性を見出したいのかもしれない。もっとも、お互いにお互いの動く時間を察しているから偶然ではなく必然に出くわすのだけど。
思い立って歩き始めたのは冬休み、大晦日のこと。
年末は普段なら家でゆっくりして過ごすのだけれど、今日はなんとなく先輩に言われていた散歩をしている。音楽を聴くこともなくただ歩くという行為は中々に贅沢な暇つぶしではないだろうか。
「それにしても寒い……」
雪が降るのではと天気予報でも言われていた。相変わらず防寒具を寒さが貫いてくる。やはり先輩の言うことを真に受けるべきではなかったかもしれない。が、何事も経験だ。真に受けるべきではないという判断が出来たのは実際に散歩をしてみたからこそのものである。
しかし、寒いということにさえ目を瞑れば散歩も悪くない。普段歩いている道も意外な発見で満ちている。ただ無心に足を動かしているだけの通学路も、少し意識を傾けるだけで実は様々な変化があるものだ。
道端に落ちている石を足先で軽く小突いてみると、カツンカツンと音を立てて溝に落ちる。その溝を除いてみると木々から散った落ち葉が貯まっていて、何だか謎の感慨を覚える。
「こういうの、侘しさっていうのか」
侘しさの意味もわかってないのに適当なことを呟いてみる。その言葉は誰に届くでもなく自分の口の中で溶けて消えた。
「冬樹くん?」
そう思っていたら、聞き覚えのある温かい声が聞こえた。振り返れば奴がいる。
「春香先輩」
こんな寒い中に散歩をするという特異な行動を取る先輩だった。
「何してるの?」
「何って、まあ……散歩、ですけど」
今の様子を見られていたのかと思うと少し気恥ずかしく、歯切れの悪い返答になってしまう。そうでなくても春香先輩と話すのは緊張するのだ。
ともあれ、先輩との約束を果たすために散歩をしていたのは事実である。コホンと咳払いして気を取り直しつつ、先輩に尋ねてみた。
「そういう先輩は?」
「私も散歩。何か家にいると何も考えずにぼーっとしちゃうからさ」
正月ボケみたいな感じになっちゃうんだよね~と、正月も迎えてないのに言う。
「意味のないことを考えるなら結局同じなのでは」
「全然違うよ。世の中には意味のないことなんてないからね~」
明るく言う先輩だけれど、その感覚は僕にはよくわからないものだった。
「そういうもんですか」
僕は意味のないことというのはそこら中に溢れていることだと思う。例えば今の僕の返事なんかはまさに意味のない返事だ。ただ最低限の反応を返しているだけで、心から出力された言葉じゃない。
こんな意味がない言葉を繰り出して、意味ある言葉はちゃんと伝えられない。そんな自分が情けなく感じる。だから僕は意味がないということが嫌いだ。
そんな僕の中身のない言葉に先輩は人差し指を顎に当てながら、うんうんと考えてくれている。そして何かを思いついたかのようにピンと指を立てると、僕の顔を指差した。人を指してはいけません。
「ん~、例えば……侘しさ、ってさっき言ってたよね。侘しさなんて生きていく上では必要ないよね。意味がないって言ったらそれを感じた冬木くんの感情も意味がないってことになっちゃわない?」
「それは何というか、イヤですね。自分の気持ちに意味がないなんて思いたくない」
「でしょ? ならなんにでも意味はあるんだよーって思って歩いた方が楽しいじゃない」
にこっと笑う先輩を見て、やはりこの人には敵わないなと改めて思う。
「だから私、冬の散歩が好きなの。寒さで頭がしゃっきりして、いろんなことを考えられるから」
話は終わり、といった感じで「あっちに行ってみない? 普段行かないし」と上機嫌な先輩についていく。
まあ、確かに。冬の散歩というのも悪くはないのかもしれないと、そう思った。
しばらく歩いていると学校付近ということもあって、すぐに知っている道に出てしまう。春香先輩はそれがあまりお気に召さないらしく、しきりに知らない道に行こうとしている。
「地元で知らない道なんてそうそう見つからないですよ」
「冬樹くん、それは違うよ……見つからないと思うから見つからないんだよ」
「知っている道でも結構発見があるじゃないですか」
一人で歩いていた時に自分が思っていたことを言ってみると、先輩は腕を組んでうーんとうなり始める。
「せっかくだし、冬樹くんにわくわく楽しんでもらえるような変な道とかあればよかったんだけど」
「……や、気持ちは嬉しいですけど僕小学生じゃないので」
さすがに知らない道を探検してわくわくするほど精神年齢は低くない。新鮮なものと子供心のわくわくは似て非なるものだ。
「男の子は心が小学生だから大丈夫って聞いていたんだけどな……」
「誰ですかそんなこと言ってたの」
「私の友達」
「……何というか、変わった友達なんですね」
「そうなの! すごく変なの。この前もね、ピンクの髪で眼鏡の女の子知らない? っていきなり聞いてきてさ」
オブラートに包んでいたのだが、本当に随分と変わっているらしい。春香先輩も多少変わっているところがあるから気が合うのかもしれない。
「今何か失礼なこと考えてなかった?」
「いえ、特に。それよりどうしますか? まだ知らない道を探すなら付き合いますよ」
「冬樹くんはそれで楽しい?」
心配そうに聞いてくる。そんな顔で聞かれたら、答えはそう多くはないじゃないか。
「まあ、楽しめると思いますよ」
いつもそうだ。僕は言わない言葉にばかり意味を込めている。
一時間ほどそのまま歩いた後、お互いに何を言うでもなく公園のベンチに座っていた。師走の終わり、大晦日に呑気に散歩をしている人なんて僕たちくらいのもので、あたりには人っ子一人いない。
「思ったよりも人がいないね」
「そりゃ世間的には大晦日ですよ。先輩に会ったのも驚いたくらいです」
「どこのお店も閉め始めたりしているし……本当に暇、かも」
先輩は「んーっ」と手を上に組んで伸びをする。そういう行動をされると彼女のふくよかな胸が強調され、男子としてはドギマギとしてしまう。
「結構歩きましたね」
「だね~」
ただ歩いているだけでも思いのほか体力を使うもので、運動不足の解消にウォーキングは効果的なのかもしれないな……と場違いなことを考えたり。
「冬の空って、なんか澄んでますよね」
「だね~、綺麗だよね」
夏のうだるような暑さ、ぷかぷかと浮かぶ入道雲。そんなわかりやすいものじゃないけれど、冬の空というのはどこかどの季節よりも薄く、綺麗に感じる。
「何か、あれですね。暇ですよね」
「暇だね~」
心の中で頭を掻きむしる。こんなことが言いたいんじゃないと叫ぶ。いつまでも意味のない言葉ばかり紡いでいる口は、気まぐれに意味がある言葉を発した。
「ところで、初詣、いっしょに行きませんか」
きょとんとしている春香先輩の頬は、春に咲く桜のように色づいていた。
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