感情を手に灯す男 ( 3 )
鼻歌混じりに運転し商店街の端っこにある自宅へ戻ると、甲斐はシャワーを浴び直した。乾かした髪を丁寧に結び、ぱりっとしたシャツに袖を通す。しっかりと身支度を終えると一階にある店へと降りていった。
甲斐は眉間に皺を寄せる癖とは裏腹に、不機嫌な時というのがとても少ない。ご機嫌に開店準備を済ませて、最後に店の看板を外へ出す。
看板には、「BAR comet」と書かれている。それが彼の営む店の名前だ。彼は若くして店を持つバーテンダーである。
甲斐が店の中に戻るなり、カランと扉が空いた。
「ちょっと。看板は出しちゃったけど、まだ営業時間前!」
「甲斐くん、腹減った。助けて」
入ってくるなりそう言ったのは、常連の星降夜であった。売れっ子作家の彼の名は「ほし」が苗字で名前の「降夜」はそのまま「ふるよ」と読む。このロマンティストは書くこと以外、普段の生活能力が著しく低い。仕事で人前に出る時のびしっとした格好の姿と普段の姿は別人のようにしか見えない。ぼさぼさの頭で適当なサンダルでよれよれのチノパンによれよれのロングTシャツを身につけて、商店街をよくふらふらしており、周りからは夜先生と呼ばれている。
「夜くん、彼女に作って貰えばいいじゃん。徹夜明け?」
「そう、徹夜明け。てかね、彼女じゃないし、学生は。お隣さん」
降夜は隣に住む変わった生業を持つ女性、
「じゃあ、そのお隣さんに頼めよ」
「無理ー。学生は今、出張中だ」
「それはご愁傷様でーす」
それまで立ち話をしていたが、甲斐は降夜に席を勧めて自分はカウンターへ入って行った。
「夜くん、いつもの?」
「うん、でも。それより先にフードメニュー欲しい」
「はいはい」とメニューを渡したら、次の客が入って来た。
「ジンくん、いらっしゃい」
「おう、甲斐。久しぶりー」
やって来たのは常連であり、親友の一人でもある
「人間界へようこそ」
「俺、元々人間……甲斐、ひどい」
このやり取りはいつものことで、もはや挨拶のようなものだ。
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