第7話 ビー玉
◆
母に頼まれて電池を買いに商店街に向かっていると、文房具屋の前のあたりで文哉くんとあの銭湯のおっさんがバイクに跨ったまま話しているのが見えた。
僕は知らないふりをしようと俯きながら足早に進んだ。
「おっちゃん、あのビー玉、はよ返してえや」
「あれ、知り合いの娘に見せたら、えらい気にいってなあ。あれ、あの娘にやってくれや。他のビー玉買うたるから勘弁してくれや」
そんなやり取りが聞こえてきた。このおっさんは子供と興味の対象が合うのだろうか。
「知り合いの娘って、誰や? 俺の知ってる子か?」
「誰か言うたら、その子ん所に行くやろ?」
子供に偉そうにされながらも、おっさんは相変わらずへらへらした笑みを浮かべている。
「あたりまえや、言うとくけど、おっちゃんより俺の方が喧嘩強いねんぞ」
文哉くんて喧嘩強かったっけ? それにこのおっさん、そんなに喧嘩が弱いの? そんな事を考えながら僕は次に出てくるおっさんの言葉が気になった。
「小川やろ!」
おっさんより文哉くんの言葉の方が先だった。
小川さん・・駄菓子屋の?
文哉くんの言葉におっさんが何も答えないでいると、
「なんや、やっぱり小川か・・妾の子やんか」と文哉くんが言った。
「なあ、文哉にはもっとええビー玉探してきたるから、あのビー玉は諦めてくれや」
小学生の男の子と腹がぶよぶよの中年の男が言い争っている光景は異様だった。
このおっさん、小川さんと知り合いやったんか?
小川さんが妾の子?
妾って父親の正式な妻じゃなくって二号さん?
でも、なんでビー玉を取り戻すことと妾の子が関係があるんだ?
妾の子だったら、ビー玉を奪い取ってもいいのか?
僕はビー玉を嬉しそうに眺めている小川さんの姿が目に浮かんだ。
「おい、村上、どこに行くんや」
案の定、文哉くんに見つかった。こいつ、いつも僕を見つけるんだな。
「電気屋や」愛想のない口調で答えた。
「駄菓子屋に行ったら、ばい菌がつくぞ」
薬局の息子だからって、「ばい菌」なんて言葉使うなよ、と心の中で言った。
「駄菓子屋には行かんけど、小川さんにばい菌なんてついてないよ」
僕は語気を荒げて言った。
「何でわかるんや。妾の子をかばうんか」
僕は文哉くんがすごく嫌いだ。
「妾なんて知らんし、そんなんどうでもええことや」
母に文哉くんの薬局で薬を買わないように言っておこう。
「二人とも、やめんかいな・・もうええ、おっちゃん、ビー玉返してもらいに行ってくるわ」
僕たちのやり取りを聞いていたおっさんが腹巻を揺らすようにして僕達の間に入った。
「おっちゃん、頼んだで、ちゃんと返してもらうんやで」
納得したのか文哉くんはそう言い残すと自分の家でもある薬局に向かった。
文哉くんが去ったあと、おっさんがにやにや笑いながら僕を見ているので気味が悪くなって先を急いだ。
電池を売っている電気屋は商店街の一番奥にある。商店街の中を進みながら駄菓子屋の前を通ったけれど今日は小川さんはいなくて、おばあさんが座っていた。
電気屋の中は展示品よりもいろんな電化製品を詰めたダンボール箱の数の方が多く、そのほとんどが埃を被っているので近くを通るだけでも咳き込みそうになる。
店の奥に電気屋の息子の松下くんが荷物整理の仕事を手伝っているのが見えた。松下くんはいつも学校で洟を垂らしている。洟をかむこともしない。いつも手で拭っている。
仕事中も洟を垂らしているのだろうか。商品のテレビやストーブについたら汚いな。
松下くんも妾の子とかそんなことを気にするのかな?
人前で洟を垂らすことと妾の子であることはどっちが恥ずかしいことなのだろう。
◆
「陽ちゃん、夏休みに入ったら私の家に遊びに来るでしょ?」
家で夕飯を食べていると叔母さんから電話がかかってきた。
「うん、いく、絶対いく」即答で返す。
「近くに大きなプールが出来てん。連れていってあげるわ。ねえちゃんにも来るように言っといて」
僕は受話器を持ったまま台所の母に「お母さん、叔母さんがお母さんもプールに一緒に行こうって言ってるよ」と大きな声で言った。
「私はええわ」食器を洗いながら母が忙しそうに答える。
「『私はええわ』・・だって」僕は母の言葉を叔母さんにそのまま伝えた。
「ねえちゃん、恥ずかしがりやからな」
「なんで?」
「水着なんて着るの、女の人やったら誰だって恥ずかしいわ」
女の人ってそんなものなんだ。僕は全然気にしないけどな。
「日が決まったら、電話するわ、駅まで迎えに行くから」
一学期の終業式が待ち遠しい。
「叔母さん、ドラマの最終回、見た?」
「見た見た。本の結末と全然ちゃうかったよね」
叔母さんは僕が貸した本を最後まで読んでくれたんだ。ちょっと嬉しくなる。
「僕は見れんかった」
何で見てもないのに僕はこんな話を叔母さんにしたんだろう。
「なんで?」
「宿題をしないとあかんかったから・・」
「ふーん」叔母さんは返す言葉に窮したようだった。ばつの悪い思いがしたけど叔母さんは話題を変えた。
「こっちにきたら、映画館に行こうね。アニメの『ホルスの大冒険』がリバイバル上映するねん。ええらしいよ」
「うん、あの映画、見たかってん。連れてって」
「あの本、陽ちゃんが家に来た時に返すわね」
それまで叔母さんは僕の家に来ないのか、という思いが頭を過ぎった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます