第187話 ペトカルズ共和国編 記憶喪失の男

タシャウス王国の南、パルセニア帝国と隣接する小国、




ペトカルズ共和国。




人間と兎人族で構成されるこの国は北ブリムス同盟に属し、




人口30万弱ながら、




周辺国の交易路となっている立地を生かして、




商業国家として栄えていた。




首都から西に50キロ、森の中にニルファーナ村はあった。




木材と果樹を産業にしている辺境の村だ。








数カ月前、村の兎人族の男ミスカは、




近くの川で記憶喪失の男を見つけた。




材木を運んでいる途中、川にたくさんの死体が流れ、




唯一息をしていたのが、その記憶喪失の男だった。




壊れた武具をつけていたので、どこかの兵士かもしれない。




大陸では至る所で戦乱が続いているので、どこの兵士か分からない。




今の時代、帰る場所を失った兵士なんて腐るほどいる。




いや、大柄だが兵士にしちゃ腹が出ている。……謎の男だ。




自分の名前も思い出せないようなので、




とりあえずミスカは男の事をジャルカと呼ぶことにした。




ナザロ教の古語で〝漂う存在〟という意味だ。




ミスカはとりあえず自分の家に連れ帰って介抱する。




「誰よ! その男!」




妻はいきなりの事で驚く。




3人の子供たちは怖がって隣の部屋から顔だけ覗かしていた。




ウチの蓄えじゃ賄えないと妻は怒ったが、




何とか家族を説得し、飯と寝床を用意したミスカは、




次の日村長に報告しに行った。




兵士らしいが記憶をなくしていて、




従順でおとなしい性格のため危険はほぼ無い事、




そしてミスカが軍に在籍していた元戦士であり、




いざという時抑えられるという理由で、




特別に村への滞在が許された。




ジャルカはミスカの家の納屋に住むことになった。




身体が回復したジャルカは村の仕事を手伝う。




寡黙で近寄りがたい雰囲気を持っていたが、




誰よりも力持ちで、重たい材木運び場では重宝された。




最初は警戒していた村人も、よく働く姿を見て、徐々に打ち解けていった。




笑顔を見せるようになったジャルカだったが、




自分が誰かもわからないことで、ミスカの前では悩み、苦しんでいた。




ミスカはそんなジャルカを励まし、二人の間には友情が芽生えていった。




子供も懐いて、よく遊んでもらっている。




妻も警戒が解け、駄賃も入り機嫌がいい。




ジャルカは毎日休みなく働き、




数カ月経つと痩せてすらりとした筋肉質の体型になる。




顔の肉も取れてすっきりし、髪を妻に切らせてみると中々な男前だ。




村の女たちの視線が変わった頃、大ババ様衆から依頼があった。




辺境の貧しい小さな村には外からの血を入れなければ、




やがて疫病で滅びるとの理由から、村の若い女たちに子種を、とのことだった。




受け入れたのか、ミスカには分からない。




村の若い男衆はそれが気に入らない様で、よくジャルカに絡むようになった。




だが元軍人のミスカがいることで、大事にはならないでいる。






ある日、首都から役人が来る。




「あの家紋、ヨーダオン家だ」




誰かの声がする。




首都の名家らしい。




南の人間も数人いる。




黒装束の、明らかに戦闘者と分かる大男と女もいた。




全部で十名ほどだった




役人はこの村にある仕事を依頼してきた。




それは魔物の飼育。




集められた村人はざわついたが、報酬は莫大なものだった。




数カ月の仕事で十年分もの稼ぎだ。




貧しい村には天からの贈り物に等しい。




説明を聞いている間、ミスカとジャルカは端の方にいたので、




役人たちの会話が僅かに聞こえてきた。




「はぁ何で私が……クガはどこ行っちゃったのよ?




ギルギット、あんた知ってる?」




「ゼニア大陸だろ。団長が決めたんだから文句言うな」




「あーあ、天下の【千夜の騎士団】が輸送の護衛とはね」




「おい、パム、聞こえるぞ。黙れ」




「大体ザヤネはいつ戻ってくるのよ。




私アイツに7万リル貸してるのよね……」




「ちっさ。どうでもいいだろそんな額」




話している内容は二人には分からなかった。




南の人間はネグロスという魔物の扱いに長けた指導者だ。




「南部人か……キナ臭いな」




ミスカは呟く。




巨大な穴をいくつも掘って、その中で魔物を飼育するらしい。




役人は、これは国を守るために必要な実験でもある、と説明した。




口外したものは死刑。




村人たちに拒否権はなかった。




飼育して数を増やすのはチグイという魔物だ。




防護服と拘束具をつければ危険はないと言う。




馬車に卵があるらしく、数個持って来た。




灰色で中身が透けている。




ぐるんと中身が動く。




「感染する危険性は低い。役人の言いなりになるのは癪だけど、




こりゃ大儲けだな」




ミスカは意外にも乗り気だ。




「なんだが気持ち悪いな」




ジャルカは眉を寄せた。




「ミスカ、受けるのか?」




「聞いたろ、拒否権はない。いいか、ジャルカ。




俺だって一人ならこんな怪しい仕事は受けない。




でも村や家族を養わないと。




この村にいるならお前もやるんだ」




ジャルカはしぶしぶ了承した。




卵の中の幼体がこちらを向き、威嚇するように口を開いた。


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