第四章 大陸中央部編

第158話 〝ガシャ〟の夢

『こちら〝本部〟関内駅エリアに生存者あり。〝ロメオ1〟行けるか?』




その日の夜は、雨雲で空一面が覆われ、




まるで暗闇の部屋に閉じ込められたような気分だった。




人類の文明が崩壊してしばらく経つ世界。




街灯やビルから漏れる光も一切ない。




おまけに突風に近い風まで吹いている。




湿気を含んだ生暖かい風が、音を立てながら耳元を過ぎてゆく。




僕は構えていたM4カービンを下ろした。




『こちら〝ロメオ1〟場所は?』




『そこから北西に1キロ。アーケード手前、6階建てビルだ』




『了解。移動する』




先ほどまでいつものように〈警戒任務〉に就いていたら、




急に無線が入った。




また手遅れだろう、そう思った時「駆除?」と後ろからかぐやの声がした。




ショートの茶髪をバサバサとはためかせながら、




市街戦用のタクティカルベストを着た彼女は嬉々とした目で僕を見てきた。




装備は僕と同じM4カービン。




アメリカ海兵隊が正式採用していたコンパクトなアサルトライフルだ。




光学照準器、可視レーザーサイト、暗視装置、




フラッシュライト、グリップ等でカスタマイズしている。




肘と膝にはプロテクター、腰と太ももにはコンバットナイフ、




それとグロック自動拳銃。




首には骸骨柄のネックウォーマー、その上にアフガンストールを巻いている。




命懸けの仕事をまるでゲームかのように捉えている彼女は、




多分どこかが壊れているのだろう。




そうでなければ元々持っているヤンキーの血が騒ぐのか、どっちかだ。




「〈救出任務〉だって」




「はぁ……どうせ手遅れだろ」




 口を尖らせたかぐやは一気にやる気を無くしたようだった。




「だめだよ、かぐや。そういうのは思ったとしても口に出しちゃ」




僕はこいつの扱いが苦手だ。




「上が行けっつってんだから行くんだよ」




もっともらしい意見を言ったのは秋人だ。




確かにかぐやの言うことも理解出来るが、




隊長の僕が顔に出す訳にもいかない。




秋人の装備もM4カービン。




御多分に漏れず僕やかぐやと同じ様に様々なカスタマイズをしているが、




唯一違うのは銃身の下にグレネードランチャーを付けている事だ。




そして背中にはライオットシールド、ポリカーボネート製の盾を背負っている。




ちなみに秋人も骸骨柄のネックウォーマーをしている。




「昴を困らせんな、ほら、早く乗れ」




秋人はかぐやの背中を押して軽装甲機動車(通称ラヴ)に乗せた。




「押すな」




かぐやは秋人に頭を叩いた。




「痛てえ!」




騒ぐ二人を横目に、僕は装甲車の後ろに【腐樹】を見つけた。




【腐樹】は廃墟となった街の至る所に生えているので、今更特別なものではない。




見かけてもスルーする場合だってある。




その黒い幹には顔が浮かび上がり、絡み合う根から辛うじて足が見えた。




生前は中年の女性だったみたいだ。




僕は腰のバックパックから灯油の入ったボトルを出し【腐樹】にかけた。




【腐樹】はよく燃える。少量でいい。




ライターで火を付け、それから両手を合わせた。




『〝エコー2〟から〝本部〟。現在臨港パーク内で戦闘中。一名感染、増援を』




『了解した。そこの駐車場に〝ケベック1〟がいるはずだ。ひとまず合流しろ』




肩に装着した無線機からは絶え間なく他の隊の声が流れてくるが、




それもすぐ強風に飛ばされてゆく。




「おい、飛鳥! 行くぞ!」




秋人が風に負けないように大声で叫ぶ。




飛鳥はその小柄な身体に似つかわしくない狙撃用ライフルを抱え、




周囲を警戒しつつ、こちらにやって来た。




長い黒髪が風の線を描いている。




飛鳥の装備はアメリカ海兵隊のセミオートライフル、マークスマン。




肘と膝にはプロテクター、腰にグロック自動拳銃、




タクティカルベストの下はお洒落な黒のチェック柄を着ている。




灰色のストールを巻き、鼻と口は骸骨柄のネックウォーマーに隠れている。




「救出任務? 間に合えばいいね」




『〝チャーリー4〟から〝インディア2〟援護する、左の路地に』




『第一防衛ラインより定時連絡。現在異常なし。繰り返す、異常なし』




「よし、出発しよう。機銃はかぐや、秋人は後方を警戒」




「了解」




二人の声が返ってくる。




やがて〝R1〟とペイントされた装甲車は発進し、




暗闇の中に吸い込まれるようにゆっくりと姿を消した。








移動を開始してから数分後。




目標地点に到着し、僕たちは装甲車から降りて周囲に展開した。




四人の頭部、肩、銃に取り付けられたライトが目まぐるしく動き、〈奴ら〉を探す。




「この建物……?」




今にも崩れそうな雑居ビルを見上げながら、飛鳥は呟いた。




「ここだね」




端末に送られてきた地図はこの場所を示している。




僕は画面を見ながら返事をした。




『〝キロ4〟より〝本部〟。〈補給任務〉は無事終了。帰還予定は15分後』




『了解』




「でもこのあたり全部見なかった? 結構最近来た記憶があるんだけど」




「かもな……ということはしばらく安全だったはずだ」




「じゃあ、生きてるかも」




何度も失敗している〈救出任務〉。




生存者がいるかもしれない状況に、空気が変わった。




秋人とかぐやの会話を聞きながら、




ずいぶん前に乗り捨てられたであろう車列の前まで足を進める。




『〝ロメオ1〟より〝本部〟これより建物に入る』




『了解、三階か四階に動きがあったそうだ』




足元はアスファルトを割って雑草が生い茂り、建物には蔦が絡まっている。




もう、都市はとっくに死んでいる。




「飛鳥と秋人はここで待機して」




大きく息を吸い、「行くよ」とかぐやに声を掛けた。




「あーゾクゾクする」




かぐやは恍惚の表情を浮かべ、僕の声など聞いちゃいない。




性格と能力を考慮し、我がロメオ隊第1班の突入アタッカーは




いつもかぐやだった。




僕たちは目線と常に同じ方向に銃口を構えつつ、建物の入口に足を踏み入れた。




『右から来るぞ! 〝ケベック1〟狙撃手は……』




『撃て! もう一匹……くっ……あそこだ!』




 すでに街として機能してないここ横浜は、




ただ一ヶ所を除いて電気水道ガス全ての生活インフラが止まっている。




この建物も例外なく真っ暗なので、




僕たちはライトで暗闇を照らしながら階段を上っていく。




埃とカビの臭いが鼻を突く。




建物内部には【腐樹】と白骨化した死体がいくつかあった。




目の前の階段に横たわっている人骨を踏まないように、




慎重に跨ぎながら足を進める。




骨が残る死に方ならばまだ運がいいだろう、そんなことを思った。




やがて僕達は指示された扉の前に着いた。




〈株式会社青木物産〉と書かれたプレートがライトに照らされ浮かび上がった。




ドアを開け、中に入っていくと……いた、人だ。それも生きている!




僕たちは顔を見合わせた。ここ数年〈救出任務〉を何十回も遂行してきたが、




初期を除いて駆けつけた時には大半が手遅れだった。




上空を飛んでいる監視ドローンのカメラやセンサーで発見したときは




生きているらしいのだが、入り組んだビル群のどこに行ったのか、




捜索するのが困難なのだ。今回は例外で、運が良かったとしか言いようがない。




いつもなら発見から時間が立ち過ぎて大体は間に合わず命を落としている。




理由は〈奴ら〉との接触、もしくは噛まれて感染してしまうからだ。




感染したら最後、早ければ数時間、長くても二四時間以内に死ぬ。




そして生き返る、人類の敵となって。




治療法はない。噂レベルではいくつか治療法が囁かれているが、信憑性は低い。




動いている影は全部で四つ。




僕とかぐやは銃口を素早く部屋中に動かし、脅威が無いか確認する。




やがて四人の中の一人が僕たちに気付き、小動物のように動きを止めた。




僕たちは刺激しないよう静かに近づき、




〝落ち着いて〟〝大声を出さないように〟と手で合図した。




残る三人も僕たちに気が付き、




どうやら手の動きだけでこちらの意図を分かってくれたらしく、




静かに一ヶ所に集まってきた。




「大丈夫ですか? 我々は救助部隊です。安心して下さい」




「ああ……助かった」




短髪の四〇代後半くらいの男性は、




安堵した表情で手に持っていたリボルバー式の拳銃を下に降ろした。




警官の持つM360J〝SAKURA〟だ。




しかし警察関係者には見えない。人のよさそうな経営者といった感じだ。




銃はどこかで拾ったのだろう。




傍らではかぐやが四人の全身に目を走らせ、感染していないかチェックしている。




「我々の元に来るのであれば、武器を渡してもらいます」




そう言うと男性は仲間を振り返り、いいか? と視線だけで確認した。




他の三人はすぐに頷いた。




皆憔悴しきっているようで、




一刻も早く今よりマシな状況に移行したいという想いがありありと見える。




「どうぞ」




拳銃二丁、自作の槍三本、ナイフ一四本を受け取り、




バックパックに入る物だけを入れ、残りはその場に置いていくことにした。




男性は山本と名乗った。一人だけジャケットを着ている。




物腰の柔らかい、話の分かる人だった。




「四人だけですか?」




「……はい」




「怪我人は?」




「いません、感染もしてないです」




かぐやが小さく頷く。問題はないらしい。




『こちら〝リマ3〟本牧ふ頭に【腐樹】確認。かなりの規模』




「どこから来たんですか?」




「伊豆とか箱根です。




山間部の宿泊施設を回って何とか今日まで生きてこれました……




望遠鏡でここの光が見えてみんなで向かうことにして……




始めはもっと人数いたんですが……」




それきり山本は眉根を寄せて黙り込んだ。




「あの……自衛隊の方ですか?」




「いえ、違います……」




黙ってしまった山本の代わりに二十代の女性が続けた。




「……とりあえず、移動しましょう。ここは危険ですので」




かぐやが残りの二人を立たせ、事務所の扉に進ませようとしたとき、




静寂を破って無線が入った。




『昴、来たぞ【ワーマー】だ』




無線機から秋人の声が室内に響く。




『今下りる』




返事をしたと同時に僕たちは移動を開始した。




四人は不安な様子で事務所を出て、階段に向かう。




前方はかぐやに任せ、僕は最後尾に付いた。




『〝ロメオ1〟より〝本部〟生存者四名を発見。




同時に【ワーマー】と接触。バックアップを頼む』




階段を駆け下りながら一気にまくし立てた。




『了解。近くの〝マイク3〟と〝ウィスキー1〟を向かわせる。




数分で着くはずだ』




『〝ロメオ1〟了解』




建物の出口を飛び出し、待機させた二人の姿を探した。




一番いい狙撃ポイントまで向かったのだろう、飛鳥の姿は既に見えず、




秋人は装甲車の脇に膝を付き、およそ40m先の交差点をポイントしていた。




「あそこ?」




僕はM4カービンの銃口を交差点に向けながら、秋人の横に並んだ。




装甲車の後部ではかぐやが助け出した四人を詰め込んでいる。




「ああ、【ワーマー】の群れが見えたが、どういう訳か……退いた」




「退いた? 退いたってどういう事?」




「知らねえよ、俺に聞くな。奴らに聞けよ」




強面の秋人の顔が、より人相の悪い顔になる。




「あーもう、秋人は本当に説明が下手だね。




いつも言ってるじゃん。伝える側の責任ってのがあってさ、




それを怠ると人間関係のトラブルの原因になるんだよ」




「俺のせいかよ」




「そうだね」




「あぁ?」




「だいぶ昔だけどさ、伝え方が約9割って本が流行ったんだよ。




説明しなくても分かるだろうってのはだめなの。




それは結局相手の理解力や想像力に依存してるだけの、




無責任で自己中な人ってことだよ。つまりは未熟な人間ってこと。




それだけ一般常識になってんだから秋人も……」




「あーうるせえうるせえ。俺が悪かった。




……お前はほんとドS野郎だな。頭痛くなってくるわ」




ライトの光は届かず、肉眼では確認できない。




僕は眉間に力を入れ、前方を〝視た〟。




視界が赤い水の中のようになる。輪郭は時折ぼやけ、安定しない。




草木に覆われたビル群が徐々に透け、向こう側にあるものが姿を現した。




頭が痛くなってきた。




ビルの死角に【ワーマー】30体ほどが視えた。




それに【四つ足】、【キケイ】も数匹。




力を抜き、目頭をきつく抑えた。




ウイルス感染し、体中から黒い枝を生やした歩く死人。




菌糸の枝の影響で禍々しい格好となった死人。




菌糸を植え付けるために人間を襲う死人。




死人、死人、死人。死人の群れだ。




「多い……」




「〝視た〟のか?」




「うん。けどいつもと違う。




いつもは動くモノ見つけたら本能の赴くまま襲ってくるのに。




下向いて活動停止状態だ。さっきは動いてたんでしょ?」




「ああ、動いてた。こっちに向かってきてたんだ。それが、途中で引き返した」




「どういうこと、それ……知恵がついた?」




「まさか。ただの腐れゾンビに……」




 僕たちは顔を見合わせた。




『こちら玖須美。狙撃場所に到着した。そこから正面のビル4階、階段の踊り場』




無線から聞こえてきた声で我に返り、飛鳥を探す。小さな影が手を上げた。




『了解。待機してて』




後ろから、僅かな足音と共にかぐやも合流した。




「とりあえず、様子見だね。動きがあれば迎え撃つ。




かぐやと僕はここ、秋人は飛鳥がいるビルの下」




 秋人は音もなく離れた。




『僕が合図するまで撃つなよ』




『了解』




とかぐや以外の返事は返ってきた。




横を見ると彼女はうっすらと笑みを浮かべながら、目を輝かせていた。




「ねえかぐや、好きにやってもいいけどさ、僕の指示は聞いてよ?」




かぐやは不気味に微笑んだままこっちを向き、何も言わずまた前を向いた。




こいつにはどうも隊長としての威厳が足りないらしい。




しかし、優秀なのは否定できない。




扱いづらい部下をうまく使うのも僕の仕事だ。




いつの間にか風も止み、うっすら明るくなってきた。




時間は午前五時過ぎ。




腕時計を見た瞬間、【ワーマー】の臭いが僕たちの嗅覚を刺激した。




『近いぞ』




 秋人も感じたようだ。




『飛鳥、見える?』




『見えない。正面に動きはないと思う』




おかしい。




【ワーマー】一匹が放つ強烈な臭いは、




僕たちにとってある種、近くにいるというセンサーだ。




しかし今回は……。




正面にいる【ワーマー】の群れは約40m離れている。




奴らの臭いじゃないとすると……。




うなじにぞくりと悪寒が走った。僕は咄嗟に目を瞑る。




赤く染まった視界。脳内には疾走している光景が浮かび上がる。




来る、かなりの速さだ。




一瞬空が見えた。宙を舞っている? 




くそ、分からない……どこだ、どこだ、どこだ!




ドンッという音と同時に、真横にある装甲車が揺れた。




ゆっくり見上げると、




そこには身体中に黒い突起物を生やした、犬のような化物がいた。




【四つ足】、それは感染した大型犬だった。




鋭い牙からは涎が垂れ、片方の耳は途切れている。




そいつは今にも飛び掛かかりそうな態勢だった。




まさかビルの上からとは……。




「撃てええっ!」














目を開けるとろうそくに照らされた木目が見えた。




続いて小刻みな振動。




自分がどこにいて、何者なのか、思い出すのに時間がかかった。




ここは馬車の中だ。




見えるのは天井。そして俺は……誰だっけ?




「お、オスカー様、大丈夫ですか? だいぶうなされてましたけど……」




ベッドから上半身だけ起こすと女の子が声を落として話しかけてきた。




えーと……アーシュだ、俺の護衛の……。




馬車の中には他に何人かいた。




窓からは三連月が見えた。全部満月だ。




寝ているリンギオ、ソーン、アーキャリー……ああ、思い出してきたぞ。




そうだ、ノーストリリアに帰ってる途中だった。




「大丈夫だ。……ちょっと変な夢でさ……。今どの辺?」




「えっと……コマザ城を過ぎたあたりです」




「そう、もう少しだね」




もう一度ベッドに入る。




今のは夢なのか? と天井を見つめながら考える。




いや、まるで記憶だ……。一人の男の体に自分が入っているようだった。




あの男の知識や経験や記憶を当たり前のように感じていたのだ。




まるでよくできたVRゲームや映画みたいだった。




舞台は荒廃した横浜……。




【腐樹】は……一緒だ。ということは……過去、なのか?




ザサウスニアの皇帝もこれを見ていたのか……。




俺は転生者で、夢の世界に類似した記憶があるからいいけど、




この世界しか知らない人がいきなり俺の前世のような世界を見させられたら、




確かに夢中になるかもしれないな……。




そう言えば頭痛や体調不良はもうない。




この夢は確実に〝ガシャの根〟に接触したからだろうが、




一体どんな科学的根拠があって……と考えたがそこで思考を止めた。




考えても分かる話じゃない。




城に帰ったらユウリナに相談してみよう。




「アーシュも寝な。馬車の周りには護衛兵団もいるし、




上空にはネネルたちが飛んでる。戦争も終わった。




今は安全だ。たまには休みなよ。……何だったら一緒に寝る?」




俺は微笑みながら毛布を上げた。




「ひぇっ? ああ! えっ、そんな、でも……」




冗談のつもりで言ったのにアーシュは慌てふためいた。




その様子に、夢を見て不安だった心が少し紛れた。




窓の外に目をやると、流れ星がきらりと光った。


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