第32話 小さな変化と大きな変化
──美香のいった敵国からの留学生、という設定に対し、魔王はそうか、といって頷いた。
まさか、私がアストリアの第5王子だと知らないはずもないのに、クリスタリアでの生活はなかなかどうして、快適だった。
魔法封じの腕輪をつけられ、つけ耳をつけることを義務付けられたが、それ以外には監視もつかず、客人として扱われた。
魔法さえ封じてしまえば、私など何の脅威でもないということか。そこまで敵としてぞんざいに扱われると、以前クリスタリアに美香を奪還するために潜入していたときも、わざと見逃されていたのではという気分になってくる。いや、おそらくそれは事実だろう。そうでなければ、あんなに早く、クリスタリアから美香の迎えが来るはずがない。
そのことに、歯噛みしそうになりながら、図書室へと向かう。
自由にしていいと言われたが、美香の傍に控えることは、美香に断られた。
美香は、そんなことよりも、『クリスタリア』を見て欲しい、と言った。ならば、その望みを叶えるだけだ。
美香がどのような意図で私をクリスタリアに連れてきたのかはわからないが、美香の望みなら全て叶えたい。
図書室へ行くと、まず、その蔵書量に圧倒された。アストリア城の図書室もなかなかの蔵書量を誇っていると思っていたが、それ以上だ。
そのことに驚きと悔しさを感じながら、本を一冊手に取る。選んだのは、『クリスタリアの歴史』だ。第5王子として、敵国の歴史を学んでいないわけではない。ただ、この国の主観から見た歴史は私の学んだものとどう違うのか興味があった。
──気づけば、夕日が目に眩しい。もう夕刻なのか。結局、今日は一日中この国の歴史書を読んで過ごした。
客室に戻ろうとしたところで、美香と出会う。美香も図書室に用があるらしい。美香は文字が読めないから、絵本だろうと思っていたが、美香が選んだのは、分厚い本だった。
「明日は一日中、暇だから暇潰しに読むの」
そういって、美香は笑った。そのことに動揺を押さえきれず、尋ねてしまう。
「美香が、読むのですか?」
「……うん、そうだよ」
美香は頷き、私の手を取った。そして、指で掌にガレン、と私の名前を綴った。
「文字、読めるようになったの」
「そのよう、ですね」
美香の顔が急に大人びたものに見えて、また、動揺してしまう。
──ねぇ、ガレン。これって何て読むの?
──それは……ですよ。
──ガレンは、凄いね。この世界の文字難しくて全然わかんないや。
文字を見つけては、私に尋ねてくる美香が好きだった。けれどもう、そんな幼い美香はいない。
「私ね、反省したの。この世界のこと何も知らないなぁって。それに気付いたのは、ガレンのお陰だよ。ありがとう」
返事が、出来なかった。時を戻したのは、美香を諦められなかったからだ。けれど、本当に美香に前の記憶があるのなら、感謝ではなく、憎悪を向けられるべきなのだ。私は、王に逆らいきれず、ただ、美香が処刑されるのを見ていた臆病者なのに。
「どうしたの、ガレン?」
「美香は、私を、」
憎んではいないのですか。一生憎まれても構わないから、傍にいてほしかった。その先は、言葉にならなかったが、美香には伝わったらしい。
「憎んでないよ。何で、私を見捨てたの?って今でも思ってる。でも、ずっと憎むのって疲れるし、私にはむいてないみたい」
その言葉を聞いて、ああ、と気づいてしまった。私にとっては一番大切だった、美香の恋心はもう、ないのだ。きっと代わりにあるのは『情』だろう。そして、おそらく、美香の恋心を殺したのは、時を戻す前の私だ。
「美香、美香、」
意味もなく、呆然と美香の名前を呼ぶ私を心配そうに美香が覗き込む。
その瞳に熱を探すけれど、美香の瞳に熱はない。
そのことに絶望して、私は意識を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます