第4話
「瑞穂、今日は一人でかえってもらってもいいかな」
彼の用事で、その日は珍しく俺は一人で帰ることになった。何だかその日は少し彼の元気がないような気がしたけれど、用事があるなら……そう思って一人で帰った。
「瑞穂、今日もなんだ。ごめんね」
「ごめんね、今日も……」
「…………ごめん」
だけど、そんな日が何日も何日も続いて。これはおかしい。流石の俺もそう思い始めた。そもそも俺に帰るのを断るときの様子からして変なのだ。"用事"とは何なのかと聞いてもはっきり答えてくれない。体調も何だか悪そうに見える。いつもの明るい笑顔が死んでいる。俺をいつも見ているその目が、俺に何かを隠すように逸らされる。
絶対、絶対おかしい。
「なぁ、やっぱりなんか」
「……なんにもないよ」
「でも、鍛埜」
「なんにもない、って、言ってるでしょ……」
明らかに彼は何かを隠しているようだった。いつも柔らかな彼の口調が苛立ちを隠しきれずに刺々しく刺さる。彼にこういう態度をとられたことのなかった俺はショックを受ける。それでも、ちょっと強く何かを言われた、そのくらいでめげる訳にはいかない。何かに悩みを抱えているというなら、俺は彼を助けたい。今までの恩を返したい。肝心の本人が相談してくれないのは困りものだけど……決めた。今日は。今日こそは彼の帰り道の動向を追ってみようと思う。彼に黙って後をつけるなんて、彼に申し訳ないけど状況が状況だ。あんな状態が何日も続くなんておかしい。あんな彼、見ていられない。俺は、彼にはいつも笑顔でいてほしいのだ。明るく朗らかな、そんな笑顔で。
いつもの帰り道を彼はいつも通りにてくてくと歩いていく。その姿に不審な点はない。
(今のところ、おかしなところはないな……)
抜き足、差し足、忍び足。絶対に彼に気づかれないよう、神経を集中させる。もし後をつけていることがバレたら、彼はこれからどれだけ俺が気を付けたとしても、きっと俺が後をつけていることに気付いてしまうだろう。そうして俺に心配をかけないように、今まで以上にもっと悩み事や困っていることを隠すようになるだろう。
もし、そうなったら、俺は彼に演技をされているというショックで死んでしまうかもしれない。そんな未来は嫌だ。だから、絶対に気配を気取らせてはならなかった。呼吸すら最小限に抑えて、俺は彼の後ろについていく。
(このまま何も起きなければいいけど……)
もし、本当に彼に俺に言えない用事があるだけなら、それがベストだ。その用事の為に彼にあんな態度をとられたことや、隠し事されていたという事実に多少のショックは受けども、彼が何か危険に巻き込まれているよりかはよっぽどいい。
このまま何も起きませんように。俺は天に祈った。
「……って、あれ?」
そうやって気を散らしていたのが悪かったらしい。いつの間にか、つけていたはずの彼の姿がなくなっている。
俺は慌てて周りを見渡した。しかし辺りには彼どころか人一人すら見つけることが出来ない。
どうして。彼は、どこへ。この後の道は真っ直ぐで、普通に帰れば、こんな風に見当たらなくなることなんて絶対にないはずなのに。
変な胸騒ぎがする。身体の中が不安でいっぱいになる。彼に何かあったらどうしよう。もし、彼がいなくなってしまうようなことがあったら。俺は。俺は。
また、一人ぼっちに。
そんなのは嫌だ。俺は泣きそうなのをぐっと堪えて、本来彼が進むはずだった方へ駆け出した。
いない。いない。どこにもいない。どうして。嫌だよ。鍛埜。鍛埜。俺の友達。俺の大切な友達。たった一人しかいない、俺の。俺の。大好きな。
「かじの────」
思わず、なりふり構わず叫び出しそうになった、その瞬間、待ち望んでいた彼の姿を捉えた。
「かじの?」
けれども状況は待ち望んでいたものではなかった。むしろ一番あってほしくなかった、そんな状況が目の前に広がっていた。
目の前で、白いハイエース車に無理矢理乗せられそうになる、彼。この四年間で見たことのない怯えた彼の表情。涙。醜悪な見た目の男。そいつが、彼を、俺の大切な友達の腕を無理矢理引っ張って。泣かせて。
「」
やめろ。とか、彼に触るな。とか、言いたいことは沢山あったはずだった。でもその全てが言葉にならずに獣のような慟哭へと変わる。
何か考える暇なんてなかった。
本能的に俺はその醜悪に向かって突進した。身体の全ての力を出しきって体当たりをした。醜悪が大きく体勢を崩して、地面へと転がる。醜悪が彼を掴んでいた手を離す。俺は彼の手を握り締めた。状況が掴めず思考停止している彼を引っ張って走り出す。自分でもびっくりするくらいスピードが出た。息をする暇なんてないくらい、走る。とにかく走る。
走って、走って、走って、走って。俺は彼の手を握ったまま、自分の家へと向かった。父のいない今、俺にとって家が一番安全で安心できる場所だと思ったからだ。幸い、後ろに醜悪の姿は見えない。俺は素早く家の鍵を開けて、家の中に入り、すぐさま鍵をかけた。
「…………」
「…………」
その時になって、ようやく俺は彼の方を落ち着いて見ることが出来た。喉が痛い。息が苦しい。心臓がばくばくと脈打っている。あれだけのスピードを一緒に走ったのだ。きっと鍛埜も苦し
え。
「」
彼の見たことのない表情に、言葉を失う。
上手く言葉では表せない……ただ人は芯まで絶望したらこんな顔になるのではないか、そんな表情だった。その顔のまま、彼は泣いていた。ぽろぽろと、ぽろぽろと、静かに泣いていた。
「ど、どうしたんだ!?どこか痛いのか?そ、それともアイツにけがでも……」
「……ちがう」
「じゃ、じゃあどうしたんだよ?とりあえずここは安全だから安心していいと思うぞ……?」
俺がそう言うと、彼は泣きながら、ぶんぶんと首を横に振った。
「……ちがう。ちがうんだよ……みずほ……」
違う、違う。
ぽろぽろと泣きながら、首を振って、彼はひたすらに否定の言葉を唱え続ける。
一体何が"違う"というのか。それを聞いても、彼は答えてくれなかった。ただただ「違う」とそういうだけだった。
"違う"というのなら、どうして彼は泣いているのだろう。そんな絶望的な表情をしているのだろう。分からない。ただ彼がこんな顔をしているのを、何も出来ずに見ているのは、ひたすらに苦痛だった。まるで、どこかの誰かに「お前は無能だ」「お前には何も出来ない」「出来損ない」そう耳元で延々と言われているような感覚だ。
その声を否定したい。けれども実際俺は泣いている彼を目の前にして何も出来ずにいるのだ。無能。出来損ない。確かにその通りだ。今の俺はその言葉にぴったりと当てはまる人間と言えるだろう。
そう自覚したら、凄く死にたくなった。こんな自分に生きてる価値なんてあるのだろうか。そうとまで思えてしまった。
彼を誘拐しようとした犯人はまもなく捕まった。彼もあんなことなんてなかったみたいに、以前のようにニコニコと朗らかに笑っている。日常は取り戻された。少なくとも、今は。
けれども俺は忘れない。
あの時、あの瞬間、絶望した表情の彼がいたことを。それに対して何も出来ない自分がいたことを。
二度とあんな思いはしたくない。
変わろう。そう強く思った。そして今度はその誓いを実行した。少しずつ、でも確かに。俺は俺を理想の俺へと変化させていった。
そうして、二年の月日が流れて。
俺達は中学生になった。
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