第10話 物置小屋②

 僕も神城も沈黙に徹した。耳を澄ました。

 確かに聞こえる。

「あ・あ・あ・」

 この途切れ途切れの断続的な声、聞きようによっては喘ぎ声にも聞こえる。だが、男か女か不明だ。わからない。声が遠すぎるせいなのか。

 僕の横で神城が囁くように「どうする、屑木くん。中を覗く?」と訊いた。

 僕はコクリと頷き、先頭に立って、ガラス窓に近づいた。


 僕は窓にへばりつくようにして中を覗き込んだ。

 中は薄暗く、目の前には蜘蛛の巣がかかっていて、見えにくい。どこに人がいるのかも認識できない。

 僕は目を凝らして中の様子を伺った。気味の悪い声の発生源だけでも確かめようと思った。

 さっきの声は二人のどっちの声なのか?

 体育の大崎先生か、それとも伊澄瑠璃子なのか。


 更に小屋の奥へ目を移すと、二人の人間、いや、もうそれは一つに成りかけているような男女の組だった。

 おそらく伊澄瑠璃子と思われる女の子に大崎先生が覆いかぶさっている。

 すると再び「あ・あ・あ・」と痙攣のような断続的な声が上がった。

 それが性的喜びを表現するものなのか、どうかはまだわからない。


 伊澄瑠璃子の太腿は大きく開かれている。その上に大崎の腰がある。

 僕の脇に佐々木奈々が来た。小さく「どうですか? 中の様子は」と尋ねてきたので、

「あれは、淫行だな」と答えた。

 佐々木の背中に神城涼子がいる。「私、担任の先生に言ってこようか」と言った。

 僕は「その方がいいな」と言って、思い留まった。


 中の様子がおかしい。

 体育教師の体全体が痙攣している。しかも痙攣幅が大きい。普通の痙攣ではない。

 性的興奮であのような現象は起きないと思う。それともまだ僕の知らない世界があるというのか。

「あれ、変ですね」と佐々木が言った。

 僕は佐々木に「やっぱり、変だよな」と答えた。

 普通の淫行ではない。

 それに、伊澄瑠璃子の着衣は乱れてはいない。胸元も開いていないし、スカートも少しずり上がってはいるが、最小限度だ。


 よく見ると、大崎先生と伊澄瑠璃子の顔がくっ付いている。

 あえてくっ付いていると言った方がいいようなくっ付き方だ。

 普通なら、キスをしているのだろう、と思うところだ。

「あ・あ・あ・・」

 外に洩れていた声と同じ声が聞こえた。

 それは、男の声。大崎先生のものだ。どこか苦痛めいた声に感じる。

 その声と重なってもう一つの声。

「お・おおお」

 それは歓喜の声にも聞こえた。当然それは女性の声、伊澄瑠璃子が何かを発信するような声だった。何かを誰かに伝えるような声。


 次の瞬間、太陽の光を遮っていた雲が遠のき、午後の陽光が物置小屋の中を照らした。

 伊澄瑠璃子の抜けるような白い肌。大きく開いた太腿が眩しく映る。

 そして、

 大崎先生の体が腰を中心に大きく跳ねた。まるで、何かの運動でもするように。

 僕にはその動きが性的なものにはとても思えなかった。むしろ、何かから逃れているような動きに見える。

 驚いたのは、

 二人の口元だった。

 大崎先生の口はありえないほどに大きく開かれ、何かを受け入れている。

 受け入れている物は、

 伊澄瑠璃子の口から出ている物。

 普通なら、それは舌であり、ディープキスをしていると思うところだ。

 だが、今、僕が見ている物は、そんな舌のような小さな物ではなない。

 もっと太く、長い物。

 それは確実に人間の器官にはありえないものだ。

 二人の口から溢れた液体。

 伊澄瑠璃子の口元から、つーっと血液のような液体が垂れ、下に落ちた。

 その液体を掬い上げるように、彼女の舌が伸び、それを絡め取った。

 するともう、その液体はどこにも見えなくなった。


 その時、隣の佐々木奈々が「ひッ」と小さな叫びを洩らした。

 佐々木の声に、伊澄瑠璃子は顔を上げた。

 そして、僕の目を見た。彼女の目と合ってしまった。いや、無理に焦点を合わされたのだ。

 伊澄瑠璃子の目は赤かった。赤く光っていた。

 僕はその中に、彼女の瞳の中に吸い込まれる。そう思った。気をしっかり持っていないと彼女の術中にかかってしまう。

 

果たして、僕が見たのは男女の淫行と呼べるものだったのだろうか?


 おそらく、伊澄瑠璃子は僕たちが覗き見していることはとっくに気がついていた気がした。彼女の瞳の中には驚きのようなものは少しも見えなかったからだ。むしろ薄ら笑いを浮かべていたのではないだろうか。


 頭が混乱した僕は声も出なかったが、

 窓から顔を離したあと、

 僕より少し冷静な佐々木奈々が静かにこう言った。

「ねえ・・あの中に、もう一人、誰かいなかった?」


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