第306話 水飲み場

◆水飲み場


 数日後、いつもの沈黙読書会を終えて散会すると、それぞれ帰途についた。

 階段をトントンと降りていくと、校舎の入り口付近で、加藤と、おそらく茶道部員と思われる女子たちが立ち話をしているところに出くわした。

 黙って通り過ぎようとすると、

「ちょっと、鈴木。無視しないでよ!」と加藤が追い駆けてきた。

「話中みたいだったから、悪いと思って」と僕は答えた。

「私、鈴木を待って、時間潰しをしていたんだよ」

「えっ、でも、僕がいつ部室から出てくるかわかんないだろ」

 僕がそう言うと、

「だって、さっき、和田くんや沙希ちゃんが出てくるのが見えたから、鈴木ももうすぐかな? って思ったんだよ」と説明した。

 そういうことか・・「それで、僕に何か・・」と言うと、


「ちょっと鈴木に訊きたいことがあるんだけど」

 加藤は何か話があるようだったので、校庭の水飲み場近くまで移動した。

 夕暮れのグランドでは、野球部の掛け声が飛び交い、陸上部の女子たちがトラックを駈けている。

 その様子を加藤は羨ましそうに眺めている。

 加藤は足に支障を来たしてからは陸上部を休部している。事実上の退部のようなものだ。

 普通に歩けるようになっても、陸上競技となると話は別だ。今は茶道部一本だが、本人は柄でもないと自嘲している。


 加藤は、グラウンドを眩しそうに眺めていた視線を僕に移して、

「噂なんだけどさ、純子が変な目で見られているんだよ」そう切り出した。

「変な目?」

「透視能力があるとかないとか・・そんな話が持ち上がっているんだよ」

 やっぱり・・と思った。

 あの後、絶対に何かあると思っていた。

 水沢さんが、あの不良娘たち、浜田と安藤の心をそれぞれ読んだからだろう。

 二人は言い争っていたが、その後で、水沢さんのことを触れ回ったのだと思う。

 あの二人の仲が元に戻ったのかどうか知らないが、彼女たちには、それくらいしか水沢さんに対抗する手立てはなかったのだ。

 心を読まれた悔しさは分かるが、男に振られた腹いせに水沢さんに言い掛かりをつけていた不良少女は許せない。


「加藤も、水沢さんのことはある程度は知っているんだろう? 水沢さんの場合は、透視能力なんかじゃなく、人の心が勝手に頭に入り込んでくるっていうことを」

 加藤は水沢純子の不思議なの能力について知っている。どこまで深く聞いているのか知らないが、水沢さんにとって加藤は、他の人と分け隔てなく友達でいてくれる希少な存在らしい。

 だが、花火大会の時、それは友人関係の一触即発の事態となった。

 水沢さんは、

「ゆかり、そんなに鈴木くんのことが・・・なの?」と小さく言って、

「人の心を勝手に読まないでよ!」加藤は泣きじゃくるように返した。

 そして、

「私だって、知られたくないことだってあるんだよ」と感情の高ぶりを見せた。

 やはり、人の心を読む人間と心置きなくつき合うのは無理があるのかもしれない。

 加藤と同じように僕だってそうだ。恋い焦がれてきた水沢純子という女性と普通に交際できるか? というと自信はない。それ以前に彼女と付き合うことは不可能だ。


「知ってるよ」加藤は軽やかに答えた。

 そして加藤は、

「そりゃあ、純子とは長い付き合いだからさ。何度かそんな話を聞いたし、純子自身も不思議なことも言ってたりしてたしさ」そう言って優しく笑い、

「でも、あんまり個人的な深い話になるとねえ、ちょっとねえ」と呟くように言った。

 それは花火大会の時のことを言っているのだろうか? 水沢さんの言葉は加藤にとって忘れられない言葉なのだろう。

 その後、加藤は一呼吸置き、

「でもさ、純子は純子じゃん」と言った。

 それが水沢純子であって、加藤が親友として付き合っていた彼女ということか。

 加藤は顔を傾けニコリと笑って、

「だから、鈴木も変な目で純子を見たりしちゃ、イヤだよ」

「いや、別に変な目で見ているわけじゃ・・」

 僕が言うと、「それならいい」と加藤は笑顔で言った。


「それで、加藤が訊きたかった話というのは、水沢さんのことなのか?」

「さっきの純子の噂のことだよ。鈴木なら、何か知っているんじゃないかな、って思ってさ」

 僕は、水沢さんが不良娘二人にからまれていた話をした。その現場に、僕が役に立ちもしないのに出向き、二人の攻撃対象が僕に移った。その際、水沢さんが二人の心を読むことで、不良同士を喧嘩させる結果となったことも話した。

 水沢さんの承諾も得ずに、加藤に話していいのかどうか分からないが、話しておかないと事態の説明がつかない。

 僕の話を聞き終えた加藤は、

「あ~あ、純子、やっちゃったんだね」と、残念そうな顔をした。

「やっちゃったとは?」

「純子の不思議な能力のことは大体知っているんだけどさ、それを誰かに言ったりしたらダメだよ、って、いつも純子に言っていたんだよ」

「そうだったのか」

 だが、水沢さんは、父親の心の中のこと・・浮気していることを一家団欒の時に話してしまった。それが原因で父親の仕事が上手くいかなくなり、青山グループとの取引停止という結果となった。 

 そのことを水沢さんは加藤には話していない。水沢さんは、僕にだけ、と言っていた。

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