第243話 小清水さんの優しさ
◆小清水さんの優しさ
この時間、速水さんが小清水さんを連れてくることは、予め速水さんと打ち合わせ済みだ。
早川は、二人を見た。
早川の姿を認めた小清水さんの表情が一瞬で曇る。すると、速水さんが、
「あら、早川先生」と白々しく声をかけ、
「見たところ、おズボンのサイズが合っていないのかしら?」と厭味ったらしく言った。
その言葉に反論しようにも早川はみっともない格好のままだ。
それに速水さんの指摘通り、ズボンがぶかぶかだ。それ故に素早く退散しようにもままならない。
部室に戻ってベルトを取り戻せばいいだけのことなのだが、今さら部屋に戻れない。
すると早川は、「君は、二組の・・」と言いかけ言い淀んだ。名前も覚えていないのだろう。
「部屋の中に、ばっ、化け物がいるんだ!」早川はしどろもどろに訴えた。
化け物・・
かつて、速水沙織は、養父のキリヤマに「化け物」と呼ばれたことがあるらしい。
その時、速水さんがどれだけ傷ついたか、僕には知る術がない。
だが、少しでも速水さんの気持ちに近づけたような気がする。
僕は早川の言う通り、化け物だ。
だが、そんな化け物より、お前は・・
速水さんは僕の心を受け継ぐように、
「あら、化け物より、もっと性質の悪いものが、目の前にいるようだけど」と速水さんらしい皮肉を言った。
だが、速水さんの言ったことは早川には伝わらないだろう。
その証拠に早川は速水さんのセリフを無視して、
「君・・悪いが、美術の部室に行って、俺のベルトをとってきてもらえないかな。中に転がっていると思う」と言った。
早川は速水さんに懇願するように言った。情けない指示だ。
早川はズボンを押さえているので腰の低い体勢だ。速水さんを見上げ、逆に速水さんは早川を見下ろしている。
速水さんの侮蔑の表情が早川の顔に刺さる。
すると、
「私がとってきます」と声を上げたのは、
意外にも小清水さんだった。小清水さんはさっと部室に入り、すぐに出てきた。その手にはベルトを携えている。
早川は「助かった」と安堵の表情を浮かべた。
「先生、これですよね」
小清水さんは早川にベルトを差し出した。
こんなに優しい小清水さんに、お前は・・
「あ、ありがとう」早川の顔が情けなく歪む。
この一連の行為が早川にとって屈辱的なことであることには違いないだろう。
気づくと透明化が終了していた。僕はその場に偶然居合わせたように登場した。
早川の眉間に皺が寄る。僕には会いたくなかったのだろう。
あの時、僕は早川とかち合っている、小清水さんの別人格のヒカルが早川を殴り、早川が部屋を飛び出してきた時だ。
早川は僕に「言うなよ」と言い残した。
言うことはできない。言えば、小清水さんが傷つく。このことは伏せておかなければならないのだ。
僕は「何かあったのか?」と白々しく声をかけ、速水さんたちに歩み寄った。
早川はベルトをズボンに通す最中だ。頭が混乱しているのか、手が震えて上手くいかないようだ。
「早川先生、手伝いましょうか?」皮肉たっぷりに言った。
その時だった。
「お、お前は・・」早川の顔に驚きの表情が浮かんだ。
続けて「ひっ」と変な声を上げた。
僕の声が、さっき早川の耳元で「最低だな、あんた」と言った声と結びついたのだろう。
早川はまだベルトを通し切っていないにも関わらず、ズボンを押さえながらよろよろと旧校舎を出て行った。
小清水さんが「早川先生、何に驚いたんでしょうね?」と首を傾げた。
「さあ・・よほど、正義の味方が怖かったんでしょうね」と速水さんが意味ありげに応えた。
「正義の味方?」小清水さんが訊ねる。
「鈴木くんのことよ」
すると、小清水さんは何かを思い出したように、
「そう言えば、速水部長、言ってましたよね。鈴木くんが、早川講師を痛い目に会わせてくれる、って」
そう言って小清水さんは嬉しそうに微笑んだ。
「ちょっと違うけど、そういうことね」
速水さんはそう言って、僕に微笑んだ。
僕の正体は分かることはないだろう。普通の人間には理解できない現象だ。すぐに自分の勘違いだと思うはずだ。
早川の退散を見送ると速水さんが、
「沙希さん、部室に行きましょう」と小清水さんを促した。
小清水さんは「そうですね」と言った。
今日の出来事で、小清水さんがあの出来事を忘れてくれたとは思わない。むしろ、早川の変な姿を見たことで、思い出したくないことが蘇ったかもしれない。
だが、僕はこうするしかなかった。あのまま、早川を放っておくわけにはいかなかった。
ただ、さっき小清水さんが見せた笑顔は、いつもの彼女のものだった。
そして、心配なことが一つある。
透明になって、早川に辱めを受けさせること。作戦は成功した。
だが、青山先輩に何か気づかれはしないだろうか?
速水さんとは透明化能力を共有しているから問題ないとして、青山先輩は何も知らない。
僕は青山先輩に早川を痛い目に遭わせる、そう告げた。
しばらくして、さっきの出来事が公になることだろう。すると、そこに僕の存在が絡んでいたと思うかもしれない。けれど、僕はそこにはいなかった。僕は透明化していた。
青山先輩は不審に思うかもしれない。
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