第210話 クラシック喫茶①

◆クラシック喫茶


 その喫茶店は一度しか行ったことのない店だが、静かな店だし、品もいいので気に入っている。それにクラシック音楽を流すので、女の子と話すには丁度いいと思って予め選んでおいた。

 店内に入ると、加藤は一番奥の席から手を挙げた。

 僕も手を上げると、加藤はニコリと笑った。腕時計で遅れを確認すると、20分も加藤を待たせたことになる。初めてのデートでこんな失礼なことはない。


 僕は席に着く前に、「ごめん。本当にゴメン」と強く謝った。

 加藤は笑いながら「そんなに謝らなくても」と言って「はやく席に着いたら」と続けた。

 アイスコーヒーに口をつけると加藤は、

「鈴木って、いつも、ああなの?」

「ああなのって?」

「なんか、無我夢中でさ。気になることがあったら、突っ走るっていうかさ」

「そ、そうかな」

 僕は頭を掻いた。

「そうだよ。一生懸命っていうか」

「よくそう言われる」と僕は笑った。誰に言われたのか忘れてしまうほど言われている。

 けれど自覚症状はない。

「鈴木のそういうところ、けっこう好きだよ」

 そう真顔で淡々と言った加藤のセリフに、飲みかけのアイスコーヒーを噴き出しそうになり、慌てて呑み込む。

 加藤の顔を正視できない。

 僕は加藤の言葉を打ち消すように、

「でもね、加藤・・実は、僕は結構ひどいことを考えていたりするんだ」

「ひどいことって?」

 加藤が丁寧に聞く姿勢を見せる。

「前に水沢さんと加藤と三人で水族館に行っただろ?」

「正確には、佐藤くんも入れて4人だけどね。その佐藤くんは途中で帰っちゃったから、ま、三人だね」

 あの時、加藤は、佐藤に傷つけられ、大粒の涙を零していた。その加藤の顔を僕は今でも鮮明に憶えている。

 加藤が可哀想で放っとけなかったが、僕の心は水沢さんに向いていた。


「あの時だって、僕は加藤のことを心配するような振りをして・・」

「えっ、私のことを心配してくれてたんだ!」と加藤は嬉しそうな顔を見せた。

「違うんだ。心配するような顔をして、違う女の子のことを考えていたんだ」

 そう言うと「なんだぁ」と加藤は落胆の表情になった。

 でも、正直に言わないと。

 けれど、加藤は、

「別にそんなことを改めて言うことないじゃん」と言った。

「どうして?」

「だって、あの時、私は『鈴木って優しいんだなぁ』って思っていたんだから。それでいいじゃん」

「そ、そっか」

 違う。決して、僕は優しくなんかない。

「鈴木は、佐藤くんのことがあっても『僕が悪いんだ』とか言って自分を責めてたよね?」

「そんなこと、よく憶えているんだな。でも、それはあの場の雰囲気で言っただけだよ。大したことを言っていない」

 僕は佐藤の性格を知りながら、それを加藤に言わなかった。それは僕が悪い。加藤に言うべきだった。

 僕がそう言うと、加藤は「ふーん」と言って、グラスの氷を混ぜ、

「それで、別の女の子、って誰のこと?」と訊いた。

 しまった! 話を反らすためについ水沢さんのことを出してしまった。

 水族館で加藤とは違う別の女の子のことを考えていたっていえば、水沢さんしかいないじゃないか。


 加藤は僕の表情を伺って、

「その子、純子のことでしょ」加藤はそう言って、にこりと笑った。

「もう忘れたよ。その時の事なんて」

 そう誤魔化すと、「まあ、いいや」と加藤は言って、

「でも、そんなもんだよ」

「そんなものって?」

「人の想いなんて、そんなもの、って言ったのよ」

 僕が黙っていると、加藤は話し始めた。

「だって、あの水族館の時なんてさ、私、佐藤くんのことしか考えていなかったんだよ。ずっと佐藤くんのことを見ていたの。その時、鈴木のことなんて、これっぽっちも頭に無かったのに。それも、そんな昔じゃない。つい最近のことなのに」

 ……加藤、それって、今は僕のことが、っていう意味なのか?

 だが僕は声に出さなかった。

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