第208話 噴水のある公園①
◆噴水のある公園
小清水さんが立ち去ると、
加藤が僕の手を掴み、くいと引いた。
「ねえ、鈴木。沙希ちゃんのこと、あれでよかったの?」と小さく言った。「沙希ちゃんを放っておいていいの?」そんな風に聞こえた。どうして加藤はそんなことを訊くのだろう。
今は加藤と二人でいる時間だ。デートなんだ。
「ああ」と僕は答えた。
そうは答えたものの、なぜか僕の目はもうここにはいない小清水さんを追いかけていた。
振り返ると、小清水さんは大型書店に入らず、真っ直ぐにセンター街を進んでいた。
あれ?
小清水さんは、本屋に入らないのか?
僕の中に不安がどんどん渦巻き始める。
「鈴木は、小清水さんのことが気になるんだよね」そう加藤は言った。
僕は加藤を見た。
加藤も僕の目を見ている。目を外さない。
そして、加藤はこう言った。
「なんか、沙希ちゃん、ちょっと様子がおかしかった」
やはり加藤は小清水の声から何かを感じ取っていた。
その言葉を聞くなり、僕は、
「加藤、悪い。先に喫茶店に行って待っていてくれないか」
僕は行こうとしていた喫茶店の場所を教えると、
「加藤、ごめん」僕は謝った。
「いいよ。鈴木だし」加藤はいつものような笑顔を見せた。
小清水さんの進んだ方向に目をやると、彼女を見失っていることに気づいた。
小清水さんはセンター街を真っ直ぐ進んだはずだ。だが、他の店に寄っていたらわからない。それくらい店は多い。
そう思った時、外の光が差すセンター街の出口付近に小清水さんらしき後姿を認めた。
「加藤、ごめん」そう繰り返し言って僕は走りだした。
小清水さんはセンター街を出ると、南に下った。
南は一直線だ。三宮のメインの公園でもあるフラワーロードだ。ここは市民の憩いの場になっている。三宮のセンター街と港の間を一直線に伸びている散策路だ。
そんな緑に囲まれた石畳を歩く小清水さんの姿を近くに見つけると、「小清水さん!」と声をかけた。
三つ編みを揺らし小清水さんは立ち止まり振り返った。
小清水さんは訝しげな瞳を見せ、
「また、あなたなの?」
と、小清水さんは言った。いや、小清水沙希の別人格のミズキが言った。
ミズキは、小清水さんを更に大人しくしたような少女だ。
どこか儚げな雰囲気が漂う。
「君は、ミズキなのか?」
僕の問いにミズキはコクリと頷き、「そうよ」と答えた。そして「鈴木くんだよね」と確認するように言った。そして、
「沙希が、突然、泣き出したの。それで私が目を覚ましたの」と説明した。
多重人格者の気持ちはわからないが、要するに、現在は、小清水さんの姿をした別人格の「ミズキ」ということだ。
「小清水さんは、どうして泣いたんだ?」
わかっている。その原因は僕だ。
「わからないけれど、沙希は傷つきやすいから」
傷つけたのは僕自身だ。「水沢さんを好きだ」と言っておきながら、加藤と手を繋いでいた。小清水さんから見れば、不純な男に映ったのに違いない。
「どうして、沙希が傷ついたのかはしれないけれど、私には丁度良かったのよ」
「ちょうと良かったって?」
僕の問いに、ミズキは白のトートバックから文庫本の姿を覗かせ「本を読みたかったから」と少し微笑み言った。初めてのミズキの笑顔になぜかドキリとした。
「沙希が本を読むときだけ、私は沙希と同化して、一緒に本を読むの」とミズキは言った。「そして、私が出た時には、こうして沙希が読んでいる本を読むのよ」
多重人格者の行動はまるっきし理解できない。
「その本、今度の読書会用の本だ」その本は雪国だった。カバーを付けない小清水さんの本だ。
「ちょうど、本を読むのにいい場所があるわ」
ミズキの視線の先には、大きな噴水があり、その周囲にお洒落なベンチが配されている。
ミズキは僕にお構いなしに先に進み、機嫌よく木陰になっているベンチに腰かけ、文庫本を広げて読書モードに入った。
そんな姿、三つ編みの小清水さん、いや、ミズキの姿は文学少女そのものに見えた。
その様子を見ながら、そろそろ、加藤のいる場所に戻らないと、と思った。今は加藤とのデート中なんだ。
そして、同時にこう思った。
小清水さんの別人格のミズキとこうして話しても何の意味もないではないか。
僕はどうして、ここまで小清水さんを追ってきたのだろう。
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