第190話 人の想いはどこにある?
◆人の想いはどこにある?
僕がオープンテラスに戻ると、まず、僕はワザとらしく、「あれ、水沢さん?」と言わなければならなかった。
「鈴木、どこに行ってたの? また消えたのかと思ったよ。心配するじゃん」と加藤に言われた。
確かに消えた。
「ごめん・・僕もトイレに行きたくなって」
水沢さんは「鈴木くんって・・よく消えるのね」と意味深なことを言った。
加藤が水沢さんの言葉を受けて、「純子もそう思う?」と言った。「鈴木ってさ、時々、いなくなるよね」
二人が冗談で言っていることはわかるが、本当に消える僕にとってはきつい言葉だ。
僕は、話を紛らわすために、
「水沢さんも、図書館に来てたんだね」と言った。「びっくりしたよ」
「うん。前にも言ったけど、よくここで自習しているの。涼しいし」と言って水沢さんは、
「それで、勉強していたところ、ゆかりがきて、鈴木くんがきてる、って言うから勉強の休憩がてら来てみたのよ」と続けて微笑んだ。
それはそれで嬉しい。少なくとも僕は水沢さんに嫌われてはいない・・そう思う。
真夏の中・・少し気温が低く過ごしやすい日。
目の前に、いつも教室で眺めるだけだった水沢純子がいる。何度か、こんな状況になったことはあるが、まだ慣れない。いつまで経っても慣れない。
いつも新鮮だ。これが恋・・というものなのだろうか。
三人が揃うと、改めてアイスコーヒーのお替りをした。
「鈴木くん・・合宿はどうだった?」水沢さんがそう話を切り出した。「楽しかった?」
僕は「うん」と言って、合宿のことを少し話した。
加藤も顔を寄せ、僕の話を聞いている。
・・と言っても当たり障りのない話だ。読書会の話と須磨海水浴場の話くらい。
途中、何度か透明化したことなんて言えないし、透明化した速水さんが男子風呂に入ってきた話は猶更できない。
海水浴場で、あのキリヤマに出くわしたことなんて、水沢さんや加藤には全く関係のない話だ。
もし、何かの関係ある話があるとすれば、
それがきっかけで、中学時代の初恋のことをはっきりと思い出したことぐらいだ。
その話は直接、水沢さんに関係ある。
僕は本当の初恋、その失恋を忘れるために、記憶の奥底に封じ込めるために、
水沢純子という存在に恋をしていた。
しかし、そんな風に塗り替えた恋も続けば、本当の恋になる。
僕はそう信じている。
合宿の話を終えると、水沢さんは何かを思い出すように、
「文芸サークルの上級生の青山灯里さんって・・すごく綺麗な人よね」と言った。
青山先輩は、有馬の愛宕山公園を散策したことを説明するのに、登場して頂いた。
・・そう言えば、水沢さんは、青山先輩が初めて僕らの教室に現れた時、「あの人、青山灯里さんよ」と言っていた。青山先輩をよく知っているような口ぶりだった。
しかもフルネームを知っていた。
「水沢さんは、青山先輩を前から知っているの?」と僕は訊いた。
すると、
「ええ、知っているわ」と水沢さんは言った。
水沢さんの返事の後、加藤が、
「えっ・・純子、どうして、あの上級生の人を知っているの?」と訊いた。
加藤にしてみれば、どこのクラブにも所属していない水沢さんが上級生を知っているのは意外なのだろう。
僕と加藤の問いかけを予想していなかったのか、
水沢さんは「ううん・・ちょっと知ってるだけ」と話を濁した。
そんな水沢さんの顔を見ながら加藤が、
「そうそう、この前さあ・・街で小清水さんを見かけたんだよ」と話題を切り替えた。
「小清水さんって・・鈴木くんと同じ、文芸部の?」水沢さんが訊ねる。
「そう、その小清水さんなんだけどね・・なんか様子がおかしかったんだよね」
まさか・・小清水さんの多重人格の誰かが。
「おかしな様子って?」と何も知らない水沢さんが訊ねる。
「それがさ、小清水さんって、教室ではすごく大人しいよね。ところが私が見たのは、その正反対のような小清水さんだったんだよ」
加藤の話を聞いて、水沢さんは、
「ゆかりの見間違いなんじゃないの?」と一笑に付した。誰だってそう思う。
加藤は、「そうかなあ・・私の勘違いかなあ」と首を捻っている。
そんな会話をしている時、加藤の表情が少し歪んだ。僕の目にはそれが苦痛を堪えているように見えた。おそらく、足の痛みなのだろう。
スポーツが大の苦手の僕には、その痛み、その怪我が、どれほど競技に影響するのかわからない。
だが、先ほどの加藤の口ぶりで察するには、陸上をする人間にとっては致命的なのかもしれない。
「ゆかり、大丈夫?」
そんな加藤の表情を見て、水沢さんが気遣いの声をかけた。
「うん。全然、平気・・」加藤が笑った。
なんだか、加藤が無理して笑っているように見えた。
水沢さんと同じように、僕も加藤が心配になってきた。
加藤はいつも笑っている・・けれど、それはただ強がっているだけなんだ。
加藤は自分の弱さを見せない。
・・そのはずが、今日の加藤は、弱さを見せている・・そんな気がした。
その時・・
水沢さんが僕の目を真っ直ぐ見据えた。
「鈴木くん・・」
テーブルに置かれたグラスがカチャッと音を立てた。
「え?」何だろう?
「な、何、水沢さん」僕の体が自然と硬直する。
水沢さんに見つめられるなんて嬉しいはずなのに、
なぜか、水沢さんの次の言葉を聞くのが怖かった。
僕の顔を見ながら、
「鈴木くんは・・ゆかりのことを、すごく大事に思っているのね」
水沢さんは静かにそう言った。
「えっ・・僕が、加藤のことを?」
なぜ、どうして? 僕は加藤のことなど思っていない。僕は想っているのは、水沢さんしかいないじゃないか。
なのに、どうして?
水沢さんは、時々、人の心が頭の中に入ってくる。そんな不思議な体質を持っている。
けれど、なぜか僕の心はいつも水沢さんには届かない。
そんな水沢さんの言葉を受け、加藤は、
「ないない。純子、それはないよぉ」と、手を大きく振った。「それに、純子、さっき言ってたじゃん。鈴木は、私のことは思ってないって」
「ううん」水沢さんは首を振って、
「鈴木くんは、ゆかりのことだけじゃなく、小清水さんのことも・・」
「僕が小清水さんのことを?」
小清水さんは、僕の大切なサークル仲間だ。しかし、それと恋とはまた違うものだ。
加藤は僕を庇うように、
「鈴木は、小清水さんのことが好きかもしんないけど、私に対しては全然だよぉ」と変な笑顔を浮かべている。
けれど、それも違う。
僕は言い澱んだように「いや、僕は小清水さんのことは・・」と小さく言いかけ、やめた。
ダメだ。話が変な方向にいっている。何を言っても悪い方向に行く。
どうして、肝心の水沢さんへの想いが伝わらないんだ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます