第159話 青山灯里の報告②

 そんなことを思い出していると、電話が鳴った。

「もしもし・・鈴木くんのお宅ですか?」

 相手は僕を指定している・・聞いたことのあるような、ないような男の声。

「はい、そうです」と答えると、

「鈴木道雄くんだね」と男は言った。

 この声・・思い出した・・早川という高校の美術講師だ。

 いつも僕には美術の点を低くつける。そして、文句を言いそうな生徒には高い点を付ける。えこひいき丸出しの講師だ。

 そして、陰で青山先輩の監視役をしていると聞いた。つまりはそんな副収入のある男だ。いいイメージは一つもない。

「美術の講師の早川だ・・」

 僕の電話番号をどこで聞いたのか、と思いながら僕が「はい」と答えると早川は、

「合宿はどうだったね?」と尋ねた。

 僕が「どう・・って」と言いかけると、

「楽しかったかね」と重ねて訊かれた。

 何か、むかついてきた。

 あんたには関係ないだろ! と言いたくなった。けれど、相手は大の大人だ。しかも高校の講師。そんな気持ちはぐっと抑える。

「はい、楽しかったですよ。初めての合宿でしたから」と僕は言った。


 すると、早川講師は僕の話などどうでもいいように、

「青山くんは・・特に何もなかったかね?」と尋ねた。

 言い方が回りくどい。

 何もなかったか? と訊かれても、どう答えていいのかわからない。

 この男は青山先輩の家に雇われている探偵のような男だ。

 合宿にはついて行けなかったので、その時の青山先輩の様子を知りたいのだろう。それで僕に電話をかけてきたわけだ。そこまで監視しなくてもいいと思うけど、金をもらっている身なので報告書でも作成したいのだろう。

 例えば「同行の二年生の鈴木道雄に聞いたところ、何もないとのこと・・」という具合に。


 僕は「何もないですけど、青山先輩が・・何か?」と尋ねると、

「灯里さんに、尋ねても何も言わないからね」と早川講師は言った。

 そういうことか。青山先輩は報告を拒否しているんだな。それで僕の電話番号を調べて・・というわけか。ご苦労なこった。

「君の言っていることを信用していいんだね」

「だから、何もない、と言っているでしょう」ちょっと口調を強くして言ってみた。

 しつこい!

 だいたい、僕はこの早川という男が嫌いだし、電話で会話をするのも嫌いだ。

 石山純子にふられた日の公衆電話を思い出す。


 僕はワザと、

「お二人の関係は、早川先生は、青山先輩とどういうご関係ですか?」と話を切り出した。

「どうって・・」と早川が答えに窮すると、僕は、

「僕は青山先輩を同じサークルの部員として尊敬しているし、先輩として頼ってもいます。それに・・」

 早川は僕の言葉に「それに?・・」と復唱し話を促した。

「青山先輩は女性としても素敵な人・・そう思っています」

 そう僕は大きく言った。

 電話口の向こうで「君が?」と言ってあざ笑うような声が聞こえた。

 僕の勢いにまかせての言葉だ。早川が真に受けようが知ったことじゃない。笑っても結構だ。

 すると、早川は「お嬢さんはね、君のような人間が軽々しく接していい女性じゃないんだよ」と言った。

 意味が分からない。

 こいつはこうやって自分が蔑視する人間の点数を低くつける。美術の作品などおそらくは見ていないのだろう。

 たしかに青山先輩は高位レベルに属する人種だとは思う。

 だが、早川・・おまえは違うだろ!

 無性に腹が立ってきた。

「だから、先生と青山先輩はどういうご関係なんですか! 第一、先生が生徒をお嬢さんと呼ぶなんてどう考えてもおかしいでしょ」

 僕のいきり立った声に早川は、

「僕はね、君のような、礼節をわきまえない男子からお嬢さんを守っているんだ」と言った。

 こいつ、おかしい。どう考えてもおかしい。生徒にこんな電話をかけてくるのもおかしい。意味不明の電話だ。

「もう切りますよ」僕は早川講師にそう宣告した。

 これ以上こいつの声を聞きたくない。不愉快だ。

 それに、「君のような人間」という言葉で、石山純子にふられた時のことが想起された。

 影が薄いも、存在感がないもそれなりに腹が立つが、「君のような人間」という言葉は想像力をどこまでも膨らませ、落ち込ませる言葉だ。


 僕が「もう切りますよ」と言うと、早川は、

「まあまあ、待てよ。要するに、お嬢さんには合宿中、何も変わったことはなかった・・そういうことでいいんだね」と若干トーンを落としてそう訊いた。

 おそらく青山先輩の男関係とかを詮索しているのだろう。合宿の三日間、色気じみたことなんて何一つなかったのに。

 何もなくても青山家に、「何もありませんでした」とかのレポートでも提出するのだろうか。


「そういうことでいいのか・・って言われても、僕の知らない所で何かあったかもしれませんよ。何なら、合宿に行ったメンバー全員に訊いたらどうですか? そうそう、池永先生にも訊いてみたらいいじゃないですか」

 そう僕がまくし立てると早川は、

「池永先生に訊けるわけがないだろ」と強く言い返されたので、

「そんなの知るかよ!」と僕は怒鳴った。僕の知ったこっちゃない!

 僕は腹立ちまぎれのついでに、

「そうそう、今、思い出しました。僕と青山先輩、一緒に愛宕山公園を散歩しましたよ。楽しかったです・・これでいいですか!」

 確かに楽しかった。

 僕のような低レベルの人間が、青山先輩のような人と話ができ、素敵な時間を過ごすことができて嬉しかった・・そんな本当の気持ちと自虐的な意味も込めて僕は言った。

 そう僕が勢いよく言うと早川は、

「鈴木くん・・そのうち、痛い目を見るよ」

と言って、先に電話を切られた。

 これで美術の点、また低くなるな・・早川講師はそういう男だ。


 そんな不愉快な気持ちを抱えながら、部屋に戻って勉強を再開した。

 この電話の件は青山先輩に言うべきか? それとも青山先輩はもう知っているのか。

 そして、この変な電話は他の部員にもかかってきているのだろうか?

 早川なら他の子にもかけそうだな。

 あれ以上、勢いにまかせて早川に変なことを言わなくてよかった。「和田くんとできているかもしれませんよ」とか。そんなことを言ったら・・いや、面白いかもしれない。早川の顔が見ものだ。

 いずれにせよ、電話で加藤ゆかりの声を聞いた後、水沢さんのことを思い出して心の中を潤わせた後、早川講師の鬱陶しい声など聴きたくなかった。


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