第123話 心の暴発・その柔らかな体は誰の?

◆心の暴発・その柔らかな体は誰の?


 再び、小清水さんに目を移すと、

 仲間に手を出されたのが悔しいのか、もう一人の男が小清水さんの浴衣の襟を掴んだ。小清水さんは男の腕を払い退けようとしたが、男の力は強い。

「離せよっ!」

 小清水さん・・君はそんな声を出す人じゃない・・

 小清水さんにそんな声を出させるようにしたのは、あの男たちだ。


 許さない・・

 僕たちは・・高校生の僕たち文芸サークルの部員たちは、本を読むことが大好きで、こうやって温泉地に来てまで本のことを話している。

 そんな僕たちの、静かなひと時を邪魔する者たちは許せない!


「ちくしょうっ!」

 僕はそう叫びながら、立ち上がろうとした。

 その時だ。

 ふわっ、と体が浮いた感覚がした。初めて透明化した時の感覚とは別の感覚・・

 自分がなくなる・・そんな感覚だ。

 これが速水さんの言っていた「心の暴発」なのか?

 透明化した状態で、心が暴発すれば、その存在が消えてなくなる・・

 速水さんはそう説明していた。

 そっか・・僕はこのまま消えるのか・・

 でも、それよりもあいつらを!

 こんな状態では冷静な判断などできない。

 目の前のことで他の事が見えなくなる。


 次の瞬間・・

「鈴木くん! ダメっ!」

 聞き覚えのある声。最近、少し暖かく感じられるようになった声。

 ・・速水さんの叫ぶ声が聞こえた。

 同時に、僕の背中に柔らかいものが・・速水さんの体が乗っかってきた。

 速水さんの胸が僕の背に・・当たってる!


 えっ?

 僕の体が・・止まった。

 浮遊する感覚が停止した。

 それは、速水さんが僕の体を抱き留めているからだった。

 そのことに気づいた時には、僕の透明化は終了していた。

 だが、僕の体に両腕を回している速水さんは透明だった。見えない。

 今日・・二度目の速水さんの透明化だった。


「鈴木くん、心を暴発させちゃダメよ!」

 速水さんはそう強く言った。

 僕には速水さんの体は見えない。

 けれど、速水さんに力強く抱き締められているのがわかる。

 そして、速水さんには僕が見える。

 おそらく、僕が怒りにまかせて何かをしようとしているように見えたのだろう。

 それで・・

 僕は速水さんに助けられた。僕の命が・・救われた。

 僕は透明化したまま、心を暴発させ、その存在自体が消えるところだったのだから。


 僕は水沢さんが言っていた言葉を思い出していた。

 ・・あの人は鈴木くんを愛している。

 その言葉を僕は、受け止められない・・

 人を愛する・・そんな気持ちがわからない・・


 池永先生が、

「とにかく、うちの生徒に手を出すのはおやめなさいっ」と小清水さんを掴んでいる男の間に割って入り、男の腕を掴んだ。そんなことに耳を傾ける連中ではない。「何だ。学校の先生かよ」男はいとも簡単に先生のか弱い腕を振り解いた。

 それを見て黙っていられなくなったのか。

「ちょっと、あななたち、いい加減になさいっ!」

 長身の青山先輩が大きな声で怒鳴った。その声にも男たちは怯まない。

 柄の悪い男たちに酒が入るとロクなことがない。


 僕の耳元で、速水さんは「鈴木くんはここにいてちょうだい」と言った。

「私はね・・ああいう男たちが大嫌いなのよ」

 速水さんが「ああいう男たち」と言うのが、酒を飲む男なのか、柄の悪い男を指すのか、それとも、女性をいたぶる男たちのことなのかは分からない。

 それが速水さんの義父の性的、肉体的暴力に起因するものなのか?

 いずれにしろ、速水さんは男全般が嫌いなのだと思う。

 それは、僕以外だ・・それはどうして?

 過去に僕と速水さんとの間に何かあったのか?

 僕の脳裏には・・この状況と似たような光景・・を思い出しかけていた。


 次に僕が見た光景は、信じられないものだった。

 その理由を知らない者にとっては、

 異様な光景だった。


 まず、速水さんの声・・

「許さないわ」

 僕が吐いた言葉と同じ言葉が聞こえた気がした。

 同時に、男の右腕が外向きにピンと張った。

 おそらく速水さんが男の手を引っ張っているのだろう。

 腕を握り込んだまま、捩じり上げたと思える。腕がそのまま変な方向に曲がった。

 何かの護身術だろうか。女性の力でも男の体を操れる。それを見事に具現化したような動きだった。

「あなたたち、迷惑なのよ」

 それは手加減が全く感じられない捩じり方に見えた。男が苦痛の余り変な声を出した。

 男はつんつんと片足で意図しない方向に歩き、いや、歩かされた。

 おそらく、速水さんがそのまま引っ張っているのだろう。

 その先は、川だった。

 危うく落ちる! と思われたが、

 捩じられていた腕が下りた。男は欄干につかまっていた。


「化物がいるぞ!」

 男は痛めた腕を片方の手で押さえながら相方に言った。

 一人がそう言うと、言葉は異様なまでに連鎖する。

「化物だって?」

「どこに化物がいるんだっ!」 

「そんなのいるわけないだろっ」

 素知らぬ振りをしていた見物客まで、化物という言葉に敏感に反応する。

 見物客の誰かが「見えない化物だ!」と言った。


 続いて誰かが「もしかして、幽霊かも・・」と言った。

 その言葉にいち早く反応したのは青山先輩だ。体をビクンと震わせように見えた。

 青山先輩は、例の部室の幽霊を思い出したのだろか?

 幽霊はその時と同じ、今も速水沙織、その人だ。


 気がつくと、男たちの姿は見えなくなっていた。注目を浴び過ぎたせいもあるのだろう。

 いつだってそうだ・・

 速水さんの透明化は格好いいが、僕は格好悪い。


 そして、僕の前には、浴衣から伸びた誰かの綺麗な脚があった。

 見上げると、

「鈴木くん。君はそこで何をしているの?」

 青山先輩が転んだまま見物していた僕を見下ろしていた。


 そして・・こんな状況をものともしないように見える青山先輩は、小清水さんの体を抱きかかえていた。

 僕が「小清水さんは?・・」と言いかけると、

「沙希ちゃんは、さっき、私が引っぱたたいたのよ・・『女の子がお下品な言葉を使うんじゃありません』・・って」と言った。


 僕が起き上ると、小清水さんは、「あれ・・青山先輩? どうして?」と自分の置かれている状況を把握しながら僕に、

「鈴木くん・・速水部長は? 見つかったの?」と訊いた。

 その時の小清水さんの顔は、元の・・いつもの優しい小清水さんの顔だった。

 小清水さんはある程度の時間が経つと元に戻るのだろうか? 僕や速水さんの透明化みたいに。

 いずれにせよ、速水さんが言った「沙希さんはもう一人いるのよ」は速水さんの その場逃れの嘘で、二人いると思われた小清水さんは同一人物であると証明された。

 

 僕が「速水部長は・・」と言い澱んでいると、

 柳の木の陰から、すっと・・速水さんはそれこそ幽霊みたいに姿を出した。

 池永先生が大きな声で「沙織ちゃん。どこにいたのよ。先生、心配したんだから」と言った。

 速水さんが現れたのとは全く関係なく、

 和田くんが僕の横で「僕の出会ったのは、さっきの小清水さんだ」と小さく言った。少し嬉しそうにしているが、あれは、本来の小清水さんではない。僕はそう思いたい。


「心配かけて、ごめんなさい・・」

 その浴衣は予想通り乱れ、そして汚れていた。


 それから僕ら一同は、夜の道を歩くことの興味を失い、旅館に戻ることにした。

 道すがら速水さんは小さな声で僕に、

「私は・・化物よ・・」

 と言った。

 僕もそうだ・・

 だが、同じ透明化できる人間同士でも、

 なぜか速水さんの場合は悲しく感じられた。

 速水さんは、母親に「化物」と呼ばれたのだから。


「速水さん、何か、護身術とか習っていたのか?」と僕が訊くと、

 速水さんは首を振って、

「自己流だけど、最低限の身を守る術は身につけたつもりよ・・・いつも義父に何かされていたから・・」

 何かをされて・・

 やはり、速水さんの義父の暴力か・・肉体的、性的・・

 

 そう思った時、速水さんはこう言ったのだ。

「私・・強くならないと・・そう言って教えてくれたのは鈴木くんよ」

え?

 一瞬、何を言ったのかわからない速水さんの言葉に、

 僕の遠い日の記憶が呼び覚まされようとしていた。


「それより、鈴木くん、早く傷の手当てを・・」

 そう速水さんは言った。今言った言葉を打ち消すように。


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