第35話 海辺の水族館④
「でも、お邪魔だったようね」
「お邪魔って・・」
「鈴木くんの厭らしいにやにや笑いの原因は水沢さんだったのね・・沙希さんが気にしていたわよ」
「ず、ずっと見ていたのか?」
すごく恥ずかしい。
「文芸サークルの部長として、部員が不純異性交遊をしないか、チェックもしないといけないもの」
「おい、不純交友って・・それ、冗談だろ」
「うふふっ、とりあえず、二人の会話までは聞いていないわ。一応、私にもマナーはあるつもりよ」速水さんはそう言って、
「ちょっと、その珈琲を飲ませて」
紙コップが、速水さんが手にしたのか、透明になった。
「おい、それ」・・それ、間接キスだろ!
再び、僕の前に紙コップが現れた。
「冗談よ。口はつけていないわ。キスは本命さんにとっておいてちょうだい」
そんな速水さんとのやり取りで、僕はこう思った。
あの読書会の本「冬の夢」のヒロイン、ジュディは速水沙織のような子なのではないだろうか? 蠱惑的・・小悪魔な女の子・・やはり違うかな。でも水沢純子とも違う。
「それと・・・余計なお節介かもしれないけれど」
「何だよ。言えよ」
「加藤ゆかりさん・・ちょっと可哀想ね」
加藤が?・・何かあったか?
その理由を訊こうとすると、
「あら、水沢さんが戻ってきたわよ。お邪魔な私は消えるわね」
そう言ったかと思うと、僕の隣から速水沙織が去っていくのがわかった。
速水さんの体温が退いていくのがわかったのだ。
速水さんの姿は最後まで見えなかったけれど、私服姿はどんなだったのか、少し知りたく思った。
トイレから戻ってきた水沢さんが、
「あれ、鈴木くん、今まで、ここに誰かいなかった?」
僕は慌てて、「誰も座ってないよ」と答えた。
「おかしいわ・・私の気のせいかしら?」と水沢さんは言った。
「だと思うよ」
水沢さん、感が鋭すぎ・・
もしかして、速水さんの体温が残っていたとか・・
再び、二人で館内巡りを始めると、加藤が「佐藤くんとお茶をしてる」と言っていた喫茶店らしきものがあった。まだ中にいるのかどうかはわからないが、どのみち、イルカショーで落ち合うのだから、入らないでおこう、ということになった。 もちろん水沢さんと話した上で。
昼食はイルカショーのステージ近くの屋台めいた所でたこ焼きを買って簡単に済ませた。
これは僕がお金を出そうとすると、「割り勘ね」と言って水沢さんは自分の分を出した。
やっぱり、僕はダメだ。
ステージの観覧席は家族連れや、カップルで賑わっていた。
もう一時前だ。
水沢さんが「ゆかりがいるわ」と言ったので、その視線の先を見ると、
遠くから加藤が「こっち、こっち」と大きく手を振っているのが見えた。
約束通り、加藤は席をとってくれて・・
席をとっていたのは、僕と水沢さんの分だけだった。
加藤ゆかりは一人だった。
佐藤はトイレにでも言っているのかな?
水沢さんが「佐藤くんは?」と訊ねると、加藤ゆかりは、
「私が佐藤くんを帰したの・・『佐藤くん、帰っていいよ』って」
笑顔で、加藤は説明した。
加藤は紙コップのコーヒーを手にしている。
加藤の膝の上の・・コップの丸い形が加藤の手の中で崩れ始めた。
「だって、佐藤くん・・」
「ゆかり、佐藤くんと何があったの?」
水沢さんの問いかけに、
「佐藤くん。全然、私の顔を見て話さないんだもの・・ううん・・見ないのなら、まだいい。佐藤くん。他の人の話ばっかりするんだもの。純子の話をしたかと思えば、速水さんが鈴木と仲がいい、とか・・自分のクラスの子の話をし始めたり・・」
そう堰を切ったように話し始めた加藤の両手の中で、紙コップはその形を無くし、熱い珈琲がこぼれ出した。
「佐藤くん。水族館に来てるのに、お魚も見ないんだもの・・私、それが腹立たしいやら、悲しかったりで・・もういいや、って思って・・」
やっちまったな、佐藤・・
お前は陰では加藤のことを悪く言ったとしても、もう少し、女の子の気持ちが分かる奴だと思っていたよ。
速水さんが言っていたのは、このことだったんだな。
・・加藤さん、ちょっと可哀想ね。
理由を話し終えた加藤は座ったまま俯いた。
「もうっ・・ゆかりったら・・」水沢さんが加藤のスカートの上に零れたコーヒーを見て、慌ててハンカチを取り出して拭った。
「ごめん、純子・・私、今日は、こんなはずじゃなかったの」
「もういいから」
「でも、悲しくなんかないよ・・どっちかというとスッキリした」
そう言って顔を上げた加藤の顔は泣き笑いの表情だった。
「何を言っているのよ・・どう見ても泣いてるじゃないの」
そんな二人のやり取りを見ていて何も言い出せない僕が不甲斐なく思えた。
そして、僕は、
「ごめん!」
混乱している二人に聞こえる大きな声で僕は言った。
「僕が悪いんだっ!」
横の水沢さんが僕を見る。加藤は座ったまま僕を見上げる。
すぐ近くのカップルが明らかに迷惑そうな顔をしているのがわかる。
「どうしたの? 鈴木くん」水沢さんが訊き、
「鈴木?」加藤が涙を拭いながら言った。
「僕、佐藤が『ああ』なのを知っていて・・」
あんな奴だとわかっていて・・僕は二人に言った。
あんな奴、友達じゃない。そう思っていたのに。加藤が佐藤に告白するのを黙って見過ごしていて・・僕は僕で、水沢さんと近くになれて、浮かれていて、加藤の恋心のことなんて考えていなかった。
僕は・・僕は・・・どうしようもない奴だ。
「鈴木はいい奴だよ」加藤がそう言って微笑んだ。「悪いのは、私・・」
「そうよ。鈴木くんは全然悪くないわ」
そんな僕を庇う水沢さんの言葉に、分かってはいても、心が浮いてしまう。
三人の会話はそこで終わった。
イルカショーの開始の案内が放送されたからだ。
僕の横に水沢さん、水沢さんの横に加藤が座った。
ショーの間は、加藤の表情は先ほどとは違って、たぶん、佐藤のことは忘れてはいないだろうけれど・・輝いて見えた。
おい、佐藤よ・・加藤ゆかりは、けっこう可愛いんだぞ・・
そんなことを考えていると、目の先のイルカがザブンッと水槽で跳ね、その飛沫が飛んできた。
「きゃッ」と水沢さんが飛んできた水をかわそうと体を傾け、水沢さんの顔と体が、僕の肩に触れた。
慌てて水沢さんは「ごめんなさいっ」と笑いながら言った。
一瞬だけど、僕と速水さんの顔がまともに向き合った。
水沢さんの髪がイルカの飛ばした水で濡れ、水は僕の頬にもかかっていた。
水沢さんが微笑み、僕も合わせて笑う。
ああ、これは夢なんだな・・素敵な夢だ。
この瞬間、僕は佐藤のことなんて、どうでもよく、さきほどの加藤の涙のことも、頭から消えていた。
僕はなんて薄情な男だ。
誰かを好きになれば、他の誰かを忘れてしまう。そんな薄っぺらな男だ。
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