第22話 聞こえてきた声

◆聞こえてきた声


 佐藤とはそれから距離を置くようになった。いくら影の薄い僕でも、許せることとそうでないことくらいはある。

 僕が水沢さんに好意を持っていることを僕の知らない奴に言ったり、自分の引き立て役だと豪語したり、それは許せない。

 通学途中、話しかけられても、かなり愛想のない僕に変わった。佐藤が「鈴木、何か、あったのか?」と聞いてきても「別に・・」と無愛想に答えたりする。

 それでも、何とか、答えているのは、喫茶店で加藤ゆかりの話を聞いたからだ。

 こんな僕でも、佐藤との関係を細くでも繋いでおけば、加藤の恋路に何らかの役にたつ時がくるかもしれない。

 それは僕の下心だ。加藤ゆかりの役に立つということは、間接的に水沢さんの僕に対する評価も上がる・・そう思っているからだ。

 つくづくいやらしい男だと我ながら思う。

 僕の恋は実らぬ恋と諦めてはいても、心のどこかで、ひょっとすると・・とか考えているものなのだ。


 水沢純子に恋する僕は・・恋している、と言っても僕は彼女のことをほとんど何も知らない。

 誕生日も、彼女の趣味も、家族構成も、何も知らない。

 知っているのはどこのクラブにも所属していないということくらいだ。

 クラブに入っていないのは、おそらく勉強に差し支えるからだろう。僕のような中途半端な受験勉強と違い、彼女は国立の大学が志望だ、と聞いたことがある。


 知らないというレベルでは、僕は他の女の子のことは何も知らない。佐藤のことだって、あんなひどいことを言う奴だとは知らなかったくらいだ。


 そんなことを考えながら、僕はあの川端康成先生の「雪国」を開いて読んでいるふりをしている。

 いや、読んではいるが、さっきから頭に入っていない。

「雪国」の中に出てくる女性は二人だ。

 葉子・・主人公島村が汽車の中で出会った少女。夜汽車の窓に映る葉子のと夜景の灯りが重なる。そんな美しい描写には惹かれるものがある。

 そして、芸子の駒子・・主人公には妻子がありながら、男女の関係がある。

 どちらも魅力的な女性で、主人公の島村の心がどちらにあるのか、わからない。


 今日は部室には速水沙織はいない。小清水さんと二人きりだ。

 その逆のパターンを望んでいるけれど、そうはいかないのが人生なのか・・


 僕のページを捲る音に続いて、同じ部員の小清水さんのページを捲る音が静かな部室に響く。

 その静けさを先に破ったのは小清水さんだった。


「鈴木くん・・こ、この前、加藤さんとどんな話があったの?」ためらいがちに言っているのが感じられた。

 小清水さんは僕が加藤ゆかりと喫茶店に行く、と言って部室を出て行ったことを訊いているのだろう。

 けれど、加藤ゆかりの話は恋の相談のようなもので、人に話すような内容ではない。

 自慢じゃないが、僕は佐藤のように口は軽くない・・方だ。


「ごめん。ちょっと内緒の話なんだ・・別にたいした話じゃないんだけどね」

 僕の返答に小清水さんはいつもように「そう」と言って、再び顔を本に戻した。


 しばらく間を置き、小清水さんは再び顔を上げた。やはり、喫茶店のことが気になるようだ。

「わ、私がお茶に誘ったら・・鈴木くんは、付き合ってくれる・・かな・・」

 問いかけのような、自己完結の言葉なのか、どちらかわからない言葉が投げかけられた。

 僕が小清水さんと?

 何故? どうして?

 加藤ゆかりのような片思いのような話? 小清水さん自身の恋の話? 小清水さんも佐藤のことが好きだとか・・

 もし、佐藤のことなら、やめといたほうがいい、と答えよう。


「僕に何か、話があるの?」僕はとりあえず訊いた。

 話だけなら、部室、ここでもいいんじゃないか? わざわざ場所を移さなくても。


「鈴木くん、つき合ってくれる・・かな?」

 また訊かれた。

「いいけど」と僕は軽く返事をした。

 僕の返事を聞くと小清水さんは又「そう」と言って顔を伏せた。


 話はそれで終わった。

 速水沙織部長が入室となったからだ。

「ごめんなさい。遅くなったわ」

 少し息を切らした速水さんが鞄をサイドテーブルにどかっと置いてふうッと息を吐いた。

「サークル活動の報告があったのよ。書類に適当に書いて出したところ、色々と突っ込まれていたのよ」

 速水さんはそう言いながら、小清水さんの方を見て、「あら、沙希さん、何かあったの?」と訊いた。

 その言葉に僕は小清水さんの方を見ると、彼女は俯き・・いや、不思議な顔をしているのだ。笑いをこらえ・・いや、これも違う。

 ・・幸福感をこらえている・・いつも仏のような笑顔を浮かべている小清水さんはそんな顔になっていた。

 ・・いったい、何で?


「何でもありません・・速水部長」

 速水さんの疑問に小清水さんはそう答えた。そう言って再び視線を本の中に戻した。


 速水さんは僕と小清水さんの顔を見比べると、窓際の部長席、長テーブルの上座に腰かけた。

 そして、大きな窓を背景に、顔にかかった髪を掻き分け、

「鈴木くん、私が昨日読んだ本の中にこんな言葉が書いてあったわ」と言った。

 ?・・僕が答えないでいると、

「鈴木くん、聞きたい?」

「いや、聞かせたいから言っているんでしょう」

「では、話すわ」

 特に聞きたくもなかったが。

 速水沙織はこう言った。

「人って、どんな言葉で幸せになるのか、わからないものよ」

 そう言うと得意気に眼鏡をツンと上げた。

「・・はあ・・」

「そして、言った言葉のその先は、予想がつかない・・何が起こるのか、わからない・・そんなものなのよ」

 その言葉の言わんとしていることはわかるけれど、それが一体何?


 小清水さんが「その言葉の意味・・よくわかります」と言った。

 小清水さんの顔がいつもの仏の顔に戻っている。

 僕がわからなくても、小清水さんがわかれば、それでいいか・・そう思った。


 そんなことより、・・

 まずい・・眠くなってきた。

 僕は慌てて速水部長に「ちょっと顔を洗ってきます」と言って部屋を出た。

 速水さんは理解したようだが、小清水さんはちょっと驚いていた。

 速水さんの前で透明になるのは構わない気もするが、小清水さんの場合は少々面倒なことになる。

 

 部屋を出て廊下を歩くと、もう眠気は治まってきた。何だ・・透明にならないのか・・と思ってまた部室に戻ることにした・・が・・

 僕は見た。

 ここ、旧校舎の廊下の窓の下にはベンチがある。

 聞こえたのだ。その辺りから、僕のよく知っている声が・・

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