第10話 群像「やしきの人々」

「楽しそうで良かったなぁ。お前の休憩っていうのが、兵士に混ざって剣を振り回す事だとは知らなかったよ」


「お、おう。いい気分転換になった。さあ頑張るぞ」


 笑っているが、笑っていないシルベスタの横をすり抜けるように、ジークハルトはそそくさと鍛錬場から去って行った。ジークハルトの後を追ってシルベスタも鍛錬場から去っていく。この後主人ジークハルト従者シルベスタに執務室に軟禁されるに違いない。


 雇い主の冥福を祈りながら、シズルはやれやれと溜め息をついた。

 そして自分もその場から解放されるべく、未だ興奮の覚めない兵士たちを何とかやり過ごそうとした。


「では、私もこれで・・・」


「お前本当に凄いんだな」


 話しかけてきたのは、以前シズルに絡んで肩を外された若い兵士だった。今はその声に皮肉も妬みもなく、ただ呆れたような賞賛の響きがあった。以前とは180度違う態度にシズルは苦笑した。


「私のやり方は搦め手ばかりで、あまりお行儀の良い戦い方ではないので、あまり褒められるものではありませんよ」


「いいや、魔力を使わないであれだけやれるのは、本当に凄い」


 手放しで賞賛されると何だか落ち着かない。シズルは、兵士の目が若干きらきらしているのは気のせいだと思うことにした。


 シズルは現在、『魔力はないがやたらと強い、ジークハルトが他国から連れて来た人間』という事になっている。

 事実、ジークハルトはこの邸内で、既に魔力の少ない人間を、何人か下働きとして採用しているので、魔力のないシズルの事を不審がるものはいなかった。

 むしろ兵士たちは、魔力なしで純粋に、生身のままで強いシズルに興味深々だった。


はすみませんでした。肩、癖になってないですか?」


「平気だ。俺こそいきなり絡んで悪かった。コニスだ」


 そう言って兵士コニスは手を差し出してきた。


「・・・シズル・モリヤマです」


 シズルがフルネームで答えると、コニスは少し戸惑ったが、そのままふたりは握手を交わした。


「皆さん、それじゃあ私も戻ります」


 そう言って軽く礼をしてシズルは去って行った。






 シズルが去った後、ようやく興奮具合も落ち着いた兵士たちも三々五々移動を始めた。


「・・・手ちっちぇ」


 移動する兵士たちの集団の中、シズルと握手を交わしたコニスが、その場に立ち止まったまま自分の手をまじまじと見て呟いた。それを側で見ていた老兵が、コニスの肩を叩いて言った。


「あの嬢ちゃんは家名持ちか。強くならなきゃいけないほど苦労したんだろうな。家柄が良くても魔力なしが厄介者扱いされるのは、他国よそもおんなじだからな。ジークハルト様に拾われて、うちに来れて良かったなぁシズルは」


「は?」


 側にいた他の兵士たちも一斉に歩みを止め、老兵に振り返った。


「だから家名持ちなら貴族かも、」


「そうじゃなくて、今、嬢ちゃんて」


「お前ら何を今更、シズルはれっきとした娘さんだぞ」


「ぅええええええ⁈ 嘘だろぉ⁈」


 呆れたような老兵の言葉に兵士の集団が揃って驚愕の声をあげた。






 そんな失礼な雄叫びがあがっているとも知らず、シズルは本邸に戻ろうと裏庭を歩いていた。

 邸の敷地が大きいので、裏庭といってもかなりの広さがある。ここは井戸もあり、洗濯場になっていた。今も数人の下働きの女中たちが談笑しながら洗濯をしている。


 その中の一人がシズルに気がついて声をかけてきた。


「あ、シズル様」


「こんにちは」


 シズルが軽く会釈すると、女中たちは赤くした顔を寄せ合って囁き始めた。

 シズルは先のジークハルトとの手合わせで、服装がどこか変になっているのかと訝って、自分をあちこち見回してみた。


「あの、何か?」


「違います! どこもおかしくないです!」


「そうですよ、シズル様はいつも素敵ですから」


 女中たちは笑顔でそう言いながら、シズルの近くに寄って来ると口々に喋り出した。


「わたしの弟が警備の兵士をしてるんですけど、シズル様は魔力も使わず、素手で魔導士をやっつけたって聞きました。お強いんですね」


「あいつ貴族なのを鼻にかけて、いつもわたしたちに偉そうだったから、聞いた時すっとしました」


「わたしも。ちょっと人より魔力が強いからって、それだけが取り柄のくせに、ねぇ」


「あら、本当のこと言っちゃ駄目じゃない」


 そして口々に言い募っていたうちのひとりが、突然目を輝かせてシズルに詰め寄ってきた。それに同調するようにその場にいた女中たちが一斉にシズルを取り囲んだ。


「そうだわ! シズル様はシルベスタ様と図書館にいらっしゃると聞きましたよ」


「それに、、よその国からシズル様をお連れになったとか」


 彼女たちは嬉しそうにきゃあきゃあと嬌声を上げる。


 何やら細かいところが微妙に違うような気がするし、いかにも乙女たちが喜びそうな情況に改変されているとシズルは思った。

 女中たちの怒涛の勢いに、どこから突っ込めばいいのかシズルは困ってしまった。


「あの。とりあえず『シズル様』はやめて下さい。呼び捨てで構いませんから。私は平民ですよ?」


「え、でもわたし、シズル様は異国のやんごとなきお方だと聞きましたよ?」


「だから、男装までなさって身分を偽っているんだとも」


 そしてまた嬌声があがる。


 一体何がどうなって、自分がそんな身の上になっているのか、シズルは混乱の極致にあった。衝撃のあまりいつもの弁舌もなりを潜め、シズルはかろうじて訂正の言葉を紡いだ。


「根も葉もない出鱈目ですからね、それ」


「ええ、もちろんわかってますとも。それでシズル様、本命はどちらなんですか?」


「は?」


「ジークハルト様とシルベスタ様ですよ!」


「おふたりは容姿も性格も正反対ですもの。迷うのもわかります!」


 彼女たちはちっとも分かってなさそうだったし、シズルもちっとも分からない。


 そして口々に、ジークハルトのここが良いとか、シルベスタのあそこが良いとか話し始めた。

 どうやらこの姦しい女中たちは、シズルたち三人が恋愛関係にあるのではないかと、妄想を逞しくしているらしい。


 どこの世界に、自分の頭に拳骨を落としたり、鷲掴みアイアンクローするような男に恋愛感情を抱く女がいるのか、現にさっきは危うく頭をかち割られるところだったというのに。それを止めずに時々笑って見てるような男も論外だ。

 彼女たちの乙女フィルターを通すとそんな事実もどこかで迷子になるらしい。


 話に夢中になっている女中たちに、ジークハルトとの手合わせ以上のダメージを受けたシズルはふらふらとその場を離れた。






 女中たちとの会話の衝撃も覚めないまま、シズルはやっとの思いで邸内に戻った。

 そういえばそろそろ昼食の時間だと思い当たって、シズルは食堂へ足を向けた。


 邸内が広いだけあって、食堂もかなり大きい。


 そこはシズルの世界で言うところの『社員食堂』のような雰囲気で、利用時間は大体決められているが、各々が時間内であれば自由に食事ができる仕組みになっていた。

 広い食堂なのでその職種によって自然とあちこちに集合体コロニーのようなものができるが、基本的に身分差はあまり関係なく館に住むものなら誰でも利用できるようだった。

 この伯爵邸だけのことなのか、この世界ではどこでもそうなのかわからないが、邸で働く人たちは身分も勤務形態もばらばらなので、この食堂形式というのは随分と合理的だなとシズルは思っていた。


 食堂に着くと、そこは既に賑わっていた。

 カウンター越しに料理人のガストロに声をかけると、今日のメニューを出してくれる。


「こんにちは。お願いします」


「いつも馬鹿丁寧だなぁシズルは」


「すみません」


 シズルが苦笑で答えると、ガストロが食事の載った皿ワンプレートを渡してくれた。パンがひとつ余分に載っている。


「おまえさっき、ジークハルト様と手合わせしたんだってな。ちびっこいのに無茶すんな。おまけしとくから、ちゃんと食ってでかくなれよ」


「ありがとうございます」


 邸内は噂が駆け巡るのが異様に早い。もし魔力が関係しているのなら、シズルはその情報伝達の方法をぜひ知りたいと思った。


 きょろきょろと空いている席を探してるシズルに声がかかった。


「シズル、こちらだ」


 ナイスミドルの警備兵団長のアディス・ナヴァルホスが、手を挙げシズルを呼んでいた。皿を持って近づいていく。

 兵団長の周囲には他の警備兵たちもいて、中には魔導士の一件で見知った兵士の顔もあった。

 初対面で説教を喰らってから、何故かこの兵団長アディスは、シズルを見かけるとよく声をかけてくるようになった。


「こんにちはアディス団長。隣、失礼します」


 シズルが兵団長の隣に腰掛け、いただきますの挨拶をしてから食事を始めると、向かいに座っていた警備兵たちがつくえに乗り出すように話しかけてきた。


「シズル、今度はジークハルト様とやり合ったって本当か?」


「やり合ったって何ですか。領兵の皆さんと手合わせしていた所に、ジークハルト様が割り込んできたんです」


「兵士を八人抜きしたって」


「六人です。七人目がジークハルト様でした」


 淡々と答えて黙々と食事をするシズルの横で、アディス団長が諭すように言った。


「シズル、八人でも六人でも、無茶はいかんとあれほど話しただろう」


「はぁ」


「ジークハルト様もなぁ、本来なら止める立場なのに、自分から進んで参加するのはいかんな」


 アディス団長はジークハルトが領兵をしていた頃の先輩にあたる。父親の元伯爵とも親しかったため、現伯爵のジークハルトに物申すことができる数少ない人間のひとりだった。

 やたらフットワークの軽い主従が邸を開けるときに、留守居をするのもアディス団長の役目になっていた。


「なぁシズル、ジークハルト様と引き分けたんだろ?」


「引き分けどころか殺されかけましたよ。もう二度とごめんです」


「ジークハルト様がか、凄えなシズル」


 ひたすら感心する兵士たちと、困ったものだとぼやくアディス団長に囲まれて、今日は厄日だとシズルは思った。







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