ある百合書きの悩み

シイカ

ある百合書きの悩み

 丘陵の中腹に建つマンションは少し昔のワンルームで、麓から伸びる一車線の細い坂道に面していて、どん詰まりが頂上の城址公園という立地条件。四世帯のうち三つほど埋まっている。 

 コンビニ袋を引っ提げ、 今、私はその一室に向かって坂道を登っていた。



「アユムー、家に来るついでに買い物してきたよー」

 私はヒールを脱ぎ、アユムの部屋に入った。

「だああ! またセックスをさせてしまった!」

 アユムはノートパソコンの前で頭を抱え、盛大に叫んでいた。

 アユムこと国木田歩くにきだ あゆむはお世辞にも売れているとは言えない小説家。

 主に、女の子と女の子の恋愛モノを書いていて、昨今、世間ではそれを『百合』と呼ぶ。アユムは、そのジャンルのプロだ。

 黒髪セミロングに細いフレームの眼鏡がデフォルト。

 だけど今日は額に何やら巻き付けているっぽい。 

 彼女の嘆きはいつものことだ。

 ちなみに私は小説家ではないので彼女の嘆きがよくわからない。 

いつものことなので冷静に促す。

「いいじゃん。アンタの作品それが売りなんだから」

「ハ!? 留梨子来てたの?」

 眼鏡の奥の大きな目が、ますます、真ん丸になった。

 どうも、本当に気づいていなかったらしい。

 留梨子とは私のこと。フルネームは金田留梨子かねだるりこ

  アユムとは対象的な栗毛色のショートヘア。

 【黒毛和牛と栗毛馬】。何だか岡本喜八監督の古い映画タイトルみたいだが、友人たちは私たちを、こう呼ぶことが多い。

 まあ、牛にも馬にも似てないが、『けもの友だち』といった意味なら合っていなくもないだろう。

 私は黒毛……いや黒髪の牛にいった。

「……きこえてなかったのね。まあいいや。ハイ、これ」

 買い物袋を見せつけるとアユムはパソコンから離れ、私の前に頭を下げてきた。

「あ。食料! 留梨子さま、いつも、すんません」

「スンマセン……。私、『ありがとう』の方が嬉しいな」

「留梨子さま、いつも、ありがとうございます!」

 アユムは言いなおし、再び頭を下げた。

 

「よろしい」 

 ひとつ頷き、私は買ってきた食品をテキパキと冷蔵庫に入れる。

 中身がスカスカの冷蔵庫。おかげで楽に入れられる。

 入れるものを入れ終えた私はアユムに買ってきた缶コーヒーを渡しながら、先ほどの嘆きの意図を訊いてみた。

「それで、セックスさせると何か問題あるわけ?」

「アタシの作品って……セックスして! 付き合って! ENDの流ればっかりじゃん! しかも、今回、プラトニック・ラブのつもりで書いていたし!」

 プラトニック・ラブとは肉体的欲求を離れた、精神的恋愛のことで、実は古代の哲学者プラトンのように高潔という意味だそうだ。

 なるほど、でも、私としては……。


「どうせ付き合ったらヤッちゃうんだからいいじゃんプラトンだって若い頃は、ビシバシとヤッてたって。そうじゃなきゃ潔癖症だよ」

「……実はアタシもそう思っている。書いているとき『ここまで来たらやりなさいよ!』って自分自身の欲望のままに女の子たちにセックスをさせてきた」

 ははあ、欲望だったんだ。でも、小説の話とはいえ、危なそうな発言だな。

「おまけにね。書いているとキャラが勝手に動き出して勝手に始めちゃうし……」

 事実なのかアユムの言い訳なのか。

 私は呆れつつも自分の額をつつきながら気になっていたアユムの額に話を向けた。

「ところで、そのハチマキ何?」

「これは気合と決意の証『プラトニックLOVEハチマキ』!」

 白いハチマキにマジックでプラトニックLOVEと書いてある。

 お手軽な決意の証だな。

 形から入ったつもりなんだろう。無駄に終わっているけど。

 私はアユムの肩に、ふわりと手をおき優しく言った。

「気にしなさんな。アユムの小説からセックス取ったら何も残らないよ」

「アタシをセックスだけの女みたいに言わないで!」 

 潤んだ目でキッと睨むので、私は諭し方を少し変えてみた。

ヘンなところで芸術家肌なヤツは、これでなかなか扱いが難しい。

「あー……。うん! きっとプラトニックに向いてないんだよ。どうせ無いならディープでやりな。というかディープを極めなさい」

「だってワンパターンな気がして……読んでる人たちから『また、セックスして、付き合ってENDか』って思われているんじゃないかって」

 なるほど。そういうことか。

「読んでる人たちはそれを求めているのよ。アユム、考えても見なさい。最後に負けるヒーロー、事件を解決できなかった探偵……イヤでしょ?」

「あ、あれは過程を楽しむものだもん。どうやって解決するかとかどうやって倒すのかが大事なの。たぶん。アタシの悩みどころって、そうじゃないし……」 

「いいや。そこだゾ、ポイントは。アユムは気づいていないかもしれないけど、アンタの作品は他とは決定的に違うよ」

「え? そ、そうなの? どのへんが?」

 眼鏡が反射してなのかアユムの瞳が輝いた気がした。

 お為ごかしの言葉じゃない。これは私の本当の気持ちだ。

 だから、ハッキリと断言した。

「セックス描写がエロい!」

「それだけ? それだけなワケ?」

「なに言ってんの! これは強みよ! これで読者のアソコを濡らしなさい!」

「やめてよ! 生々しいな!」

 アユムの顔が赤くなっていく。

 そういう小説書いているわりにこういうのには弱いんだよな。

 私の言葉もむなしく、ブツブツとアユムは文句を言い始めた。

「……もう。心理描写が繊細とか、背景描写とか、そういうのを期待していたのに……エロいだけが武器だなんて……」

 なるほど。自分で具体的に要求を出せる励ましが欲しかった訳か。

 しかし残念ながら、そういう表現を紡げるほど私は賢くなかった。

 だが、その時『カチッ』っと硬質な音をたててアユムの中にあるスイッチが入ったらしく、眼鏡の奥の瞳がキラリと輝いた。

「あ……。でも、留梨子は自信持ってハッキリと言ったわけで、それって、つまり……留梨子は私の小説でその……」

もじもじと言葉を紡ぎ終える前に、私はアユムに抱きつき耳元で囁いた。

「いつも、濡れてるよ。もっといえば、毎晩……。つまりね……こんなふうに……!」

ドヤ顔で言うが速く、私はアユムの服に手を忍び込ませアユムの胸を優しくなでていた。

「あっ」

 アユムの身体がビクッと震える。 

「ち、ちょっと待って……!」

 アユムの乳首はすでに硬くなっている。

「んっ……」

 アユムが欲望に忠実なように私も欲望に忠実だ。  

「押し倒したいんだけど、いい?」

「もう……してるじゃん」

 アユムのささやかな抵抗の声は、私の唇と舌で遮った。

 私だけのヒミツを知った者は、こうして口を塞ぎ、愛欲の森に埋めてやるのだ。たとえ大好きなアユムでも……いや、最初から、こうする気持ち満々だったのだが、これこそは秘中の秘というヤツね。  

 


 ハチマキを額から外しアユムの手首をひとつに括り上げた。

 顔を赤くしてされるがままになっていくアユムは愛おしい。

 私の細い指が下着の中に滑り込むように入っていく。

「アユムも濡れてるね」

「……うん」

「私はアユムの小説好きだよ。それじゃあ、ダメ?」

「ダメじゃない! 留梨子が喜んでさえくれれば、私は良い! でも……でも……」

 アユムの息に熱が帯びていく。

「いろんな人に読んでもらって留梨子を幸せにしたい。アタシが売れっ子作家になって留梨子を幸せに……ああっ……あっ……」

 言葉を遮るように私はアユムの敏感になった快楽の種子を指先で刺激する。

「私は充分、幸せだよ。アユムと一緒にいられるし」

 自分でもコントロールできないほど気持ちが高まっている。

「あっあ……!」

 私の気持ちと同じようにアユムの興奮も高まっている。

「アユム、どんどん感じやすくなってるね。柔らかくて……あたたかい……」

「んっ、だって、留梨子が好きなんだもん」

「私もアユムが好き!」

 指の動きを激しくするに連れ、アユムの膣内なかもきつくなる。  

「っ……! はぁっ……!」

 快楽に溺れていくアユムは手首が括られながらも親を求める子供のようにしがみついてくる。

「るりこ、留梨子……!」

 アユムが必死に声を我慢しているのに、私は耳元で囁いた。

「声が大きいと周りに聴こえちゃうよ」

「んっ……好きっ!」

 優しく抱きしめて、優しくキスして、好きを注いでいく。


 


 それは気持ちよさと幸福感と脱力感が混ざって自然にアユムの口からでた言葉なのだろう。

「……このまま、死ねたらいいのに」

「アユム、キスするから物騒なこと言わないでよ」

「んっ……」

 アユムはさらにキスを求めてきた。私もそれに応える。

「ねえ留梨子。あと二回してくれたら良いモノ書けそう……」

「二回だけで良いの?」

「じゃあ、眠るまで」

「りょうかい」




「できた! プラトニック・ラブできた!」

 私が眠りに落ちた後、アユムは原稿を書いていたらしい。

 昨夜の愛の証としてアユムの目の下に隈が少しできている。

 アユムは満面の笑顔でパソコンを私の前に持ってきた。

 私にはやく読んで欲しい気持ちでいっぱいみたいだ。

 そんなアユムの様子を見るのは私も嬉しいし、アユムの小説を一番に読むことができる、私が誰より一番のファンなんだ。



「んー……プラトニック……だけど……」

 読み終えたとき、私は自分でもわかるほど顔が真っ赤っかになっていた。

 確かに、そういった描写は無い。キスすら無い。

 胸を掻きむしりたくなるほど枕に顔を埋めたくなるような。

 そんな、ピュアな恋愛小説だ。

 なのに、なんで、こんなに…………。

「こ、今回の小説、今までで一番エロいんじゃない?」

「え、ええ!?」

 アユムは私からパソコンを受け取ると目が作家のそれになった。

「そうか、そういうことか……」

 私にはわからない疑問をアユムはすぐに気づいたらしい。

「プラトニック・ラブなのにエロい原因。人にとって恋しているときが一番感じるん……じゃないかな。それに、20歳超えると直球エロより、甘々イチャラブの方が、恥ずかしい」

 あー、気持ちわからんでもないな。


「それに、留梨子が昨日、激しくするから……」

「二回したら良いの書けそうって言ったじゃん」

「良くなかった?」

「ううん。すっごく良い。私、濡れてきちゃった」

「そういう小説じゃない!」

 怒りなのか欲情なのかアユムも顔が赤かった。


 なんやかんやでアユムの書いたプラトニック・ラブ小説は、結構、評判が良かった。


 しかし、アユムの悩みがまた増えた。

「プラトニックラブ……エッチしないと書けない」

 そう言いながらすり寄ってくるアユムの肩を抱きしめて、耳元で囁いた。

「私は嬉しいけどね」

 ぺろり……と猫がするように舌先で自分の唇を潤しながら、私は窓の外に射す西陽を遮るべく遮光カーテンをひきながら、ふと、窓の外に目をなげた。

もうすぐ、あちこちに百合の花が咲く季節。

「プラトニックな百合……か」

呟いて振り向いた私の視線の先に大輪の白百合が揺れて見えた。


『ある百合書きの悩み』了

 

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