第7話 少女の出生

「ルチルの両親の髪は黒だ」


 山小屋の居間で、一人の老婆と一人の若者がテーブルを挟んで向かい合っていた。オーネックのその第一声に、シルは不可解な表情になる。


「······先生。ルチルの地毛は金髪ですよね?では、ルチルは養女という事ですか?」


 シルは自分で想像出来る範囲でその答えを出した。だが、オーネックの返答はシルの想像を越えていた。


 ルチルの父親は行商人だった。商売の為に常に地方を周り、家にはごくたまにしか帰宅しなかった。


 そしてルチルの母が懐妊した。無事生まれた我が子を見て、母は驚愕した。その乳飲み子の髪の毛は、黒では無く金色だったのだ。


「······先生。それは一体?」


 頬に汗を流し、シルはオーネックに真相を問う。


「ルチルの父親は生業柄、家を開ける事が常だった。そんな妻が孤独から犯した不貞。ルチルは不実の子なんだよ」


 オーネックの言葉にシルは絶句した。ルチルの母親は染薬を使い、ルチルの金髪を黒く染めた。


 だがルチルが四歳の時、父親に真実が露見した。珍しく父親が在宅の時、父と娘は中庭で遊んでいた。


 その時、激しい通り雨が降り、ルチルの髪を染めた薬が落ちてしまった。真相を知った父親は激怒し苦しんだ。


 そして精神を病み、ある日手にしたナイフでルチルを殺そうとした。幸いそれは未然に終わったが、ルチルの母は我が子を守る為に家を出た。


 親戚知人を頼り、ルチルの母子は放浪する様に各地を転々とした。母子が偶然オーネックの元へ辿り着いた時、ルチルの母は心労が祟り失くなった。


 ルチルの母に後事を託されたオーネックは

、十歳のルチルを弟子として受け入れた。


「坊や。お前はルチルが簡単に魔法を会得したと思っている様だね。ルチルがどれだけ努力したかも知らずに」


 シワだらけの顔を歪め、オーネックは鋭くシルを睨む。


「両親を不幸にしたと思い込んでいるあの娘にとって、魔法は唯一自分に自信が持てた救いだったんだよ!」


 オーネックは声を荒げ右手をテーブルに叩きつける。


「お前はルチルの魔力を侮辱した!それは、あの娘自身を否定したのと同じなんだよ!!


 怒鳴り声を浴びながら、シルは頭の中で別の考えていた。


『シル。なんて呼び方はどうですか?』


 ルチルはシルに愛称をつけてくれた。ルチル自身もオーネックに愛称で呼ばれている。

だが、本当は自分の親に愛称で呼ばれたかったに違いなかった。


『嫌いなんです。自分の髪の毛の色が』


 自分の髪の毛の色は、両親を不幸にした象徴として忌避するルチル。それを隠す為に、染薬を使い髪の毛を黒く染めた。


 シルの脳裏に、ルチルのこれまで見た笑顔が思い返された。それは、辛い出生を抱えている面影など微塵も感じない柔らかい笑顔だった。


 その優しい少女の唯一の拠り所。自分に自信が持てた魔力に、シルは心無い言葉をぶつけてしまった。


 シルは膝に乗せた両手を震わし、後悔の念から涙を流した。自分はルチルに、なんと詫びればいいのかと。


 その時、山小屋の玄関をノックする音が聞こえた。オーネックがゆっくりと扉を開ける

と、そこには一通の手紙が置かれていた。


 オーネックは無言で手紙を読み、両手で手紙を丸める。


「······先生?」


「ルチルがロランドに拉致された。明日、法書と交換しろと書いてあったよ」


 オーネックの特段変わらない声色に、シルは椅子から立ち上がった。


 

 この山の中腹に位置する洞窟に、蝋燭で照らされる灯りがあった。そこに、両手を縛られているルチルの姿が在った。


「ごめんねルチルちゃん。乱暴な真似をして

。あ。その手を縛っている縄は魔力を封じる一品だから。魔法は使えないわよ」


 野太い声で明るく説明するサリアは、拘束されたルチルの前で足を組みながら座っていた。


 ルチルが山中を歩いていた時、サリアはルチルの背後から、眠り薬を含ませた布をルチル口に当てた。


 ルチルが意識を取り戻した時、両手を拘束されこの洞窟内にいた。


「······サリア。私を人質にしても、法書は手に入りませんよ」


「それは私が決める事じゃないわ。で。その辺りどーなの?爺さん」


 サリアは顔を横に向けて問いかけた。洞窟の奥からその人影が現れ、揺れる灯りがその姿を照らした。


 それは、オーネックと同年代に見える老人だった。頭部は禿げ上がっており、耳の周囲に辛うじて白髪が残っていた。


 眠そうな両目を必死に開いている印象をルチルは受けた。背中は曲がり気味で、紺色の法衣を着ていた。


「済まんな娘さん。手荒な真似をして」


 老人は両目同様、眠そうな声を発した。この老人こそ、ロランド本人だとサリアがルチルに紹介した。


「ロランドさん。貴方は我が師オーネックと魔法を共に学んだ方だと聞いています。何故

、法書を奪おうなんて事を考えるんですか?


 ルチルはロランドに向かい合い、必死にその愚行を改めさせようと試みる。ロランドは眠そうな両目を横に逸し、静かに呟く。


「······そうじゃな。ワシは諦め切れないから、法書を欲しているんじゃろうな」


 ロランドの言葉を聞き、サリアが釣り目をギラつかせ老人に猛然と詰め寄る。


「そんな不確かな理由で私を男にしたのか!この爺ぃっ!!」


「······済まんなサリア。明日、全てが片付いたらお前さんを女に戻す。それまでワシに付き合ってくれ」


 サリアとロランドの会話に、ルチルは目を丸くする。この長身の釣り目の男が、元は女だと言う。


 ロランドは話は終わったとばかりに、洞窟の奥へゆっくりと歩いて行った。サリアは怒りが収まらない様子だったが、呆然とするルチルに説明する。


「あの爺が女だった私を魔法で男に変えたのよ。元の姿に戻りたくば言う事を聞けってね。お陰で爺の使いっ走りよ」


 憤慨するサリアの女の言葉使いに、ルチルは納得がいった。だが、ロランドの真意がルチルには分からなかった。


 法書がオーネックに託されてから五十年以上が経過している。何故今更ロランドは、オーネックが持つ法書を狙うのか。


 同時にルチルの頭にシルの顔が浮かんだ。その瞬間、少女の心に暗い影が落ちた。



 山小屋では、オーネックは何事も無かったようにロランドからの手紙を破って捨てた。

そして自室に戻る際、凍りついた様に立ち尽くすシルに声をかける。


「坊や。明日山を降りるんだね」


 オーネックの言葉が、シルの聴覚を通過して行く。王宮騎士団への入団の夢は絶たれ

、自分に笑顔を向けてくれた少女を傷つけてしまった若者は、自覚が無いまま両の拳を握りしめていた。


「はい先生。明日山を降ります」


 拳に集まったその力は、シルを決意と行動へと突き動かす。


「明日。ルチルを助け出してから」


 王宮騎士団への入団。渇望したこの夢を、この時のシルは世界の果てに放り投げていた。



 

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