第三話 闇の目覚め(3)
「それにしても――」
いつもの噴水で、いつもの火のエレメントの特訓をするソラ。
一週間でロウソクを見事に使い果たしたソラは、さっそく次の入荷分を買い占めに意気揚々とアルコイリスへ繰り出そうとしたのだが、それをカームは引き留めたのだった。
単純に、ロウソクの費用が馬鹿にならないからだ。
ソラに大丈夫か聞くと、「事情を話したらお小遣いをくれるようになった」と言っていた。
ソラは寮生活なはずだったが、誰にお小遣いなどもらっているのだろうか。
どちらにしろ、何よりも困るのは雑貨屋だ。
「でも……そうなると、どうやって練習しようかなぁ」
と真剣に悩んでいたソラに、カームは目の前で指先に火を灯して見せた。
「今日からは、私の火を貸してあげるから、これで好きなだけ練習しなさい」
「いいんですか?」
「ええ。私も火を安定して維持させる練習にもなるし。大事なんでしょ?」
「ありがとうございます」
手袋をはめた指で鳴らすようにして火を灯すカーム。
小さくて、でも少しも揺れない火に、安心したように顔を綻ばせるソラ。
それからカームはソラの練習に付き合い、そしてずっと目の前にしていることで、初めて分かった。
「ソラ――あなた、まったく、これっぽっちも、上達してないわね」
「うっ」
カームの灯す火に手を翳しながら、ソラが空いた方の手で胸を押さえる。
「やっぱりボクって、火のエレメントだけ適性がまったくないんですね」
目に見えて落ち込むソラ。
そんなことない、と言いたいが、ソラはカームが驚くほどに上達していなかった。
「うーん、私からすれば、適性云々っていうより、ソラの中に火のエレメント自体、存在してないのかも」
「それってどういうことなんですか?」
「午前の座学で習わなかった?」
火を消すカームが姿勢を整える。
それに習って、ソラも生徒のように向き合った。
「私たち人間は、この世界に存在するエレメントと長い時間をかけて共にし、そして共生するようになった。そういった人たちが世代を重ね、そして今の私たちは生まれながら体にエレメントを有する体質となった。簡単に言えば、人間が成長すれば自然に言葉を喋れるように、エレメントも自然と使えるようになるの。だから、どんな人間であろうと、『使えない』ってことはないのよ」
カームも十年かかったとは言ったが、上達が遅かっただけで、火自体は呼び出せたし、遮断もできた。
ただ、そこからが長かったのだ……。
「でも、今のボクは、その『使えない』状態にあるってこと、なんですよね?」
カームは考え、ふと思ったことを口にする。
「ソラの両親って、どこの国の出身なの?」
「ボク、両親を知らないんです」
「え?」
あまりに自然に返されたカームは、戸惑ってしまった。
「母は、生まれてすぐに亡くなったって聞きました。父に関しては、誰かも分からないんです」
「そう、だったの……じゃあ、今までは……」
「育ての母が三人いてくれました」
「三人も?」
「エレメントも、その母たちから教わったんです」
その三人の母親のおかげで、今のソラがある。
それにしても、三つのエレメントをマスターするソラ自身も凄いが、この少年をここまで昇華させることができる母親とは、一体どんな存在なのだろうか。
まずマスタークラスであることは間違いないだろう。
「ちなみに、学長のミュールもその一人です」
「えっ、嘘っ! あの学長が、キミのお母さん……」
マスタークラスどころか最高位だった。
「育ての、ですよ。それに、ミュールは僕が幼い頃にイリダータの学長になったから、ここに来て再会……というか会ったのも、十年以上ぶりなんです」
「そうだったのね」
「ミュールがいなくなってからは、楓とアビーが育ててくれました」
楓? それにアビー? もしかして……
「その楓とアビーって、もしかして東雲楓とアビゲイル・ワイゼンスキーのこと?」
まさか、と思いつつ問うと、
「そうです」
と嬉しそうに答えた。
「なるほど。それで……」
これでソラが三つもエレメントをマスターできたのか分かった。
ソラの才能に加え、その師が三人とも最高位ときた。
これでマスターできなければ、そいつは恥じて消えるべきだ。
水の最高位【
風の最高位【
地の最高位【
そして、その三人の最高位によって育てられた――ソラ。
カームは、自分がとんでもない存在から教えを乞うているのでないかと思えてきた。
それと同時に、だったらなぜ、なおさら火のエレメントを習得できないのか。
それに、どうして最高位が三人も集まってソラを育てたのか。
ソラが覚えていないとなると――
「火のエレメントを習得できない件だけど、やっぱり体質とか出自が関係してるのかもしれないから、学長に聞いてみた方がいいかもしれないわね」
「そうですか……あの、カームさん」
ソラが顔を俯かせながら呼びかけてくる。
「ん?」
「えっと、その、ミュールのところまで一緒に……来てくれませんか?」
「私が行ってもいいの?」
「むしろ、一緒にいてほしいです」
必死にお願いする少年に、カームはつい吹き出しそうになってしまった。
「いいわ。意気地のないキミに、お姉さんがついて行ってあげる」
顔を赤くするソラに、カームはますます弄りたくなってしまう気持ちを抑え、立ち上がった。
「早速、行くわよ」
「はい」
雑木林を抜け、人工池へと向かう。
「そういえば、最近、練習する人が増えてますね」
「ああ、もうすぐトーナメントの予選が始まるのよ」
「エレメンタル・トーナメントっていうやつですか?」
横を歩くソラが見上げてくる。
「ええ」
「それって、カームさんが【ガーネット】で前人未踏の三連覇を成し遂げたっていう、あの!」
「ええ、そうよ!」
ソラのように純粋に称えてくれることが妙にくすぐったくて、単純に嬉しい。
「今年も当然、参加するわ。そして今後、誰にも破られることのない四連覇を飾り、この学園に永遠に名を残すの」
「カームさん、すごいです!」
背筋を伸ばし、胸を張るカーム。
ふと、ソラが他の部門に参加したのなら、一体どうなってしまうのだろうかと思った。
風のエレメントであれば、決勝まで相手は一歩も動かずに倒されるだろう。
そんな存在が純粋に自分を応援してくれている。
それはそれで恐ろしいのだが。
「ソラだって――」
そこまで言って、カームは振り返りざまに右手で指を鳴らした。
瞬間、カームが振り返った目の前に炎の壁が湧き上がった。
驚くソラを傍目に、カームは少年に熱が当たらないよう、自分の真後ろに来るように移動していた。
その直後、炎の壁の向こうで爆音と振動が轟いた。
腕を振り払い、炎の壁を鎮める。
その炎の壁の向こうに、男子生徒が立っていた。
その生徒は手をこちらに向けており、その手には炎が滾っていた。
「どういうつもりかしら?」
カームの静かな声。
だが、聞く者が聞けば足を竦ませてしまうほどの怒気を孕んでいた。
「あなた今、私たちを狙ったでしょ?」
その言葉に、男子生徒が忌々しげに吐き捨てる。
「練習中の事故だよ」
「炎に指向性を持たせておいて事故? 笑わせないで」
「くそっ。そいつもお前も目障りなんだよ!」
男子生徒の目がカームに向けられ、ひどく憎しみの籠もった瞳で睨み付けてくる。
「お前のせいで、俺はいつも次席だ。お前さえいなければ、俺はイリダータで一番の火使いとして称えられたんだ! それをお前がっ!」
逆恨みにも近い言葉の数々に、カームは男子生徒のことを思い出した。
名前は知らない。
興味がなかったから――悪い言い方をすれば眼中になかった。
それでも、貼り出される成績順位で常に自分のひとつ下に名前が載っていた男子だということは思い出した。【ガーネット】でも対戦していた。
「ようするに逆恨みね。良かったわ、あなたのような人間がイリダータの火使いの代表にならなくて」
「なんだと――」
「やるのなら、トーナメントで堂々とかかってきない。もちろん本戦まで残れたら、だけどね」
カームの挑発に、男子生徒が歯を食いしばり、握り拳を震わせる。
「それとも、正当防衛って名目で、今ここで吹っ飛ばしてあげてもいいのよ?」
瞬間、カームの全身からおびただしい量の赤いオーラが噴き上がった。
まるで、それ自体が炎であるかのように赤いオーラが揺らめく。
「くそっ!」
男子生徒は悪態をつきながら踵を返すと、雑木林の中へ消えていった。
「ふん。意気地のない男ね」
思わず溜息が漏れる。
オーラを抑え、鎮める。
「ソラ、怪我は――」
背後で庇っていた少年の安否を確認するために振り返ったカームは、絶句した。
「カーム……さ――」
ソラが名前を呼ぶ。
だが、体がふらつき、瞼が閉じ、そして全身の体が抜けたかのように倒れた。
「ソラっ!」
頭だけは地面に打たないようにギリギリで手を差し入れることができた。
衝撃に手のひらが痺れる。
だが、そんなことなど気にしてなどいられなかった。
「ソラ、ソラっ!」
後頭部から手を引き抜き、地面にそっと置く。
何度も呼びかけるが、返事どころか身動きひとつしなかった。
胸部はかすかに上下し、呼吸はしている。
(なんで、どうして急に――)
動揺するカームの目の前で、さらに不可解な出来事が起きた。
(なに?)
仰向けに倒れるソラの全身から、黒い霧がうっすらと湧いて出てきたのだ。
思わず息を呑み、身を引いてしまう。
オーラとも違う。
それに、どのエレメントとも似ても似つかない――黒。
ほんのわずか、うっすらと湧き出す黒い霧に、強烈な威圧を感じる。
「……あ……あぁ……」
顎が微かに震え、歯が鳴る。
本能が逃げろと告げる。
全身が警告を発する。
だが、恐怖で身が竦み、腰が抜けてしまったカームは立てなかった。
その間にも黒い霧が噴き出し、少しずつカームの周囲を覆っていく。
晴天がいつの間にか暗くなり、周りの風景が遮られていく。
黒い霧が、ソラを中心にカームさえも覆いつくそうとしている。
それでもカームは動けなかった。
全身から汗が噴き出すのに、寒い。呼吸が落ち着かず、荒くなり、苦しい。
動悸がおさまらない。
やおら黒い霧がソラに集まっていった。
あどけない表情が黒く覆われていくのを見たカームは、それまで金縛りにあっていたかのように固まっていた体が動くのを感じ、
「ダメぇぇぇえええっ!」
飛びこむようにしてソラに覆い被さり、火のオーラを全身から爆発させるように放った。その衝撃で、赤いオーラが黒い霧を四散させていく。
(ソラ、ソラ、ソラ、ソラ、ソラっ!)
離すまいとソラにしがみ続けるカーム。
どれくらいソラに覆い被さっていただろうか。
ぎゅっと目を瞑り、ソラに覆い被さっていたカームは、おそるおそる顔を上げた。
まるで夢だったかのように、黒い霧は消えていた。
晴天が、今までの出来事を夢のように感じさせる。
それらを理解した瞬間、全身が弛緩し、疲れが全身を支配する。
脱力し、安堵の息が漏れた。
(今のは一体……)
あまりの状況に、カームはしばらく何も考えることができなかった。
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