ラストバトル
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
転移先は、実に騒がしいところだった。大樽や、パイプが張り巡らされたそこは死角が多く視線が通らない。だが、各所から沸き上がる雄々しい叫び声でそこに大勢の人や魔物たちが争っていることが見て取れる。
「魔王軍の秘密醸造所!? 戻ってきたのか」
機材の間をかきわけ、中央の最も大きな通路へ出ると魔物たちと白装束の男たちが剣やこん棒を手に血と汗を散らしていた。
「魔王おおおおおおおおおおおおおおおお!!」
人ごみの中に、意中の相手を見つけた俺はわき目もふらずにその中へと飛び込む。積もり積もったダメージで這う這うの体の魔王の足取りは重い。俺は、すぐに魔王に追いつきそのクロークを掴み無理やり引き寄せる。クロークはびりびりと音を立てて引きちぎれてしまった。
魔王は、その反動か前のめりに倒れてしまって。魔王は、一歩でも前に進もうと左手を前へと伸ばす。
「ま、魔王様!」
伸ばされた手の先では、ちょうど炎魔将軍と女神正教の大司教が剣を交えているところであった。軍配は既に炎魔将軍にあがっていたようで、大司教は肩で息をしている有様だ。魔王に気づいた炎魔将軍が、大司教そっちのけで魔王に駆け寄る。
「炎魔! 我が右腕よ! 頼むから予備の右腕を急ぎ持ってきてくれ!」
魔王の懇願ともとれる指示に、炎魔将軍は涙を流しながら「御意」と駆けだした。
「おおっ! 勇者様が、魔王を追いつめているぞ!」
どこからか、僧兵の一人が大声をあげる。俺たちに気づいた、周囲の魔物や僧兵たちが剣を打ち付け合うのを徐々にやめ中央へと集まってくる。彼らは、俺と魔王を取り囲み。自然と、人と魔物の屈強な肉体でリングが形成されていく。その中には、首から上のない彼女の体も見て取れる。
魔王は、隻眼のミノタウロスに支えられ小さな樽に腰かけている。周囲の魔物たちが、これでもかと甲斐甲斐しく介抱し魔王は幾分かの体力を取り戻したようだ。
俺は、決戦に備えクロークをぬぎ、剣をはずす。すると、頼みもしないのに僧兵の一人が恭しくそれを預かってくれた。
「勇者、ついに使命を果たす時がきたな」
なんとか息を整えた大司教が、俺の背をポンと叩く。
「しっかりやってこい!」
俺はコクりとうなずき、腰に吊り下げていた遊び人の頭を大司教に預けた。大司教は、「げっ」と顔をしかめながらも、彼女の頭を大事に受け取ってくれた。
正面を見据えると、既に新しい義手を取り付けた魔王が腕をグルングルンとまわしている。こちらの視線に気づいた魔王は、先ほどまでの弱弱しい男とはまるで別人と思えるほど生気に満ち溢れている。なるほど、王として情けない姿は配下に見せられないということか。
「……さて勇者よ。もう追いかけっこはおしまいだ。憎き女神の使徒であり、超ド級の変態である貴様を倒して我が魔王軍の勝鬨としてくれる! 」
魔王の後ろからは、炎魔将軍が憎々し気に視線を送ってくる。
「勇者! 約束を違えるとは見損なったぞ!」
批難の声をあげる炎魔将軍に、俺はフンと鼻を鳴らす。そもそも、酒の席で約束をする方が悪いのだ。
俺は、軽やかにステップを踏み身体の調子を整える。対する魔王は、付けたばかりの義手を相変わらずグルングルンとまわしている。
「合図が必要だな」
焦れたミノタウロスが、そう呟き隣に立っていた僧兵から兜を奪い取る。そして、それを持っていた斧でカーンと打ちならした。
魔王の右ストレートが、俺の左頬へと突き刺さる。あまりの速さに、俺は魔王の動きを全く捕らえられなかった。意識が転よりも高く飛びあがりそうなのを、歯を食いしばって耐える。
俺は、お返しとばかりに拳をふりあげ、魔王の顎を砕いてやる。確かな感触があった。だがしかし、魔王は倒れない。
ステップを刻む暇などない、超近距離のインファイトが続く。お互いが互いの急所へと必殺の一撃を見舞い合う、ただそれだけの戦略性から最も遠くかけ離れたただの肉弾戦だ。だがそれは、美しさからの欠片もないその戦いは男たちの血をを熱くたぎらせた。一歩も引かずに、拳の応酬をつづける両者に魔物達も人間達も変わりなく声援を送った。
「させ! カウンターだ! ほら今だ、させ! 勇者っ!」
大司教の皺がれた声には、年不相応な熱がこもっていた。そして、その右手にはなみなみと注がれたビールジョッキが握られている。
「うひょおおお! なんですか今のアッパーは! あんなの食らって立ってられるとは流石魔王様!」
炎魔将軍が、その姿に似合わず甲高い歓声をあげる。その右手には、やはりビールジョッキが、そして呆れることに左手には乾きものが握られている。
一体何発のパンチを見舞い、何発のパンチをもらっただろうか。膝が震え、肩を揺らし、目は腫れ視界がかすむ。まともな人間、まともな魔族であれば幾百回の死を迎えるであろう威力を正面から受け止め俺と魔王はともに限界を迎えつつあった。
白く霞んだ世界から、突然魔王の拳が目の前に現れた。精神が高まっているせいか、その拳はひどくゆっくりと俺に向かって飛んでくる。何とか交わそうと、上体を揺らすが力が思うように入らない。
魔王の拳が、俺の額にあたった。乾いたパンという音に、限界を迎えた肉体と精神が同じくはじけ飛んだ。俺は、前のめりにゆっくりと崩れおちた。
ミノタウロスが駆け寄ってきて、高らかに腕をあげカウントをはじめる。
「1、2、3……」
あぁ、遊び人。やっぱりキミのお父さんは化け物のように強い男だ。長年の旅で身に着けた、如何なる耐性をもってしても奴の拳を耐えきることがついぞできなかった。
声がきこえる。だが、その優しい声は猛々しい男たちの声援にかき消されてしまう。
4、5、6……
「ゆ……ひざ……ら!」
ああ、気持ちいい。自身が不眠症であることが信じられないくらい、今日は安らかに眠れそうだ……。
「ひざま……らし…あげ……!」
誰だ? それになんだ? 人の睡眠を邪魔するのは……。
7、8、9……
「魔王に勝ったら、今度は私が膝枕してあげるっていってるの!」
俺の体は、まるで羽が生えたかのよう軽くなる。気づけば、俺は既に立ち上がっていた。
ミノタウロスが、俺の顔を覗き込んでくる。
「やれるが?」
俺は、目だけで肯定を伝える。
「よじ、やれ! ふぁいっ!」
魔王が驚いた表情で俺の姿を見ている。なぜ、立ちあがれる。もう、お前は倒れたではないか。そういいたげな顔だ。
「もうっ、貴様の負けだっ……!認めろっ勇者ぁっ!」
魔王の表情に再び恐怖が浮かび上がる。そうだ、お前は俺を恐れていたのだ。腕を斬りおとされ、徹底してその姿を地下へとくらましたのは、何より勇者が怖かったからだ。恐れは、剣を鈍らせる。お前は、このリングに立った時点でもう負けていたんだよ。
俺の拳が、既にヘロヘロで、虫すら殺せない威力であったが、それは確かに魔王の頬へとたどり着いた。魔王の目からは、光が消え、そのまま仰向けに倒れこむ。
ミノタウロスが、魔王へと駆け寄り。声をかける。そして、何かを悟ったかのように立ち上がり両手をクロスさせた。
その瞬間、地鳴りのような大歓声が倉庫に響き渡った。後の世に、その声は遥か王城まで届いたと言われるほどの大歓声が、人も魔物も分け隔てなく勇者の勝利を称えた。
翌朝、目が覚める。傍らには、遊び人の頭が転がっていた。すやすやと気持ちよさそうに、寝息を立てている。
周囲を見渡すと、倉庫の地べたに魔物も僧兵たちも入り混じれて雑魚寝している。倉庫の中には血や汗、そしてビールの混じり合った酷い匂いが立ち込めている。どうやら、勇者の祝勝会と魔王の残念会が同時に、そして盛大に行われたらしい。
ひどい頭痛に、思わず頭をおさえ唸り声をあげる。
「起きたか……勇者」
大樽に寄りかかった魔王が、声をかけてくる。その腫れあがった顔が、昨日の激戦を思い起こさせる。だが、その程度気にもとめないばかりに、魔王の右手にはビールジョッキが握られていた。
「娘を襲った変態に負けるとはな……我は父親失格だ」
「お義父さん……」
「お義父さん言うな」魔王はそういって、俺に手招きする。
痛む身体を引きずるように、魔王へと近寄ると彼は俺にビール瓶を寄越してきた。
「グラスはないから、悪いが貴様は瓶だ。……乾杯といこうじゃないか」
「完敗? 俺の勝ちってことでいいんだな?」
俺の軽口に、魔王はフッと笑って「どっちでもいいさ」と呟いた。
俺は、魔王の隣に腰を下ろし瓶を受け取る。
「乾杯」
今となっては、どちらが発声したのかはわからない。だが、俺たちは長年の因縁を乗り越え初めての乾杯を交わした。
男たちの汚い寝息の中で、ぶつかりあったジョッキとビール瓶がカチンと乾いた音を響かせた。
そして俺は、その日久方ぶりの酷い二日酔いに悩まさることとなった。
――――――
ラストオーダー
最後の一杯 勇者根性スピリッツ
おわり
――――――
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