第8話≪カイχの章③≫ー三人のファシリテーターとの宴ー
渋谷の隠れ扉から薄暗い照明の中、地下に続く階段をおりていく。
階段を降りきると目の前の視界は一気に開放的になる。
そこは三方をウェーゲ海に囲まれた砂浜。
ざざん ざざん ざざん…
心地よい白い泡とともに波音と潮風が寄せる。石英の真っ白く輝く砂丘とエメラルドグリーンの海の表情が作り出す絶景。ユリカモメが自由に透き通る蒼ソラを優雅にくぅるりくぅるり飛翔している。カイはサングラスを外してコートのポケットにすっと入れる。
「今日も…綺麗だ…」
誰も知らない巨大地下に地中海に交通する場所があるなんて誰が想像しようか。
「ふふ。気持ちいい風」
カイは両肺にたっぷり温暖な気候の中で産まれし育った美しい自然の恵みの香りを深呼吸して吸い込む。
靴を脱いで裸足になり、あたたかい砂粒子に自分の足跡をつけてじっくりと太陽の体温をダイレクトに感じる。
波のゆらぎとともに、きぃきぃきぃと小舟をこいでα【アルファ】、β【ベータ―】、γ【ガンマ】と呼ばれる三人の男が現れる。
「やぁ、3人ともお疲れさま」
波打ち際に舟は乗り上げると、砂浜に三人の男が両手に食料や飲み物のはいった紙袋を抱えてカイの回りにどっこらしょと腰をおろす。
「どうだね、あっち【日本】の方ならず欧米諸国ひっくるめた海外の音楽オリコンチャートに自分の歌声が響くのは」
αはあらゆる業界人とのパイプをもつやり手である。カイが本性を明かさずまま、世界中で音楽といえばカイという大旋風を巻き起こし、日本の経済効果も大幅黒字、元経済産業省の役人だけに音楽という芸術産業をインバウンド、アウトバウンドの輸出輸入動向まで抜かりなく手着している。
「流石としかいえないよ。αは魔法使いだよ。おかげさまで海外旅行するのも気軽にできないよ」
ジョークを含めた答えとふふふと優しく笑うカイの姿をみて海からやってきた三人は皆いい笑顔だ。
4人は地中海の賜物である活魚とムール貝、オマール海老のパエリア、焼きたてのフランスパンに新鮮なオリーブオイルと滑らかでこくのあるチーズと生ハムをのっけてピクルスをかじる。絞たての生の柑橘ジュースをカシスソーダ水で割って乾杯。のど越しのよいパチパチはじける炭酸と絶妙な酸味のマッチが堪らなく美味だ。
ワイングラスの中身を一気にごくごく飲むとぷはっと一呼吸。
カイは真っ白のカモメを目で追いながら言葉を紡ぐ。
「一つの創造物から無限の解釈が産まれ、また新たな創造物が産まれる。それも創造の醍醐味っていうやつさ。創造物はその産みだした親そのもの【クローン】であり子である。どういうわけか、この世の人々は創造物を評価するのが大好きで。自分たちが傷つけられるととにもかくにも耐えられないというのに他人のことに関してはシビアな点数をつけたがるマウンティング人間が多いものだ。自分のこともよく知らないのに人間とは自分以外の人間をよく知りたがる。」
「まぁ、人間の感情ってのは五歳の時に最も細分化するんだよな。生れてからすぐある感情は興奮。3か月の時に快、不快。6か月の時に怒り、嫌悪、恐怖。1歳のときに愛情、得意。1歳半の時に嫉妬、子どもと大人への愛情。2歳の時に喜び。そして、5才のときに恥ずかしい、不満足、失望、羨望、希望という感情が分化する。」
真昼間から赤ワインのボトルを開けてぐびぐび飲む酒豪のβがいう。βはカイの音楽のプロモーションを手掛ける。舞台アートワーク、カイの着る服のデザイン・発注、一人で作詞作曲唄プログラミングをするカイを表舞台に煌びやかに演出を手掛けるいわば総合プロデューサー兼ディレクターのような配役の人間である。
「いいか、カイ。自分の行動は自分で決める。相手の感情は相手のもの、自分の感情は自分のもの。自分の感情は自分だけのもの。自分の感情を表現するかしないかは自分自身が決める。自分の行動を相手がどう評価するのは自分の価値に何の関係もない。相手の私的な庭にドカドカ入り込んできてコントロールしようとしたり、裁いたり、つけこんだり、張り合ってきたり、アディクションに巻き込む人間、完全を求めてくる人間、自尊心を傷つける人間はとても危険だ。そういう人間とは必ず距離をとらなければ安全にプロセスを進めない。いつも境界をクリアにしとくんだよ」
プリップリのサーモンとシャキシャキのレタスにバジルソースをかけてサンドイッチしたものをむしゃむしゃ豪快にたべながらγは優しくカイに諭す。
γはカイが家出してから何かと問題事を起こし一時保護施設に収容されて生活していたときに、偶然視察時、ピアノで演奏しながら歌うカイの姿に施設の全人々が心を奪われる光景をみて、カイの音楽の才能を開花させようと声をかけたとあるレーベル会社代表取締役 兼 裏で幼少期に世話になった児童福祉施設への募金等の慈愛ボランティア活動を行う者である。
カイは微笑みを浮かべながらゆっくり頷く。
「僕は世界を変えてみせる」
ガハハとαは大きく笑い
「デッカイ夢だ。いいぞ。こっちとやらも、益々仕事に精が出る。お前さんなら、ぜってぇできるよ」
と大声で嬉しそうに返答し、カイの背中をボンと勢いよく叩く。
一週間に一度、このように渋谷の地下の摩訶不思議な空間で世界をオトで彩る職人三人とカイの宴で意見交換や進捗管理、アイデアや世の中を客観視したビジネス論等を展開しているのだ。
宴も終わり、うぃーと酔っぱらって千鳥足状態のβをαとγがずりずりひきずりながら小舟に乗せる。
三人は笑顔でカイに手を振ると、また海の向こうへ、そして地平線から姿を消してゆく。
「よし、レコーディングするか」
カイは大きく伸びをするとぱんっぱんっと服についた砂を払い、靴をとんとんと履きサングラスをかける。そしてレコーディングするために自宅の作業場へと足先を向けた。
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