明日の自分が「面白い」と思える一文を書いてみる
自分のSNSに「カクヨムで小説を書いています」というプロフィールを書くようになってから、そういう「カクヨム」で連載されている方に興味を持ってもらえることが多くなった。
こういうのはありがたいので、どういう人が興味を持ってくれたのか、割と読みにいくのだけれど、ただ自作の小説や、他の人の発言をコピーしているという場合が多く、もったいないなと思う。
個人的には、自分の作品を読んでもらうことに貪欲なことはいいことだと思うし、いろんな人に読んで欲しいから、と自分の作品を薦めるのはいいことだと思う。「いい作品」を書いても読んでもらえるとは限らないわけで、まず「目にとめてもらう」というのは正しい発想だ。
しかし、それだけにSNSを使うのはもったいない。なぜなら、SNSには自分の考えていることも書けるからだ。
最近、面白い小説について気が付いたことがある。
面白い小説というのは、一文一文が面白いのだ。そして、作品の質を高めるということは、一文の精度を高めるという話になる。
SNS、例えばTwitterの場合ならば、一文の世界である。知人は、「Twitterが上手くなれば、小説も上手くなる」みたいなことを言っていたが、自分なりの理解としては、そういうことだと思う。
とはいえ、いきなり面白いことを書いても、誰も見てはくれないのがSNSの常である。従って、自分がオススメするのは、「明日の自分が面白いと思う一文を書いてみる」ということだ。つまり、未来の自分を読者として想定してみるのだ。
僕の好きな作家に高橋源一郎という人がいる。この人はあるきっかけで失語症になり、文章が上手く書けなくなったという。そして、失語症から回復し始めた時期に、リハビリとして、一日一文だけ日記をかいていたという話をちらりと読んだことがある。
この例は極端だが、「一文」という威力はシャレにならない。一文を面白く書ければ、小説も面白くなる。しかし、一朝一夕で上手くなるわけではない。お笑い芸人が舞台に立って、客の反応を見ることが重要であるように、一文の反応を見て、どういう文が面白いのか、というのを経験的に習得していく必要があるように思える。
そして、大切なのは、面白い一文をかけたときは、自分にとって「宝の一文」になる。それは、小説とは関係なく、小説から離れたあとも、重要なものになると僕は思う。
まずは、明日の自分が「こいつ、面白いやん」と思わせる文章を書こうと思う。
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