11、夕方の薔薇園


 父が帰ったあと、メリルローザは自室には戻らず、大叔母の薔薇園へと足を向けた。


 裏口の扉を開けると花の香りが押し寄せてくる。同じ屋敷の中だというのに別世界に迷いこんだような気持ちになった。


 夕陽が辺りを赤く染め、赤い薔薇はより赤く咲き誇る。

 テラス席にちょこんと座ると、垣根で遮られた空間は一人で過ごすのにちょうどよく落ち着ける場所だった。

 ここで読書やお茶をするのもいいけれど、こうして薔薇を眺めてぼんやりと過ごすのが一番贅沢な時間の使い方な気がする。


 メリルローザが物思いにふけっていると、「……珍しいな」と低い声がかかった。


「ヴァン。……ごめんなさい、ここ、あなたの席?」

「別に俺に椅子は必要ない」

「そっか、精霊だもんね。あなたが人間ぽいから、つい」


 そう言いつつも、ヴァンはメリルローザの向かいにある椅子に腰を下ろす。ヴァンが薔薇に視線を向けているので、メリルローザもその視線を追いながら口を開いた。


「さっきはありがとう。父さまも納得して帰ったみたいだし、助かったわ」

「……人間は面倒だな」

「……まあね。さっきのエーデルシュタインって家名、あなたが考えたの?」


 ヴァンが短く「違う」と答えた。じゃあ、叔父さまがつけたのかしら。そう問うたメリルローザに、ヴァンは懐かしむような顔をした。


「ナターリエがつけた」

「ナターリエって……大叔母さま?」

「ああ。人間に名前を聞かれたらそう答えるといい、ってな」


 これから先もヴァンが実体化しているかぎり、名を名乗らなくてはいけない時が出てくるだろう。もしかして大叔母の時もそうだったのだろうか。


(ナターリエ、か)


 レッドスピネルの持ち主だった大叔母とヴァンはどんな関係だったのだろう。

 彼女が遺した薔薇園によく入り浸っているところを見るに、大叔母とヴァンの間の、特別な絆を感じてしまう。


「ねえ……。大叔母さまってどんな人だったの?」

「グレンに聞けばいいだろ」

「叔父さまより、あなたの方が大叔母さまと付き合いが長いんじゃないの?」

「…………」


 ヴァンが黙る。思い出を懐かしむように瞳を閉じた。


「口やかましい。素直じゃない。トラブルばっかり持ち込む。行き当たりばったり。後先を考えない」

「……ちょっと」


 悪口ばかりだ。咎めるような声を出したメリルローザと、目を開けたヴァンとの視線が合う。


「心配症で優しい、可愛い女だ」


 可愛い、という単語にどきりとした。そんなことを口に出すタイプではないと思ったからだ。


「そ……そう。ヴァンは大叔母さまのこと、好きだったのね」


 動揺してわざと揶揄するような言い方をしてしまう。てっきり、照れて怒りだすかと思っていたら、ヴァンは「ああ」と即答した。

 それがどういう意味の“好き”なのかわからないけれど、なんと返せばいいかわからなくてメリルローザは黙ってしまった。


 ――この美しい薔薇園は、大叔母と、彼女を偲ぶヴァンのための場所なのだ。


 ひょっこり訪ねて来てしまったメリルローザが居ていい場所ではないのかもしれない。居心地悪くなって立ち上がったメリルローザの手をヴァンが掴む。


「メリルローザ」

「っ、何……?」

「……傷、あるなら治してやろうか?」


 一瞬何を言われたかわからなかったが、先ほど父が口を滑らせたことを聞いていたのだろう。

 ヴァンらしくない、気遣わしげな表情。この薔薇園にいることが彼の気持ちを丸くさせるのか、それとも、ヴァンの記憶の中の大叔母ならそう言うだろうと思ったのだろうか。


「……治せるの?」

「触って浄化すれば治せる」

「それは……便利ね」


 浄化の力は呪いを解くためだけではないらしい。でも、とメリルローザは首を振った。


「いいのよ。わたしは気にしていないから」

「……そうなのか?」


 ヴァンが怪訝な顔をする。女性なら、傷のない綺麗な肌を望むと思ったのだろう。善意で申し出てくれているのはわかるので、メリルローザは理由を話すためにもう一度椅子に腰を下ろした。


「……昔、住んでた家が火事にあってね。亡くなった母さまの遺品もたくさん焼けちゃったの。このバレッタだけは、なんとか取って逃げられたんだけど……その時に火傷した痕が背中に残っているのよ」


 背中の開いたドレスでも着ないかぎり、わからないでしょ? と言って肩を竦めて笑う。


「父さまは勝手なことをしたわたしをすごく怒ったし、そのせいでついてしまった傷も気に病んでいるの」

「だったら、消したほうがいいんじゃないのか?」

「ううん。わたしは、自分のしたことを後悔していないから。この傷も、勲章みたいなものだわ」


 それでも、メリルローザが『傷物』であることには変わりない。いずれ嫁ぎ先が決まったとしても、醜い火傷の跡は夫となる人の気分を害するかもしれないが、それはそれで仕方がないと思っている。


 ヴァンは精霊だから、美醜の感覚が人間とは違うのだろう。

 メリルローザの言葉に納得したようだった。


「勲章か。お前らしい」


 そう言われて、メリルローザの心はほんの少し救われた。ヴァンのように、メリルローザの傷をそう言って認めてくれる人はきっといると思えた。


「……ありがと。ねえ、ヴァン。もう少しだけここにいてもいい?」

「……? 別に好きなだけいればいいだろ。俺だけの場所じゃない」


 もう一度ありがとうと告げ、薔薇の香りを胸いっぱいに吸う。


 ――ヴァンのことをもう少し知れたらいい。


 大叔母とヴァンが絆を結んだように、わたしも本当の意味でヴァンの主になれるかしら。


 夕陽に照らされるレッドスピネルにそっと触れながら、メリルローザはそんなことを思った。

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