第12話 人工湖畔Ⅳ

父に上海に来ないかと言われたのはパンクバンドのボーイ兼ギターリストのバイトを辞めてすぐのことだった。

普段、父が家にいるのは希というか、私とはタイミングが合わなかった。だから、余り喋る機会などないし、もし、面と向かって母親無しで会話成立するかといえば、生活のタイミングが合わないだけあって、正反対の人間同士だったのだ、したがって伝統的形式にのっとった会話が精一杯だった。

それに、父はOとの関係を私が目撃したことにすら触れなかった。

そういう男だったんだ。

今となっては私は父親にちかずいていると思う、香水の好みだけでなく、きっと内心俗物の彼を許しているのだろう、したがって、今の私も俗物なのだ。

 父が私に話を振ったのは、銀座のとある百貨店のなかにある、蕎麦屋だった。

この蕎麦屋は父と母がよく出向いていた店で、そのときは珍しく私も同伴した。

確か獅子文六の滑稽話を読んで、蕎麦が食いたくなったのだ。

私の申し入れにたいして母親は歓迎的だった。

そして、そのときになって、父は私の耳元で「余計なこと言わないでくれ」と囁いた。

もうとう、そんなつもりもなかったが。

 この蕎麦屋は"蕎麦が"というより個人的には天婦羅が絶品だと思った。後年、知り合いと行く程度にはこの店にはまった。

父はそれとなく

「なぁ一緒に上海に行かないか?

 何かバイトも止めたし、色々とあるんだろ?もしかしたら、それはお父さん達の責任かもしれない。それに世界が広がるだろう、お前それに海外に行ったことないんだし」

と言った。

母親は父の責任という言葉に怪訝そうであった。

「ああ、そうだね。何日間?」

 「10日、学校は少し休ませてもらいなさい」

 「わかった」

 そのときの私は"乗り気だった"不思議ではあるのだけれど、父親との二人旅に同意するなんて。しかし、私は単純に上海に

中国に興味があったのだ、きっと映画の影響だったのだと思う。

 しかし、私は会話を続けた。

「でも、海外旅行は昔行ったんじゃなかった、家族三人で」

そう、当時とて昔に。



 上海に行く6日ほど前、Oから連絡があった

「朗報よ私にとっても貴方にとってもね、私もお父様に同行します」

 「そう、俺も同伴するよ。でも君も親父も仕事だろ」

「そうよ、でも私だけ空き時間があるの」

「Sexのできる空き時間?」

 「残念、そういった時間はないわ、でも会うことはできる。待ち合わせ場所を貴方に送るわ、中心街からそんなに離れていないし、貴方って地図読むの得意でしょ、それに一人でさ迷うの」

「ああ、まぁ怖くはないね。でも君は何故、上海郊外の待ち合わせ場所なんて知ってるの?」

 「郊外じゃないよ。それに私上海に居たことがあるのよ、ずっと昔ね」

「知らなかったよ」

「そうね、話していなかったかもしれない。でも、ミステリアスていいでしょ、何か。

 それに貴方は私の正確な年齢だって知らない」


確かに私は地図を読むのも、一人歩きも得意だった。

そして何の苦もなく、人工湖畔の畔にたどり着いた。

たどり着いたとき、屋根つきの建物に彼女が座っているのが見えた、他には誰も座っていなかった。幾多の戦争を乗り越えた、老人達が中華式チェスでもしてそうな建物であったのに。

 彼女は中国柄のチャイナドレスに近いものを着ていた。

私が近づいていくと、きずいて手を振ってきた、私の心は心地よく震えた。

私が席につくと、"はいこれ"と何とか草と書いてある、煙草の箱を差し出してきた。

「お父様もいることだし、煙草を持ってこれなかったと思ったから」

 「まさか、親父は俺の癖を知ってるよ、ちゃんと5箱持ってきたし、市場でも買ったよ」

 「そうなんだ、これ私の好きな煙草なんだけど」

彼女が少量の煙草を吸うことは知っていた、でも中華煙草が好みなのは知らなかった。

「ありがとう、気を使てくれて」

 彼女は微笑みながら青い瞳でウィンクした。

 「それにしても、何故、この場所なの。てっきり本場の中華料理でも食わせてくれると思ったよ」

 「それは、お父様のご友人達がいっぱい食べさせてくれたでしょ」

 「そう、まぁね」

 「それに私、此処が好きなの」

「どうして?」

 「さーあ、どうしてもかな」

 確かに彼女はミステリアスな人だった、きっと感触さえあやふやなほどに。

 「親父には何て言ったの?

 あの人からは例の彼女も行くことになったとしか聞かされてない」

 「適当によ、今日はおやすみ時間だしね私は、それにお父様なにもお気づきになっていないわ。私達の関係も」

「もしかしたら、全部知っているのかもしれない、そんな男なんだよ」

 私達は主に私が上海について質問をし彼女が回答する他愛もない会話をした。

しかし、彼女は最後に私を占った。

 「私、知り合いに中国人の占い師がいるの、それで少し教えて貰ったの、そしたら私には才能があるみたい」

「ふーん、それも知らなかったよ」

「占ってあげるよ、手を出して」

もちろん私は拒否しなかった。

彼女が高額な幸せになれる、幸運の金のブレスレットを売り付けてくるタイプの占い師でないことは知っていたから。

 彼女は私の手を握り、目を閉じた。私は彼女の胸元だけを見つめていた。

 「貴方は相当、苦労する人生を送るわ」

 「ところで何を占っているの?」

彼女は目を閉じたまま

「全てよ」と言った

 「貴方はそう遠くはない未来に上海からの少女に出会うわ、そしてそれから、中国行きの遅い船に乗る」

そのとき私の頭の中に、ビンク・クロスビーとペギー・リーの歌うSlow boat to chinaという古い歌が流れ出した。

 彼女は目を開き私の手から自分の手を離した。

私は尋ねた

「上海からの少女は君じゃないの」

彼女は答えた

「いいえ、たぶん違う。私は貴方の人生の一ページにもならない」

「最後に聞いていい、何で日本では占ってくれなかったの」

彼女は笑いながら

「これは中国でしか使えない魔術なのよ」

 

  


 

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