ヤマトの章 —7 覚悟を決めた日

 この身体になって僕は初めて熱を出してしまった。昨夜中々寝付けなかったのが原因だったのかもしれない。

いけない・・・早く起きて朝ご飯とお弁当の準備をしないといけないのに・・。でも身体が全く言う事を聞いてくれない。

その時、僕は部屋の外で遠慮がちに僕の名前を呼ぶ千尋の声を聞いた。


「おはよう、渚君。起きてる?」

返事をしたいけど、うまく声に出せない。すると部屋の戸が開いて千尋が覗き込んできた。駄目だよ、千尋。部屋に入ったりしたら僕の風邪がうつってしまう。

千尋が僕に近づいてくる気配がする。そこで僕の意識は完全に途絶えた—。



 

「ここはどこだろう・・・?」

僕は見知らぬ花畑の中に立っていた。空は青く、優しい風が吹いている。

ああ・・・ここは毎年春になると咲と花を摘みに来ていた場所だ・・・。

咲は名前の通り花がとても大好きだった。そして色々な薬草についても詳しかったので村の人達からは「薬師様」なんて呼ばれる事もあった。

遠くで長い黒髪の女性の後姿が花畑の中から見え隠れしている。

あ・あの後ろ姿は—。


 そこで僕は目が覚めた。気が付いてみると君が僕の額に手を当てている。

「さ・・咲・・・。夢みたいだ・・。もう一度君に会えるなんて・・・。」


「・・・?」

僕の言葉に戸惑う君。


そして僕の意識は再び途切れた・・・。


 次に目が覚めた時、僕の意識は大分はっきりしていた。千尋が僕の為にお粥と薬を運んできてくれた。一人で食べられるか聞かれたけど僕は大丈夫と答える。

だってあんまり長く僕の側にいると千尋に風邪を移してしまうかもしれないからね。

千尋は着替えも置いて行ってくれたのでお粥を食べて、薬を飲んだ後別のパジャマに着替える。さっきまで着ていたパジャマは汗で湿っていたので気持ちがいい。

僕は再び眠る事にした。


 廊下で昼の12時を告げる時計の音が聞こえ、僕は目を覚ました。そして丁度良いタイミングでうどんを作って千尋が持って来てくれた。この頃には大分体調も回復してきている。千尋のお陰だね。

千尋が部屋を出ると僕は呟いた。

「ありがとう、千尋・・・。大好きだよ・・。千尋も僕と同じ気持ちでいてくれたなら、もう思い残す事は何も・・。」

ねえ千尋。ここまで僕を親身になって看病してくれるって事は僕に好意を持ってくれているって思ってもいいよね?


 夕方になると僕はすっかり熱が下がり体調も元に戻っていた。これも千尋の看病のお陰かな?それとも・・・・僕の身体がもう限界に来てるから・・・熱が出た?恐ろしい考えが頭に浮かぶ。そう思うと少しでも長く千尋の側にいたいと言う気持ちが募ってくる。

部屋で休んだ方がいいと言う千尋に僕は真剣な眼差しで言った。

「でも・・・僕は少しでも長い時間、千尋の側にいたいんだ・・・。迷惑かな?」

そして千尋を引き寄せると僕の腕に囲い込む。


「な・渚君・・・!」

明らかに動揺する千尋の声。僕は構わず抱きしめる。


その時千尋の携帯が鳴って僕はハッと気が付いた。あ・・・僕は一体今何を・・・?

僕はぼんやりと千尋の電話の会話を聞いていた。

やがて電話を切って僕の方へ向き合う千尋。


「今の店長さんから?」

先程の行動をごまかす為に僕は千尋に尋ねた。


「うん、明日は出勤出来るかどうかの確認の電話だったよ。」


「僕はもう大丈夫だから千尋は構わず仕事に行きなよ。」


「渚君は休まないと駄目だよ?」


「ええ~大丈夫だよ。千尋は心配性だな。」


千尋とのこんな会話でも今の僕にとっては無駄に出来ない貴重な時間。

結局僕の熱は知恵熱だったかもと言う事にした。



 夕食も千尋が作ってくれると言うので僕はありがたくソファで休ませてもらう事にした。すると何故か突然急な眠気に襲われた僕は・・・・。

ほんの一瞬の眠気だと思ったのに、何故か気が付くと千尋は僕の側に座り込み僕の右手をしっかり握りしめていた。


「え?な・何?どうしたの?千尋。」

 

「あ・・・な・何でもない・・・。」

嘘だ、千尋の顔は真っ青だった。一体何があったんだろう?


「だ、大丈夫だから。ちょっと渚君が一瞬消えて見えたような気がして・・・。

アハハ・・・そ、そんな訳無いのにね。」


僕は千尋のその言葉を聞いて全身の血の気が引いた。


「え?ごめんね!渚君。別に傷つけようと思って言った訳じゃ・・・。」


そんな僕の様子に千尋は慌てたように弁明する。

僕は千尋の手をしっかり握りしめ、言った。


「大丈夫、僕はそう簡単には消えたりなんかしないよ。」

僕は千尋を安心させるために笑顔でそう答えた。

そう・・・まだ消える訳にはいかないんだ・・・。




 今日、僕は仕事が休みだったのでアクセサリーショップへ足を運んだ。

もうすぐホワイトデーだから千尋に何かプレゼントをあげたい。

若い女性が喜ぶプレゼントはアクセサリーだとネットの検索であったので、早速買いにやってきたと言う訳。

店内に入ると平日だと言うのに若い女性が結構来ている。

そして僕を見ると何故かヒソヒソささやきあっていた。やっぱり男が一人でこんな店に来るのは変なのかな?

僕は若い女性店員に声をかけた。

「あの・・・今人気のあるアクセサリーってどういう品物がありますか?」


「贈り物ですね?」


「はい、そうです。」


「それならこちらのお品物等は如何でしょうか?」

店員さんが見せてくれたのはとてもきれいなピアスだった。そう言えば千尋もピアスをしていたっけ。喜んでくれるといいな。


「ではこれを下さい。」

僕は品物を買うと店を出た。そして決めた。このピアスをホワイトデーにプレゼントする。そして千尋に僕の事をどう思っているのか尋ねてみようと―。



 ホワイトデーがやってきた。


朝食の席で僕は千尋にピアスのプレゼントを贈る。


「渚君・・・これを私に?」


「うん、千尋に似合うかなって思って選んだんだ。気に入って貰えたかな?」


「勿論!こんな素敵なピアス、本当にありがとう。嬉しい。」


「う・うん。気に入って貰えたなら良かった。」

良かった、千尋すごく喜んでくれてる。僕は照れ笑いした。千尋は早速その場でピアスを付けてみてくれた。


「どうかな?」

千尋は僕を上目遣いに見て問いかけてきた。


「うん、すごく似合ってるよ。一生懸命選んだ甲斐があったよ。」

千尋は可愛いからどんなものでも本当に良く似合っている。



 僕は今日は仕事が休みなので千尋を職場まで見送った。そしてそのまま渚が入院している病室へ向かう。いつもと同じ、身元を隠すように病室へ足を運ぶ。

僕のせいで身元不明者扱いになっているから当然見舞いに来る人は誰もいない。殺風景な部屋で眠ったままの渚を見ていると流石に申し訳ない気持ちで一杯だ。


「・・・本当にごめん・・。でも、もう少しだけ・・。本当に後少しだけで構わないから、君が目覚めるまでは彼女の側にいさせて欲しいんだ・・・。」


僕は右手に異変を感じた。見るとその手は微かに消えかかっている。


「くっ・・・!」


右手がズキズキと痛む。渚の右手がピクリと動いた。ああ・・やっぱり君は目覚めようとしているんだね・・・。

僕は逃げるように病室を出た。何処をどう歩いてきたのか・・・。気が付けば僕はベンチの上に座っていた。右手は元通りになっている。深いため息をついていると、突然誰かに声をかけられた。


「おい。」

僕は顔を上げた。


「お前、一体どういう事だよ・・・・?」

祐樹が目の前に立っている。


「え?どういう事って?」

僕には何が何だかさっぱり分からない。


「だから、何で一度も俺に連絡をよこさないんだ!何度も連絡入れてるのに一度も返事を寄こさないじゃないか!」


祐樹はかなり怒っている。でも、それは無理ないかもな・・。だって僕はずっと祐樹からの連絡を無視してしまっていたのだから。関わりたくは無かったから・・。

もう駄目だ、これ以上は隠して置けないだろう。僕は覚悟を決めた。


「祐樹・・・・・・あそこに病院があるよね。」

僕は渚が入院している病院を指さした。


「あ・ああ?」

祐樹は不思議そうに頷いた。


「あの病院の502号室に行ってみてくれる?僕は訳あって行く事は出来ないけど、そこに行けば全てが分かるよ。」


「どういう事だ?」


「詳しい事は後で話すから。僕は駅前のファミレスで待ってる。逃げも隠れもしないから・・・。」

いつになく真剣な僕に押されたのか祐樹は言った。


「分かった。502号室だな?その後は全て話してもらうからな?」

祐樹が病院に向かった後、僕は文房具店に行き、そこで便箋と封筒を買った。

そしてファミレスに着くと千尋宛に手紙を書いた。



千尋へ


今、この手紙を読んでいるって事は、もう僕は千尋の前から消えているんだろうね。

この身体は病院で眠り続けている本来の「間宮渚」と言う人物のものなんだ。

どうしても千尋の側にいたくて、この人の身体を勝手に借りちゃったけど、もう限界みたい。

きっと、彼が目覚める時僕は消えてしまうと思う。

短い時間だったけど、千尋と過ごした日々は僕にとっては毎日が幸せだったよ。


さようなら、本当に大好きだったよ。


ヤマト


最後の名前は文字が震えてしまう。僕はこの手紙を祐樹に託す。

恐らく僕はこの世から消えると同時に皆の記憶からも消えてしまうのだろうと思う。

だって元々は存在してはいけない人間なのだから。

きっと彼なら僕が消えてしまっても昔から渚の事を知ってるのだから忘れる事は無いだろうと確信があった。


丁寧に手紙を折りたたむと僕は封筒にしまった。さあ、もうすぐ祐樹が戻ってくる頃だ。病室で眠っている渚を見た時、彼はどう思っただろう?きっと彼の事だからすぐに病院側に渚の身元の証明をしたに違いない。

あ、今こっちに向かって祐樹がすごい勢いでやって来ている。



 自動ドアの開く音が聞こえ、祐樹が僕を探している。

「ここだよ。」

僕は手を上げて祐樹を呼んだ。


祐樹の顔は青ざめている。一瞬俯いたが、すぐに顔を上げると迷いなく僕の方へ向かって歩き向かい側のソファにドカリと座って言った。


「さあ、お前の知ってる事全て話せよ。」


僕は頷いた。

「分かってるよ。僕は—。」










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