ヤマトの章 —3 同じ視線で
僕はこの男と魂が一体化した。そのお陰か、彼の全てが全部手に取るように分かった。
名前は間宮渚。23歳で調理師免許を持っているけど、今はぼったくりをするような如何わしい店でホールの仕事やバーテン、時には恐喝まがいのような仕事をしている。そして自分が恋人と思っていた女性に酷い裏切り行為を受け・・・。全てを奪われた精神的ショックで目が見えなくなってしまった事等々。
でも僕が予想していた通り、目は正常に見える。やっぱり医者が言ってた通り目の神経に異常は無かったみたいだ。
今の僕は彼なのだから、何処に何があるのかちゃんと分かっている。
この部屋は渚が偽名でかりたウィークリーマンション、そして身分証明書は上着のポケットに入っている。全財産は今のところ約10万円。
僕はこれらを利用して、何とか千尋に近づく手段を考える事にした・・・・。
まず最初に行ったのは公衆電話からの通報。若い男性がマンションの一室で倒れている事を匿名で警察に通報した。きっと、警察の方が何とかしてくれるだろう。
次に住むところ。今日の所はネットカフェに泊まる事にして、そこで住み込みの求人が無いか検索してみよう。
僕、間宮渚はこうして着実に千尋と再び一緒に暮らせる計画を考え始めた・・。
僕の計画はこうだ。まずは働いてお金を貯める。そしてそのお金を持って千尋の元へ行き、僕がでっちあげた身の上話を千尋に話す。こればかりは千尋を騙すようで非常に心が苦しかったけど、そうでもしないときっと千尋は家に上げてくれることすらしてくれないと思うから。
この身の上話だって寝る間も惜しんで考えたんだもの。きっと心優しい千尋なら信じて僕を受け入れてくれるはず。
その為には一度だけ、千尋の留守中にあるものを取って来なくちゃ・・・。
行動に移す前日の夜、僕はどうしても我慢できなくて千尋の家に行ってしまった。
家の明かりが全て消える。
「・・・・千尋、やっと君に会える日が来たよ。でもいきなり君を尋ねちゃうと、
きっと怖がらせてしまうだろうから明日、会いに行くよ。お休み、千尋。君が素敵な夢を見れますように・・・。」
僕はそっと呟いた。
翌朝、千尋が出勤するのを陰から見守ると僕は辺りに気を配り、誰もいない事を確認すると家の門をくぐった。
目的は家の鍵を使って中に入る事だ。
実は千尋の家ではいざという時の為に予備の鍵を隠しておく場所があった。それは家の軒下にひっくり返った空の植木鉢が10個並んでいる。その右から4番目の植木鉢に鍵がかくされている。
どうか、ありますように・・・・。僕は祈るような気持ちで植木鉢を返すと、やっぱりそこには鍵があった。
僕は嬉しくなった。そっと鍵を開けて中に入るとアルバムを探す。
あった、これだ。千尋の入学式の写真。取り合えずこれを借りていく事にしよう。
再びアルバムをしまうと僕は家を出て、鍵を元の場所に戻した。
さあ、これからが僕の演技の見せ所だ—。
夜、ドキドキしながら千尋が店から出てくるのを待つ。
「あの・・・・。」
千尋が声をかけて来た!
僕は千尋の方を振り向く。
「ひょっとしてこのお店で働く原さんのお友達ですか?もうすぐ原さん、出てくると思いますけど、呼んできましょうか?」
ああ・・・ついに千尋が人間の姿になった僕に話しかけてくれた。
どうしよう、余りにも嬉しすぎて言葉にならない。僕が黙っているからか、更に千尋が話しかけて来た。
「ひょっとしてこのお店で働く原さんのお友達ですか?もうすぐ原さん、出てくると思いますけど、呼んできましょうか?・・・・あの、どうされましたか?」
どうしよう、嬉しすぎて言葉にならない。でも、何か話さないと怪しまれる。
けれど、最初に口をついて出てきた言葉がこれだった。
「会えた・・・・。」
「え?」
戸惑う千尋。
「やっと、君に会う事が出来た。・・・千尋。」
ようやく僕は千尋と再会する事が出来た―。
驚くほど素直に千尋は僕の話を信じてくれた。あんまり簡単に人を信じるのもどうかと思うけど、そこが彼女の素晴らしい所だから、まあいいか。これからは僕がずっと一緒にいる事になる訳だから、僕が気にかければいいんだし。
人間の姿になって千尋と何かを一緒にするのはこの上なく新鮮で、楽しかった。
何より彼女の側を並んで歩ける。手を伸ばせば届く距離にいる。何度その手を伸ばして繋ぎたいって思ったか。でもそんな事をして怖がらせたくないから、我慢しないと。
渚の身体になってから良い事がある。それは彼が料理が得意だって事。何であんな店で働いていたんだろう?こんなに素晴らしい料理の腕前を持っているんだから、お店でシェフとして働く事が出来るのに。
千尋の為に料理を作る、喜ぶ顔を見るのは本当に幸せを感じる。口には出さないけど、全身で千尋が好きだよってアピールをする。千尋も僕の気持ちに気が付いてくれているのか、徐々に心を開いてきてくれている気がする。
でも、もっと二人の距離を縮めたいな。だって前世では僕たちは恋人同士で結婚の約束をしていたんだから。
そうそう、一度だけこんな事があった。仕事に行く千尋を見送った時の事だ。
白い犬を散歩させている場面に出くわした時に千尋が僕、ヤマトの事を話してくれた。千尋、まだ僕が何処かで生きているって信じているんだね。騙してる僕を許してほしい。でも、今も忘れないでいてくれているのを嬉しいって思う自分もいた。
千尋と暮らし始めて数日が経過した・・・大分打ち解けてくれた千尋。
そこで僕はちょっとだけ、悪戯心を出してみる事にした。
コーヒーの話から花の話に代わった時だ。千尋からは花のように良い香りがすると言ってわざと千尋のすぐ側まで顔を寄せると目を閉じてス~ッと匂いを嗅いでみた。
途端に真っ赤になった千尋はあの頃の咲を思い出させる。
もっともっと千尋に近づきたい・・・。僕は段々欲張りになってきてるのかな?
同じ日に、僕は千尋の代わりに軽トラックを運転すると言って山手総合病院まで付いて行った。そうか、あの人里中って苗字だったけ。何だかすごい目で僕を睨んでるみたいだなあ。でも結局千尋に告白はしていないみたいだね。ちょっとだけ安心。
千尋と二人でコーヒーを飲みに行ったレストランで仕事が決まった。こんなに早く仕事が見つかるなんて嘘みたいだ。千尋はもしかして幸運の女神様だったりするのかな?
その日の夜にワインを飲みながら仕事が決まった事を千尋に話す。
ようやく千尋のお金の負担を減らす事が出来ると言ったら、何故か千尋の顔が曇った。どうしてだろう?でも後で話を聞いたら、それは僕がこの家を出て行ってしまうのでは無いかと思ったからだって。それを聞いたとき、僕は思わず彼女を抱きしめたくなってしまった。
僕は前から計画していた話を意を決して千尋に言う。
「・・・・ 仕事は決まったけど・・・ここの家に置いてもらいたいんだ。駄目かな?」
いけない、声がどうしても震えてしまう。
千尋が固い表情で話を聞いている。お願い、どうか僕を拒絶しないで。千尋の側にいさせて欲しいんだ。黙っていられると不安でたまらない。僕は更に続けた。
「これからはお給料も貰えるから、生活費だって千尋に渡せる。ううん、僕のお金なんて全部渡しても構わないと思ってる」
だから、僕を遠ざけないで—。こちらを見上げた千尋の手を思わず僕はギュッと握りしめていた。
彼女の身体がビクリと震える。しまった!驚かせてしまったかも・・。でも諦めたくない。
「千尋さえ良かったら・・・僕が迷惑じゃないなら、君の側にいさせて欲しいんだ・・・。」
最早、最後は縋るようなセリフになっていた。
「何言ってるの?当たり前だよ。私が渚君を必要だって事、そんなの・・・とっくに分かってると思ってたけど?」
笑顔で答えた千尋に僕の心は震えた。やっぱり僕は千尋を愛してるんだって―。
千尋と二人で飲むワインは本当に美味しかった。慣れないワインに頬を赤く染めている千尋はゾクリとする程綺麗に見えた。そう言えば、あの頃は毎日が戦でお酒なんて飲む事すら出来なかったしね。お酒を飲むときの千尋はこういう顔を見せるのか。
また一つ千尋の別の表情を発見したよ。
いつの間にか千尋はすっかり酔ってしまい、テーブルに突っ伏して眠ってしまった。僕はそんな様子の千尋を少しだけ観察してみた。
でも、ここで眠ったりしたら風邪ひいてしまうかもしれないね。
「千尋、ここで寝たら駄目だよ。」
僕はそっと千尋を揺すってみる。
「う~ン・・・。」
でも一向に千尋は目を覚ます気配が無い。
どうしようかと思ったけれど、こうなったら千尋を部屋に運んであげるしか無いか。
僕は眠っている千尋の背中を椅子の背もたれに寄りかからせると、千尋の足と背中に自分の腕を差し込んで抱え上げた。千尋の身体はほっそりしていて、柔らかく温かかった。
千尋を起こさないように担ぎ上げると、部屋へ連れて行く。
そして布団を剥ぐと、千尋をそこに横たえて、布団を掛けなおしてあげた。
暫く、そうして千尋の寝顔を見つめている。
「千尋・・・・眠ってる?」
「・・・・。」
返事が無い。
「ごめん、ちょっとだけ許してくれる?」
僕はどうしても千尋に触れたくなってしまった。そっと千尋の額に唇を寄せる。
「・・・。」
千尋は起きる気配が無い。僕は少しだけ大胆になってしまった。
今度は千尋の唇に自分の唇を軽く重ねてみた。
「ううん・・・。」
千尋が軽く身じろぎしたので慌てて僕は飛び退いた。途端に酷い罪悪感が芽生えて来る。
「はあ・・・。何てことしてるんだろう、眠っている千尋に僕は・・・。」
溜息がついてでた。もう眠ってる千尋にこんな真似はしないでおこう。
最後に僕は千尋の耳元に口を寄せて、そっと囁いた。
「大好きだよ、千尋。」
そして僕は千尋の部屋を後にした。
ねえ、いつか君は僕の事を好きになってくれる日が来るのかな?
そう願わずにはいられなかった。
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